3話 コーム
数日が過ぎ、クラスもようやく落ち着きを見せ始めた頃。
いつものように前を向いて授業を受けていた──そのはずだった。
視界の端にある、明るい金髪。
ふと目線がそちらへ吸い寄せられる。
(金髪……それと、生え際の黒)
根本と毛先の色の差。その境界。
綺麗なブリーチ毛ならではの、絶妙なコントラスト。
蒼真の目は、無意識にそこへ固定されていた。
(……ふむ)
一秒、いや二秒。
凝視まではいかなくとも、明らかにそちらへ意識を奪われる。
その金髪の主──瑠璃ヶ浜亜里沙は、まったく気づいていない。
蒼真はすぐに視線を黒板へ戻し、何事もなかったように授業へ意識を向けた。
しかし、そのわずかな一瞬は 決定的な誤解 を生むことになる。
***
昼休み。
今日も亜里沙の周囲には人だかりができていた。
「ねえ聞いた? さっき授業中にさ〜、亜里沙のことガン見してたやついたんだけど!」
「マジで? 誰それ!」
「狙ってるよ絶対〜。ねぇ気をつけなよ?」
女子たちのボルテージは上がる一方。
「誰だっけ? あいつあいつ。……ほら、あの陰キャくん」
「あー……米倉くん?」
名前が出た瞬間、女子の一人が肩をすくめた。
「えー、無理無理。なんか暗いじゃん」
「全然タイプじゃないよね」
その中心で、亜里沙だけがスプーンをくるくる回しながら、
「ん〜……どうだろ。そういう感じには見えなかったけどなぁ?」
と小さく呟いた。
女子たちは、その曖昧な笑顔を“肯定”と取ることなく、また別の話題へと移っていく。
その頃、問題の本人──俺はというと。
「……すぅ」
机に突っ伏し、夢の世界の真っ只中だった。
昼休みに睡眠時間を確保しなければ、夜の授業に響く。
だから、恋の噂が流れていようと関係ない。
亜里沙はふと、寝ている俺を横目で見る。
(あの目……狙ってるっていうより──なんか違和感)
小さな違和感は、まだ名前を持たない。
でも、亜里沙の中で“興味”という芽だけは、確かに生まれていた。
放課後、駅へと向かう途中でふと違和感に足が止まった。
(……あれ?)
肩掛けバッグのサイドポケットをまさぐり、絶望する。
コームがない。
今日の実技はブロッキングの授業だ。コームなしなんて話にならない。
「最悪……」
鞄を握りしめ、蒼真は全速力で学校へ引き返した。
教室に戻ると、机の中に忘れられたコームがひょっこりと顔を出している。
(……あった)
胸を撫で下ろし、急いで廊下へ出ようとした、その瞬間だった。
「──あっ」
扉の向こう側にいたのは、瑠璃ヶ浜亜里沙。
正面衝突しそうな距離で、二人の視線がぶつかる。
「ごめんね、びっくりした?」
笑顔で立ち止まる亜里沙に対し、蒼真は視線をそらしながら通り抜けようとする。
「急いでるから」
「ちょっと待って。ねぇ、授業中見てたって本当?」
足が止まる。
その言葉に、蒼真は一瞬だけ彼女の頭部へ視線を上げた。
金と黒の境界。
「……その髪、黒い部分。そろそろリタッチしたほうがいいなって思っただけ」
亜里沙は目をぱちぱち瞬かせ、次の瞬間ふっと苦笑する。
「あー……やっぱバレちゃうよね。クラス替えで予定詰め込みすぎてさ、サロン行けてなくて」
「なんでそんなこと気づくの? 美容師?」
「……美容学校に通ってる。今ちょうどリタッチの練習してて、モデル探してるところ」
その言葉に、亜里沙の目がきらりと光った。
「それって──ただでやってくれるの?」
蒼真は引き気味に眉を寄せ、ほんの少しだけ肩をすくめた。
「……ただ、だよ」
次の瞬間、亜里沙の顔がぱっと輝く。
「じゃあ! よろしくお願いしますっ」
手を合わせ、ニパッと笑う。その破壊力は、さすがモデル。
蒼真はたじろぎながらも頷いた。
「……じゃあ、今週の日曜の夜でいいなら」
「空いてるよ。ぜんぜん大丈夫!」
「助かる。じゃあ──また後で」
そう言いかけたところで、蒼真は自分が専門学校の集合時間ギリギリだと気づく。
(やば)
短く会釈し、今度こそ本当の意味で駆け出した。
廊下に残された亜里沙は、ふわりと髪を撫でながら呟く。
「リタッチかぁ……なんか楽しみ」
その表情は、さっきまでの“人気者ヒロインの微笑み”とは少し違っていた。
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