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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。


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7話 リタッチ

席へ戻ると、蒼真は一度道具の準備のため離れていった。

 亜里沙はぼんやりとさっきの感触を反芻し、我に返るまでにすこし時間がかかる。


 雑誌が渡され、やっと意識が現実へ戻った。


 「始めるね」


 調合された薬剤を手に、蒼真が戻ってくる。

 うなじから作業がスタートし、黒い部分の根本だけに丁寧に薬剤を塗布していく。


 (……こんな真剣な顔、学校じゃ見たことない)


 と思いながら、つい鏡越しに見入ってしまう。


 「……ごめん、プレッシャーかけちゃうから気にしないで。雑誌読んでていいよ」


 「あ、うん。……そ、そうだよね」


 慌てて雑誌を開くが、内容は一文字も頭に入らない。


 (やば……私いま“ガン見”してる。前と同じじゃん……)

 (私、これ……ちょっとキモくない?)


 自分で自分にツッコミを入れ始めたところで、蒼真が一瞬手を止めた。



「よし。——一回目終了。熱、入れるからラップ巻くね」


 蒼真は頭全体をふんわりラップで覆い、熱を当てるセッティングに切り替えた。


 「しばらく時間置くよ。お茶持ってくる」


 渡されたカップを持つと、亜里沙の指先から少し緊張が抜けていく。


 (落ち着かなきゃ…見すぎ…絶対見すぎ…)


 だが内心はずっと落ち着かないままだった。


 ピピピッ。


 タイマーが鳴り、蒼真が戻ってくる。


 「じゃあ——2回目塗布するね。今度は毛先まで全体にのせるから」


 そう言って蒼真はラップを外し、薬剤を再度ハケに取りながら説明を添える。


 「1回目は黒い部分を抜く工程。2回目は“色を髪に定着させる酸化”だから——ラップは使わないよ」


 その言葉に、亜里沙は思わず瞬く。


 「へぇ……そんな違いあるんだ」


 「うん。ここは空気に触れさせるほうが綺麗に色が入る」


 そう言いながら、蒼真の指が毛先を通る。

 その丁寧な手つきに、視線がまた引き寄せられてしまった。


 「——雑誌、読んでていいよ」


 見られていたのに気づいた蒼真が、苦笑混じりに言う。


 「…あ、うん。そうだよね」


 誤魔化すように雑誌へ目を落とすが、やはり文字は一文字も入ってこなかった。



時間が、さっきまでよりもゆっくりと流れていた。

 2回目のシャンプーを終え、亜里沙は再び鏡の前の席へ戻る。


 蒼真は器具を片付けながら、ふと後ろを振り向き——


 「父さん、お願いします」


 その言葉に、亜里沙は思わず目を瞬かせた。


 (えっ……今の、“父さん”?)


 すぐに奥の方から、落ち着いた雰囲気の男性が姿を見せる。


 「こんばんは。亜里沙さん、だね」


 柔らかな声と、自然な笑み。

 きっとこの人が——店長であり、蒼真の父親だ。


 「蒼真、シャンプーからの流しは良かったぞ。ただ、こいつまだブローは下手くそだからさ。ここからは俺が仕上げるよ」


 「お願いします」


 蒼真は素直に頭を下げ、父の動きを後ろでじっと見つめる体勢に入った。


 ——ドライヤーの音が、店内に静かに響く。


 無駄のない指の動き、毛流れを読み切ったコーミング、艶を逃さない風の当て方。

 動作一つ一つが、美容雑誌の撮影シーンのようだった。


 (……すごい)


 亜里沙は鏡越しに、息を飲んでしまう。


 蒼真はというと、真剣な視線で父のブローを一つ一つ噛みしめるように見ていた。


 その姿からは、

 “背中を追っている”

 という感情が、言葉にしなくても伝わってくる。


 やがて——


 「はい、完成」


 父がドライヤーを止めた瞬間、空気がふっと軽くなった。


 鏡の中には、

 透明感のあるアッシュに染まった、自分の髪が揺れている。


 光を受けるたびに滑らかに艶が走り、

 まるで雑誌のモデルそのもの——いや、

 自分史上一番 “綺麗” だった。


 「……すごい。ほんとに、すごい」


 感想が自然にこぼれた。

 同い年の同級生に染めてもらったなんて、とても信じられない仕上がり。


 クロスが外され、蒼真が一言。


 「お疲れさまでした」


 それだけなのに、不思議と胸がぎゅっとなる。


 亜里沙も席を立ち、微笑みながら返した。


 「ありがとうございます」


 二人の視線が一瞬だけ絡む。

 それは短い時間——でも、十分だった。


 何かが確かに動いた夜だった。



施術スペースから待合へ戻ると、店内はすでに片付けが始まっていた。

 蒼真の父が「気をつけてね」と穏やかに声をかけ、店の奥へ戻っていく。


 外へ出ると、夜風がそっと頬を撫でた。

 昼間の熱気は消え、静けさだけが街を包んでいる。


 「送るよ。駅まで近いけど」


 蒼真の一言に、亜里沙は小さく笑って頷いた。


 並んで歩き始める。

 会話はない。

 でも、不思議と気まずさはなかった。


 コツ、コツ、コツ——


 靴音が二人の歩幅を揃えていく。

 横目に映る蒼真は、やっぱり昼とは違う“美容師の顔”のままだった。


 (なんでだろ……安心する)


 沈黙が続くのに、胸だけじんわり温かい。

 それが亜里沙自身にも、少し意外だった。


 ゆっくり歩くせいか、駅までの道がいつもより長く感じる。


 信号で立ち止まったとき、亜里沙がふいに口を開いた。


 「今日ね、ほんとに来てよかった」


 蒼真は一瞬だけ目を丸くして、そらしていた視線を戻す。


 「……ありがとう。そう言われると、救われる」


 短い返事。

 でも、その声音には嘘がなかった。


 青信号。


 歩き出す二人。

 距離はほんの少しだけ近くなる。


 駅の階段前に着くと、自然に足が止まった。


 「じゃあ……また学校で」


 「……うん。おやすみ、蒼真」


 「おやすみ」


 お互い、背を向けないまま少しだけ笑い合ってから、ゆっくり別れる。


 階段を上る亜里沙は、そっと髪に触れながら思った。


 (ほんとに……特別な夜だった)


 空は深く、澄んだ紺色。

 胸の奥に残った熱だけが、いつまでも冷めなかった。



読んでいただきありがとうございます。

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