6話 シャンプー
待ち合わせの時間ちょうど。
亜里沙は、サロンの前で立ち止まった。
「……ここかぁ〜」
ガラス越しに見える温かい照明と、営業後とは思えない活気。
扉へ手を掛けた瞬間、胸が小さく高鳴る。
カラン、とドアベル。
中にはまだお客が一人残っていて、その横で蒼真がアシスタント作業をしていた。
学校で見ていた姿とは違う——無駄のない手つきで、真剣な横顔。
そしてもう一つ、すぐに気づくことがあった。
(髪……全然ちがう)
学校ではテンパ気味でボサボサ、寝癖のついた前髪で顔が隠れていた彼。
だが今は、ゆるくパーマがかかった髪がきれいに整えられ、
長い前髪は頭頂部の方へまとめて結ばれている。
表情がよく見えるせいか、雰囲気そのものが別人だった。
(同じクラスのはずなのに……なんか、別人みたい)
「……いらっしゃいませ」
気づいた蒼真が、すぐに近づいてくる。
その声と表情には、教室とはまるで違う“プロの空気”が宿っていた。
「今の作業、片付いたらすぐ行くから。あっちのソファーで座って待ってて」
落ち着いた口調。
店の中ではオドオドした影が一切ない。
亜里沙は素直に頷き、案内されたソファに腰を下ろした。
店内を見渡すと、シザーの光も、オイルの香りも、
“サロンという世界の空気”が全身に染み込んでくる。
やがて片付けを終えた蒼真が戻ってきて、軽く頭を下げた。
「お待たせ。……待った?」
「ううん、全然」
「ごめん、バタバタしてて。じゃあすぐ始めるね」
鏡の前の席へ案内され、タオルをかけられる。
蒼真はカラーチャートを開き、落ち着いた声で尋ねた。
「何系の色がいい? ブラウンベースだから、アッシュ系も似合うと思うけど」
その言い方が、やけにプロっぽい。
亜里沙は口元を緩ませ、わざといたずらっぽい表情を見せた。
「ん〜、おまかせ〜」
蒼真は一瞬だけ考え、すぐに提案を返す。
「じゃあ——アッシュで、ツヤを残して軽めにいくね」
「じゃ任せよっかな〜」
ぽんぽんと話がまとまり、
蒼真は流れるような動きで席を離れる。
「じゃあ、シャンプー台行こっか」
蒼真がそう声をかけ、手で軽く誘導する。
亜里沙は席を立ち、彼の少し後ろを歩いていく。
店内の照明は鏡前より落ち着いていて、シャンプー台の周りだけが柔らかな光に包まれていた。
その空間は、まるで別の世界に隔離されたみたいに静かだった。
コトン。
備え付けの椅子に腰を下ろし、ゆっくりと身体を預ける。
蒼真が首元にクロスをそっと巻き、後頭部を支えながら言った。
「少し倒すね。重さは気にしなくていいから」
促されるまま身を委ねると、椅子がゆっくり倒れていき、視界が天井へと変わる。
倒れきるその瞬間——
蒼真の顔が思ったより近くて、亜里沙の心臓がきゅっと跳ねた。
(ち、ちか……!)
一瞬だけ息が止まりかけたところで、フェイスタオルが額にふわりと乗せられ、ようやく意識が落ち着いた。
シャーーー……
勢いあるシャワー音が響く。
それなのに、しぶきが一滴も顔にかからない。
「お湯加減、どぉ?」
「うん、平気」
(へぇ……うまい……)
思わず心の中で感心する。
「カラーの前だから、弱めで洗うね」
そんな説明をされたのは初めてだった。
次の瞬間、蒼真の指先が髪と頭皮をやさしく滑り始める。
——優しく、一定のリズムで。
強すぎず、弱すぎず、ちょうどいい力加減。
会話はないのに、心が落ち着いていく不思議な感覚だった。
(なんか……眠くなる……)
流し終えると、蒼真は丁寧にタオルドライをしていく。
余計な摩擦のない拭き方に、また小さく感心する。
トントン、と軽く頭に触れる手つき。
まぶたが自然と重たくなるほど心地よかった。
「じゃ、鏡の前戻るね」
案内されて席に戻ると、蒼真はドライヤーを手に取った。
風は熱すぎず、近すぎず、心地よく髪の間を抜けていく。
(シャンプーって……こんなに気持ちよかったっけ)
乾いていく自分の髪を眺めながら、亜里沙はぼんやりとそう思った。
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