第4話 勇気
そして翌日。
蒼真は教室の席につきながら、ずっと考えていた。
(……やっちまった)
日曜のカラーモデルの約束はした。
しかし——肝心の店の名前を伝えていなかった。
自分から声をかけるべきか。
でも、いつも亜里沙の周りには人、人、人。
取り巻きという名のガードが厚すぎて近づけない。
(陰キャスタイル、こういう時だけホント不便だ……)
声を掛けた瞬間、周りの女子に変な目で見られる未来が秒で想像できる。
そのプレッシャーに押され、蒼真は 「声を掛けられるまで待つ」 という最弱の選択を取った。
——結果。
木曜日の放課後まで、蒼真と亜里沙は一言も会話しないまま時間が過ぎた。
(なにしてんだ俺……)
自分でもわかっている。
けれど、一歩が踏み出せなかった。
***
その日の夜。
美容学校の実技室で、蒼真は稲垣亜由美に相談を持ちかけた。
「……日曜に自分の店でカラーモデルする約束した子がいるんだけどさ。」
「おおっ! やっと青春が始まったじゃーん」
亜由美は、まるでネタを拾った芸人のようにニヤニヤが止まらない。
「取り巻きが多くて近づけない。しかも俺、陰キャスタイルだし……声かけたら迷惑かなって」
すると亜由美は、わざとらしく深いため息をついた。
「ねぇ蒼真。美容師ってさ、**“見た目で説得する職業”**でもあるのよ?」
「……つまり?」
「学校モードじゃなくて“サロンに立つ自分の姿で”話しかけなってこと。髪結んでさ。ちゃんと顔出して整えて、堂々と声かけなよ」
蒼真は思わず眉をひそめた。
「……朝ギリギリまで寝たいんだけど」
「知るかっ」
亜由美は呆れながらもニコニコしている。
「いいじゃん。どう見ても向こうは嫌がってなさそうだし。むしろ、期待してる感じだったよ?」
蒼真は視線を落とし、しばらく黙ったあと、
「……わかった。やってみる」
と、小さく答えた。
「よろしい。明日結果聞かせなよ!」
ぱんっと背中を軽く叩かれ、実技に戻る。
***
家に帰り、店の片付けを終え、自室のベッドに倒れ込む。
(本当にうまくいくのか……俺に、できんのか?)
自分の手は髪を扱うためにある。
けれど“人の心”を扱う自信は、まだほとんどなかった。
それでも明日は来る。
そして明日は——逃げられない。
不安と期待が 1:1で入り混じった夜だった。
昨夜はなかなか寝つけず、気がつけば外はもう白んでいた。
(……最悪。寝坊した)
鏡の前に立つ余裕もなく、ボサボサの髪のまま家を飛び出す。
結局いつもと同じ“陰キャスタイル”のまま学校へ向かうことになってしまった。
(亜由美さんに言われたのに……よりによって今日に限って)
胸の奥がざわつき続けるまま、教室のドアを開ける。
がやがやと賑やかな声。
その中心には、今日も変わらず亜里沙がいた。
取り巻きが楽しそうに笑い合い、誰かがスマホを見せ、別の誰かが声を弾ませる。
その輪に割って入れる気なんて、当然ない。
蒼真は視線を交わさぬよう、そっと自分の席へ向かうと机へ突っ伏した。
(……結局、昨日と同じじゃないか)
声をかけられなかった。
近寄るすきもなかった。
ただ 時間だけが、いつも通り流れていった。
黒板の文字が増えても、チャイムが鳴っても、心だけはずっと昨日のまま止まっていた。
(本当にこれでいいのか……)
けれど、動き出す勇気はまだ少し遠い。
そうして金曜の午前は、何も起こらないまま過ぎていった。
結局、声をかけられないまま教室を出て、気づけば美容学校に着いていた。
校舎までの道のりをほとんど覚えていない。それほど頭は混乱していた。
(やばい……本当に何も伝えてない)
日曜のリタッチを約束したくせに、
店の場所も、連絡手段も、何一つ渡していない。
焦りが胸を締め付ける。
このままじゃ、約束そのものが成立しない。
ロッドを触る指に、わずかに力が入らない。
「……で? どーだった?」
いつものペア、亜由美がニヤニヤ顔で覗き込んできた。
蒼真は、観念して短く答える。
「……ダメだった。話しかけられなかった」
「ほら来た〜っ! もう完全に予想どおり!」
亜由美は笑いながら肩を軽く小突く。
「で? 店の場所は?」
「言ってない」
「連絡先は?」
「知らない」
「……蒼真?」
亜由美は、スマホで照明を顔の下から当てたホラーのような表情で、ゆっくり言った。
「それ、約束してないのと一緒だからね?」
蒼真はうなだれるしかなかった。
「……わかってる」
「そりゃ焦るでしょ。リタッチする日曜って明後日だよ?」
「…………焦ってるよ」
「で、連絡先は?」
「……知らない」
「いやそれもう、ほぼ詰んでる状態じゃん」
蒼真は言い返せなかった。
自分の不器用さを、これ以上言葉でごまかすことはできない。
亜由美はこれ見よがしに大げさなため息をつき、腕を組む。
しかし次の一言は、いつもの軽口とは違う落ち着いた声だった。
「いい? 明日もう一回だけチャンス作りな。土曜に動ける時間はあるんでしょ? 逃したら次はないよ」
その言葉は真剣だった。
(……逃げたいわけじゃない)
胸の奥が、ちくりと痛む。
蒼真は小さく息を吸い、俯いたまま答えた。
「……わかってる。明日こそ」
亜由美は、そこでようやく微笑みに戻る。
「よろしい。じゃあ今日は手ぇ動かそ。ほら、集中集中」
——逃げない。
今度こそ、本当に。
そう胸に刻み、蒼真はロッドを握り直した。




