第三話
わたしはむさ苦しい男たちに囲まれて、朝から剣を振っていた。
武官試験は無事合格したものの、体力面では周囲と比べて明らかに劣っていた。正直どうやったって体力だけは敵わない。朝の鍛錬だけでへとへとだ。
(もう一週間……。まだバレてないみたいだけど、さすがに限界が近いかも)
休憩の号令にわたしは詰まっていた息を全部吐き出した。真っ先に水分の補給へ向かう新人たちに紛れて、わたしも乾いた喉に水を流し込む。
平然としている先輩たちの体は一体どうなっているんだろう。
「お前は目立つな」
「っ!」
そのとき背後から声をかけられ、わたしは咄嗟に振り返る。
全然気配が感じられなかった。そんなわたしの殺気立った警戒に気づいたのか、大柄な男は両手を上げて首を横に振る。
「盧江碧、お前の同期だ。怪しい者じゃない」
「……悪い」
背丈はわたしよりも頭は二つ分ほど大きい。体格もいいのに、全く気付けなかった。
わたしはどくどくとまだ鳴り続けている心臓を抑えながら、咳払いをして声の調子を整えた。そして懸念していることをおそるおそる尋ねてみる。
「……目立つか?」
「そりゃ、目立つさ。みんなお前を見てる」
江碧に言われてから、わたしはきちんと顔を上げて周囲を見渡した。誰もがちらちらとこちらを盗み見ている。
まさか、すでに。
「合格者はみんな剣術よりも力に物を言わせてきたようなやつらだ。でもお前は違った。誰よりも小さいのに、試験で軍隊長に唯一褒められていた。だろ?」
よかった。性別がバレているわけではないらしい。
わたしは安堵しつつも、自分に女性としての魅力がないことをひっそり嘆く。
思源は男の恰好をしていても勘違いで告白されたというのに、わたしは……。
「みんな図体を持て余しているだけだろ」
ぼそっと本心を言ってみると、江碧は少し目を瞠ったが、すぐにふっと笑った。
「違いねえな」
そのとき、不意に隣の会話が耳に入ってきた。
──聞いたか? 正五品の才人さまが突然賢妃になったらしいぜ
わたしはいつも通り耳を澄ませておく。情報収集は重要だ。
とはいえ、その話題は今までと違ってかなり異色だった。いつもなら外朝の話が舞い込んでくるが、後宮の話とは珍しい。
もしかして、と脳裏に思源がよぎり、さらに耳を傾ける。
──まじ? めっちゃ賢いってことじゃねえの、それ
──そうなんだよ! しかももちろん、美人!
──どこからその話聞いたんだよ
──軍部を出入りしてる宦官がいるだろ? その人が後宮ではもっぱら噂だって教えてくれたんだよ。しかも官吏登用試験に女性の受験に導入されたら一発状元及第は確実だろうって!
背筋に冷たいものが通った気がした。
それは思源の可能性が大いにある。というか、そうに違いない。
──名前は?
(名前は⁉)
──それが教えてくれなくてよ。珍しい苗字だって言ってたぜ
わたしは思わず太ももを殴った。
(そこが一番重要なのに!)
しかし思源の可能性は上がった。沈という苗字はあまり他では見かけない。
「よくやる妃嬪がいたもんだな」
「そ……そうだな」
江碧への相槌もそこそこに、必死に頭を回転させた。
どういった経緯があったのかは知れないが、もし思源が本当に賢妃になったのであれば、かなりの危機に陥っているのではないか。
どう動こう。
さらに考えこもうとしたとき、切迫感のある号令が鼓膜を震わせた。
「陛下のお成りである! 総員、ただちに整列!」
(陛下⁉)
つまりは皇帝。
周囲は一瞬ざわめいたが、すぐさま各々位置につく。わたしは少し遅れながらも前列に並んだ。
新人は一番前、と決まっている。
殿の奥から姿を現したのは、素晴らしい衣裳に身を包んだ美丈夫だった。優雅に石畳を歩いてくる。
彼は軍の人間のように筋肉質というわけではないが、体格もよければ肩幅もあり、為政者としてふさわしい風格を醸し出している。鋭い眼光は整列する武官らを一瞥し、さらに前列の新人らへじっくりと向けられた。
(あれが冷酷非道な現皇帝……)
わたしは逃げたくなる威圧感に耐えながら背筋を張った。
そのとき、一瞬目が合ったような気がした。
皇帝はこちらを見て眉根を寄せたかと思うと、すぐにそばに立っていた軍隊長へ耳打ちする。軍隊長はなにやら引き留めたがっているようだったが、皇帝は訊く耳を持たず、階段を降りてきた。
そして一番端にいた新人の一人の前に立つ。
「名乗れ」
皇帝の放った一言で、全員の背筋が凍った。
一人目は震えながらも大声で名を口にする。
「そうか。次お前だ」
皇帝は隣にも問いかける。
(来る──!)
バレてしまったのだろうか。合ってしまった視線を思い出して、わたしは震える拳を握り込んだ。
もしそうなら、命はない。
一人、一人と皇帝は名乗らせた。
そして、わたしの前にも彼はやってきた。
「お前、名は」
「……沈思源と申します」
他の新人と同じように、わたしは名乗る。しかし皇帝は隣の江碧には目もくれず、わたしの前で足を止めた。
周囲のすべての視線が刺さる。
こいつは何をやらかしたんだ? そんな声が聞こえてくる気がする。
すると、皇帝はわたしに手を伸ばした。
「主上! お手が汚れ──」
「うるさい」
顎に手が添えられ、わたしは上を向かせられる。皇帝の視線はわたしの顔面へと降り注がれていた。
「沈……、それにその顔。もしや、"武に長けた妹思いの兄"か?」
わたしは息を飲まずにはいられなかった。しかし、もし思源が賢妃となっているなら、皇帝に近づくのは悪いことじゃない。
わたしははっきりと頷いた。
「はい、噂のことをおっしゃっているなら、沈桃夭の兄は私です。情けないながら、妹の後宮入りが心配でついて参りました」
「この体格で本当に武官試験を通ったのか? 不正ではあるまいな」
疑われるのも仕方ない。
わたしは腰に刺さっている剣を見下ろして、進言してみることにした。こんな機会、二度とないだろう。
「陛下に手合わせをご覧いただくことは可能でしょうか」
皇帝は一瞬、目を丸くした。ような気がした。
しかしすぐに口角を持ち上げてみせる。
「たいした度胸のあるやつだ。──おい、お前手合わせの相手をしてやれ」
皇帝は参列後ろにいた、先輩武官を指さした。わたしが一歩前に出ると、その人は少し顔を歪めつつも、決心を固めたのか前に出てくる。
わたしは指定された場所に立ち、試合開始の合図を待った。
彼の手は震えている。首ががら空き、手には必要以上に力が入ってしまっている。
皇帝様とはすごく恐ろしい人なのだろう。でもわたしにも目的がある。
「はじめ!」
すぐに決着をつける必要があった。そして、目に見えて圧勝だとわかる結果も。
相手の力の入りすぎた肩が持ち上がり、剣が降り上げられる。わたしは数歩後ずさると、彼の横を潜り抜けた。おそらく鍛錬ばかりで実践経験が足りないのだ。
背後に回ると今度は背中が無防備になっている。皇帝の人選には感謝しなければならない。
わたしはその背中に一つ蹴りをお見舞いした。姿勢を崩した彼は派手に前方へ倒れ込み、わたしはその背中に剣を突き付ける。
「──勝負あり!」
その一言で試合は閉められた。
一瞬の出来事で、場内はしんと静まり返る。
しかし、すぐにわっと湧き立った。武官試験のあったあの日と同じように。
「ふう……」
わたしが剣を腰に収め、息を吐いたそのとき、全身が総毛立った。背後のわずかな気の揺れに、咄嗟に体を伏せる。
瞬間、鋭い金属音とともに頭上を銀色の何かが日光を反射しながら通り過ぎる。
「──っ」
それは、本物の(・・・)剣だった。
正真正銘、人を殺すために作られたものだ。
(うそ、でしょ……⁉)
ざわめきは一瞬で掻き消えた。代わりに聞こえてきたのは、喉の奥でくつくつ笑う男の声。
「沈思源といったか? 見事なものだ。相手が弱いから運良く勝ったものだと思ったが、本物だったようだな」
わたしは早鐘を打つ心臓に聞こえないふりをして、拱手の姿勢を取る。
あの剣の位置。明らかに心臓を狙っていた。本気で殺すつもりだったのだ。
「期待以上だ」
「あ……ありがたきお言葉」
「してお前、可愛い妹のためならどこまでできる」
わたしは意図を測りかねた皇帝の言葉に目を瞬かせて、首を上げた。
「『どこまで』……とは」
「愛する妹のために、お前の男を切り捨てられるか」
(は?)
皇帝の目が細められる。周囲は当然のようにどよめいた。中には短く悲鳴を上げて股間を隠すやつまでいる。
わたしは正直、引いていた。
(この人、悪趣味っていうか……どんな環境で育ったらそんな考えができるの)
わたしの呆れた顔を見て、皇帝は眉を持ち上げ、さらに鼻で笑う。
「所詮、その程度か。浅い兄弟愛だな──」
「……っ、できます」
見え透いた挑発だったが、わたしはカッとなって答えていた。
男もなにもない。わたしは女なのだから。
皇帝はさすがにびっくりしたようだった。一瞬きょとんとさえするが、すぐに腹を抱えて笑い出す。
「お前、頭の螺子でも外れているのか?」
「つまり、陛下はこうおっしゃりたいのでしょう。武官である私に、後宮で宦官として働けと」
「そうだ」
「そして、陛下は妹に少々手を焼いている」
先ほどから思源のことを、厭味ったらしく『妹思い』だとか『可愛い妹』と言っているのが引っかかっていたのだ。
皇帝は深く頷いた。
「よくわかっているようだな。お前は兄として妹をしつけ直せ。──あの女は賢妃に召し上げて以降、必要最低限の返事しかせず、夜伽も執拗に拒む。そろそろ苛立ち始めていたころだ。余に殺されたくなければその下衣を脱げと兄から説教しろ」
そりゃあ、脱ぎたくないでしょうよ。バレたら終わりなんだもの。
わたしは内心で思源に同情しながらも、再び頭を下げた。
「御意」
これで後宮に入ることができる。僥倖だ。
皇帝は大人しいわたしの態度に満足げにすると、軍隊長に声をかけた。
「こいつは余がもらっていく。残りは要らん、せいぜい励め」
かくして、わたしは後宮で働くことになったらしい。
運がよかったと言っていいのか……正直わたしはこのトンデモ皇帝と顔を合わせる頻度が増えると思うと、少し憂鬱でもあった。




