雷鳴の帰還 ―特攻を止めた戦闘機― (短縮版)
一九四一年十二月。川西航空機に後の局地戦闘機「迅雷 (じんらい)一型」の開発指示が出たのは、零式艦上戦闘機の機首に搭載された7.7mm × 2 だけでは、対戦闘機戦闘に火力不足ではないかという所から始まった。
一九四二年七月。設計主務者菊原静男による手堅い設計で、僅か七ヶ月で試作機完成。『十四試水上戦闘機』の陸上型案を一部転用していた。
一九四二年十月には審査・採用され、一九四二年十二月のソロモン戦までに前線配備されることになる。
米軍でのコードネームはずんぐりした奴を意味する「スタビー (Stubby)」。
航続距離をあえて切り捨てたことで、機体構造を強固にでき、「急降下制限速度」を大幅に引き上げた。
零戦が苦手とした「敵の急降下逃走」を、強靭な主翼と自重を活かして追いかけることを可能にして、以後米軍を悩ませることになる。
陸軍も、一九四三年一月に海軍の迅雷一型をテスト飛行。
「これこそ陸軍が求めていた隼の後継だ」と確信。一九四三年三月、中島飛行機に対し、迅雷をベースとした「キ-99」の開発を指示。
同年八月試作一号機完成。ハ112エンジンの信頼性の高さから試験は極めてスムーズに進んだ。蝶型フラップを採用し、武装は、12.7mm (ホ103)× 2 + 軸内モーターカノン20mm (ホ5)× 1。最大速度は、610km/h (高度6,000m)。
同年十一月「四式戦闘機」として制式採用。一九四四年二月、ビルマ・中国戦線へ配備開始。
迅雷の発動機は離昇1,300馬力の金星五四型を採用。カウリングは直径1,35メートル。整備性を高めて大型化していた。プロペラは直径2,9メートルでの4翅定速プロペラ。
パワーウェイトレシオは、1.94kg/hp。後の零戦五二型 (2.41kg/hp)を圧倒し、1,500馬力版(1.73kg/hp)には劣るものの、当時の世界水準ではトップクラスの加速力だった。
空母での運用や、整備の行き届かない最前線の短い滑走路に最適化された短距離離陸性能は、海軍の「要地防空 (直衛)」というニーズに基づくものだった。
全幅9,5メートル。全長8,8メートル。零戦より一回り小さくし、ロール (バンク)速度を極限まで向上している。正規全備重量 2,520kgキロ。徹底した軽量化により、パワーウェイトレシオ1.94kg/hpを達成。
翼面積は144kg/㎡。翼面荷重を抑え、低速・中速域での圧倒的な小回り性能を維持。
最大速度562km/h (高度6,000m)。エンジン径による空気抵抗のため、速度より「加速」を重視。565km/の零戦五二型と同等だが、金星の太いトルクと4翅プロペラにより、実戦での「加速」と「突き放し」では迅雷が優位に立っていた。
その上昇力は、6,000mまで6分20秒。後の零戦五二型 (7分01秒)より約40秒早く到達することができた。
航続距離は翼内燃料のみで約1,150km。300L増槽付きで約2,100km。
武装は、機首の13.2mm三式機銃 × 2。翼内には、軽量化のためあえて小口径した7.7mm機銃 × 2。防御装備は簡易防弾。
一九四二年末のガダルカナル周辺では、米軍の主力はまだF4Fワイルドキャット。562km/hの速度と強固な構造、そして加速力を備えた迅雷一型は、F4Fにとって「零戦より速く、零戦より落ちず、零戦より逃げられない」最悪の天敵となっていた。
大直径エンジン(1.35m)を採用した「迅雷」にとって、前方視界の確保は離着陸時の事故防止と、空戦時の射撃精度に直結する死活問題だった。
飛行中は常に機首が前方にあるため、カウリングの「肩」の部分が邪魔になる。
エンジンの取り付け位置を、機体の中心線よりも数センチ下方にずらして固定。これにより機首のラインがわずかに下向きになり、水平飛行時の前方視界を数度広げた。
操縦席の位置を可能な限り高く上げ (ハイチーク構造)、風防の前面ガラスをエンジンのラインより高く設定。これにより、エンジン越しに敵機を捉える際の死角を最小限に抑えた。
カウリング自体は大きいが、操縦席に向かって機体を急激に絞り込むことで、パイロットの斜め前方の視界を確保することに成功。
尾輪式の戦闘機は着陸時に機首を上げるため、巨大なエンジンが壁のように前方を遮る。
そこで、「伸縮式主脚」の技術を用いて主脚をあえて長く設計し、地上姿勢での機首上げ角度を緩やかに設計された。これにより、タキシング (地上滑走)中でも、首を伸ばせばある程度前方が見えるようにした。
フラップを深く下げることで、より低い速度で「前傾姿勢」を保ったまま着陸アプローチを可能にした。これにより、機首が跳ね上がる時間を極限まで遅らせた。
視界が悪いという弱点は、特に二型の「軸内20mm機銃」によって一部相殺されることになる。
プロペラ先端から弾が出るため、左右の翼端機銃のような「収束点 (弾道が交差する点)」を気にする必要がなく、「見えている敵の鼻先に機首を向ければ当たる」という直感的な射撃を可能にした。
一九四四年六月。マリアナ沖海戦。米海軍の新型主力戦闘機F6Fヘルキャットと、日本海軍の秘密兵器「迅雷二型」が初めて空で相まみえることになる。
二型のエンジンは1500馬力級の六二型に換装し、自動空戦フラップを追加。プロペラも4翅から5翅に変更。最小旋回半径は、約約155m〜160mから約135mに改善。翼荷重は、144kg/㎡から154kg/㎡へと悪化したが、フラップ効果で相殺。
最高速度も582km/hへと向上した。航続距離は、翼内燃料で約1,100km、300L増槽ありでの約2,000kmと装備増により一型より微減している。
だが、その武装は軸内 (モーターカノン)20mm九九式二号機銃 × 1、翼根の7.7mm機銃 × 2。防御装備も、自動消火装置・8mm防弾鋼板と一九四三年の標準的な防御レベルへ引き上げられていた。
二型でモーターカノンを採用したことにより、この機体は「ただ逃げ回る鳥」から、「絶対に後ろを取らせず、一瞬の隙に心臓部を撃ち抜くスナイパー」へと変貌した。
この二型が、史実での「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれた惨劇に投入されたことで、一型と誤認して安易に格闘戦に持ち込んだF6Fヘルキャットは大損害を受けることになった。
フィリピンのような島嶼部では、基地が点在するため極端な長距離性能は不要だ。
「航続距離は短いが、一度空に上がれば絶対に落ちない」迅雷が各島に配備されている状況は、米軍にとって「どの島の上空を飛んでも、追い払えない強力な番犬がいる」という絶望的な状況を作り出した。
250kg爆弾や多数の小型爆弾を抱えた「迅雷」襲撃機型が登場し、連合軍戦闘機は「極めて不利な低空域でのドッグファイトへと引き摺り込まれることになる。
一九四五年一月。剛を煮やした米軍は迅雷キラーとなるF8F-1B「ボブキャット」を投入。
エンジンには、R-2800-34W (2,400馬力)を採用。艦載機としての制約を捨て、迅雷と同等のロール性能を追求する全備重量4,200kg。
プロペラには、迅雷二型の5翅に対抗し、1枚の翼面積を大きくし、低空の「掴み」を強化した大直径エアロプロダクツ製の4翅を採用。
最大速度680km/h (高度6,000m)。上昇力6,000mまで4分40秒。川西の技術を徹底研究し、米軍も自動フラップを搭載していた。武装は、20mm機関砲 × 4。
双方の攻撃力が20mm級に到達し、かつ防御が「20mm直撃」を完全に防げるレベル(重戦車並みの装甲)にない以上、空戦は「先に当てた方が勝つ」という極めてシビアな早撃ち勝負へと変貌した。
ストライカーの20mm機関砲 × 4は強力だったが、左右の翼に分散しているため、特定の距離 (収束点)以外では弾道が分散した。激しいドッグファイト中、二型の軸内一門のピンポイント射撃の方が「初弾」を当てやすかった。
二型は、どの距離でも機首の延長線上に弾が飛ぶため、超至近距離でも遠距離でも狙いが狂わない。片やストライカーは、激しい空戦で距離が常に変わる中、収束点から外れると左右の弾が敵機の両脇を通り抜けてしまう「挟み込み」現象が続出していた。
迅雷一型・二型によるベテランパイロットの生存率が向上したことにより、フィリピン戦での神風特別攻撃隊が編成されることはなかった。
本土防空戦での迅雷二型の活躍もさることながら、日本本土への物資の輸送が史実よりも改善された影響が何よりも大きかった。
トルーマン大統領は、日本本土上陸作戦を早期に放棄して、原爆投下による日本の無条件降伏へとその戦略目標を切り替えていた。
機首を延長した高高度迎撃型の金星六二型 + 排気タービン (ハ112二ル相当)を搭載する迅雷三型。その三型乙の最大速度は635km/h (高度10,000m付近)。上昇力は、10,000mまで 12分30秒。
その軸内 (モーターカノン)30mm 三式三十粍機銃 / ホ155 × 1により、広島上空でエノラ・ゲイの撃墜に成功します。翼内機銃は撤去されました。
三型甲 高高度制空戦闘機(対戦闘機特化)
武装 20mmモーターカノン × 1 + 機首13.2mm × 2(翼内機銃は撤去)
三型乙 高高度迎撃機(対重爆特化)
武装 30mmモーターカノン × 1(翼内機銃は撤去)




