8話 ヘビーローテーション
その日の夜。
蒼真は自分の部屋のベッドに腰掛け、天井をぼんやりと見つめていた。
普段なら、店を閉めた瞬間に“仕事モード”は切り替わる。
「疲れた」「シャワー浴びよう」「明日の準備しなきゃ」
そんな単純な思考で一日が終わっていくはずだった。
——けれど、今日は違った。
(……シャンプーのとき、距離、近かったな)
頭に触れたときの感覚。
カラーを塗布していたとき、鏡越しに感じた視線。
駅までの帰り道の沈黙が、なぜか心地よかったこと。
ひとつひとつが、何度も、何度も、
まるでスローモーションの映像みたいに蘇ってくる。
(……俺、馴れ馴れしかったかな)
(いや、逆にちゃんと話した方がよかった……?)
(ていうか、そもそも俺、あんな喋り方だったか?)
考えても考えても、正解なんて出ないはずなのに、
止めることができなかった。
胸の奥が、ずっとふわふわしている。
落ち着くどころか、意識すればするほど温度だけ上がっていく。
(……なんだこれ、めんどくせぇ)
そう思うのに、思考は勝手にまた戻る。
亜里沙の笑顔。
「ありがとう」と言った声。
駅の明かりの下で見上げた横顔。
——全部、忘れられない。
時計を見ると、いつの間にか 0:17 を過ぎていた。
体は確かに疲れているのに、まったく眠気がこない。
蒼真は枕に顔を埋め、小さく息を吐いた。
(……明日、学校……)
そのはずなのに、眠れなかった。
◇◆◇
——次の日。
結局、蒼真は朝方までほとんど眠れなかった。
頭の中では昨日のことが、まるでリピート再生される映像みたいに延々と続いていた。
(……やべ。寝てない)
ふらつきながらも学校へ向かい、昇降口から教室へ歩いていく。
ガラリ。
扉を開ける瞬間、昨日見た夢が思い出される。
——「おはよー、昨日はありがとね」
夢の中の亜里沙の声。
あれを、ほんの少しだけ期待してしまっていた。
(……バカだ俺)
髪は寝癖のまま、いつものボサボサ。
いつもの陰キャスタイルのまま。
教室に入った蒼真は、余計な視線を感じないようにまっすぐ自分の席へ歩く。
期待していた自分をごまかすように、表情はいつも通り、無。
誰からも声がかからなかった。
(……そりゃそうだよな)
引き出しに教科書をしまい、筆箱を出し、机に肘をつく。
胸の奥に、うまく言葉にできない空白だけが残る。
キーンコーンカーンコーン。
担任の桃原(通称:ももちゃん)が教室に入ってきた。
「はーい、出席とりまーす。今日は遅刻……ありちゃんだけ?」
教室が少し笑いに包まれる。
蒼真は、ほんの少しだけ息を吐いた。
(声をかけられなかったわけじゃなくて……そもそも来てなかった、ってこと)
胸の奥にあった“言い訳できない沈黙”が、ほんの少しだけ軽くなる。
——安心したのか、あるいは、疲れが限界だったのか。
1限目が始まると同時に、猛烈な眠気が襲ってきた。
(……寝る。無理)
蒼真は、そのまま机に伏せた。
深い深い眠りに、すぐ落ちていった。
午前の授業が終わり、昼休みになった瞬間だった。
ガラッ——!
教室の扉が勢いよく開き、亜里沙が駆け込んでくる。
「ごっめーん!寝坊して二度寝した!!!」
そのまま友達の島に走り込み、全力で状況説明。
周りは「あーやりそう」「朝弱いもんね」と笑い声が広がる。
一方その頃——
蒼真は机に突っ伏したまま、昼チャイムと同時に完全睡眠に入っていた。
昨日の夜、ほとんど寝ていないのだから当然だ。
(いやむしろ、よくここまで耐えた)
と言いたくなるほど、綺麗に爆睡している。
そんな中。
亜里沙の髪に、取り巻きたちが一斉に集まった。
「え、髪染めたの!?」 「可愛い!色綺麗すぎ!」 「どこの美容室?紹介して!!」
亜里沙は、これが来るのはわかっていた、という顔で肩をすくめる。
「昨日ね〜。ちょっと時間作れたから行ってきた」
そこへ、クラスでもっとも女子人気の高い男子——
七宮 優 が歩み寄る。
「へぇ。いい色だね。担当の人、腕いいわ」
さらっと、自然に褒める。
こういうところが“モテ男”と呼ばれる所以だ。
亜里沙は、どことなく得意げな笑みで返した。
「でしょー」
——そのあと。
亜里沙は、なにげない風を装いながら視線を教室後方へ流した。
そこには、机に伏して眠っている蒼真。
(……寝てるし)
一瞬だけ肩の力が抜け、思わず小さく笑ってしまう。
髪を褒められたのは、もちろん嬉しい。
でも——
自分が褒められたことよりも、蒼真が褒められたことの方が嬉しいと感じている自分に、気づいてしまう。
(一緒に “すごいね” って言いたかったんだけどな)
でも、寝てるなら仕方ない。
そう自分に言い聞かせ、いつも通り友達との会話に戻る。
——ただ、胸の奥がほんの少しだけ温かかった。
その違いに、まだ本人は気づかない。
読んでいただきありがとうございます。




