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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。


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14話 もやもや

席替えが終わり、教室はいったん落ち着きを取り戻した。


 けれど、完全にいつも通りかと言われれば、そうでもない。

 席が変わったばかりの空気はどこかよそよそしく、

 クラスメイトたちも、無意識のうちに周囲を気にしている。


 蒼真は二限目が始まっても、

 まだ席替えの余韻から抜けきれずにいた。


 後ろの窓際。


 蒼真にとっては、理想的なポジションだ。

 人の視線は届きにくく、静かで、落ち着ける。


 ——はずだった。


 ノートを開き、黒板へ視線を向けたとき、

 ふと、違和感に気づく。


 (……ない)


 いつも、なんとなく目に入っていたもの。


 自分が染めた、

 あのアッシュの色。


 亜里沙の席は、もう視界にない。

 席替えをしただけの、ただそれだけのはずなのに、

 黒板と机の間にあった“いつもの景色”が消えていた。


 蒼真は、ペンを動かしながら、

 無意識のうちに前方を探してしまう。


 自分で染めた髪。


 派手すぎず、でも埋もれない色。

 ムラも少なく、仕上がりには正直、かなり自信があった。


 授業中にぼんやり眺めるのが、

 密かな楽しみだったことに、

 このとき初めて気づく。


 (……そんなに見てたっけ)


 自分でも少し不思議に思いながら、

 蒼真は視線をノートに戻した。


 ただ席が変わっただけ。


 なのに、

 なぜか落ち着かない。


 教室は静かで、授業は進んでいる。

 それでも蒼真の中では、

 何かがほんの少し、ずれてしまった気がしていた。



四限目が始まる少し前。


 教室はまだざわざわしていて、

 席替え直後特有の、落ち着かない空気が残っていた。


 蒼真は新しい席で、ノートとペンを机に出す。


 窓際。

 静かで、居心地は悪くない。


 ……はずなのに。


 隣の席に座る瑠華が、ふいに顔を上げた。


 「あ、ありさ」


 その声につられて、蒼真も反射的に視線を上げてしまう。


 そこにいたのは、亜里沙だった。


 廊下側の席から、自然な足取りでこちらに来ている。

 誰か特定の人に向かっているというより、

 “友達の席に寄っただけ”という雰囲気。


 「ねえ瑠華、さっきのプリントさ——」


 亜里沙は瑠華の机の端に、軽く腰を預ける。


 距離は近い。

 でも、蒼真には声をかけない。


 ……かけられない、のかもしれない。


 蒼真はノートに視線を落としながら、

 会話が耳に入ってくるのを止められなかった。


 「これ? あー、先生言ってたね」


 瑠華がプリントを指で叩く。


 その拍子に、亜里沙のカバンが少し揺れた。


 ——視界の端で、きらりと光る。


 (……)


 蒼真は、ほんの一瞬だけ、息を止めた。


 透明で、水色のダッカール。


 間違えるはずもない。

 自分のカバンに、いつも付けていたもの。


 (……まだ、持ってる)


 言葉にしないまま、胸の奥が静かにざわつく。


 亜里沙は気づいていないのか、

 それとも気づいていて、気づかないふりをしているのか。


 蒼真にはわからない。


 瑠華がふと、蒼真の方を見る。


 「米倉くんも、このプリント写した?」


 突然振られて、蒼真は一瞬遅れて顔を上げた。


 「……あ、うん。写した」


 それだけ。


 亜里沙は、その声にほんの少しだけ視線を向ける。


 一瞬、目が合いそうになって——

 でも、すぐに逸らされた。


 「ありがと。じゃあ、戻るね」


 亜里沙はそう言って、瑠華に小さく手を振り、

 元の席へと戻っていった。


 残されたのは、

 元の静けさと、妙に落ち着かない空気。


 蒼真はペンを持ち直しながら、

 カバンの方を、もう一度だけ見てしまう。


 ——そこにあるはずのものが、ない。


 その代わり、

 少し離れた席にある“それ”が、

 やけに気になって仕方なかった。


 (……返すって、言ってたよな)


 でも、声をかける理由も、

 タイミングも、見つからない。


 ただ席替えをしただけ。


 それだけのはずなのに。


 蒼真は、自分の胸の奥に生まれた違和感を、

 まだ、名前もつけられずにいた。



その日の学校が終わり、蒼真はそのまま専門学校へ向かった。


 夜の教室は、昼間とは違う静けさがある。

 白い照明の下、マネキンヘッドがずらりと並び、

 ロッドとコームの音だけが規則正しく響いていた。


 今日の課題は、ワインディング。


 時間内に、正確に、均一に。

 何度も繰り返してきた、体が覚えている作業だ。


 蒼真はコームで髪を取り、

 ダッカールでブロッキングし、

 ロッドを当てて、巻く。


 ——はずだった。


 カチッ。


 ダッカールで髪を留めた、その瞬間。


 (……まだ、返してないんだよな)


 ふと、昼間の教室が頭をよぎる。


 瑠華の席に立っていた亜里沙。

 カバンの横で、光っていた水色のダッカール。


 (返すって、思ってたんじゃないのか)


 理由はわからない。

 責めたいわけでもない。


 ただ、

 なぜ返ってこないのか

 それが、妙に気になってしまう。


 蒼真は首を振る。


 (集中しろ)


 手を動かす。


 次のセクション。

 またダッカール。


 ——カチッ。


 今度は、亜里沙が耳にかけていた髪の感触まで、

 なぜか思い出してしまう。


 (……だめだ)


 ロッドを巻く指先が、わずかに遅れる。


 普段なら、

 この時点で半分は終わっているはずだった。


 だが、時計を見ると、

 想定よりも明らかに遅れている。


 蒼真はペースを上げようとするが、

 焦るほど、手順が噛み合わなくなる。


 ——タイムアップ。


 終了の声がかかり、

 蒼真の手元には、まだ巻き終えていないロッドが残っていた。


 (……終わらなかった)


 自分でも信じられない。


 そんな蒼真の様子を、

 隣の席から見ていた視線があった。


 「……あれ?」


 亜由美が、蒼真の手元を覗き込む。


 「そうま、今日どぉした?」


 いつもなら余裕で終えているはずの課題。

 それが、終わっていない。


 亜由美は、蒼真の顔を見る。


 集中しているようで、

 どこか上の空。


 「……珍し」


 冗談めかした声だったが、

 その目は、はっきりと“異変”を捉えていた。


 蒼真は、言葉を探すように、

 一瞬だけ視線を落とす。


 ——理由は言えない。

 言うつもりもない。


 ただ。


 ダッカール一つで、

 こんなにも作業が乱れるなんて。


 蒼真自身が、一番驚いていた。



教室の空気が、少しだけ緩む。


 タイムアップの合図のあと、

 それぞれがロッドを外し、片付けに入っていく中で、

 蒼真だけが、まだ手元を見つめていた。


 「……終わらなかった、か」


 自分でも珍しいと思う。

 ワインディングで時間をオーバーするなんて。


 「そうま」


 声をかけてきたのは、亜由美だった。


 蒼真の手元、

 巻ききれなかったロッド、

 そして表情。


 それを一通り見てから、

 亜由美は首を傾げる。


 「それさ」


 一拍置いて、淡々と。


 「技術の問題じゃないよね?」


 蒼真の肩が、わずかに揺れた。


 「……別に」


 否定しようとして、

 言葉が途中で止まる。


 別に、なんだ。

 別に何もない、はずなのに。


 亜由美は、その間を見逃さなかった。


 「今日はダッカール使うたび、手止まってた」


 図星だった。


 蒼真は視線を落とす。

 言い返せない。


 「……集中、できなかっただけ」


 苦し紛れの言葉。


 でも亜由美は、追い詰めない。


 ふっと肩の力を抜いて、

 少しだけ笑う。


 「はいはい。じゃあさ」


 蒼真の方を見て、軽く指を立てる。


 「それ、私に相談する案件でしょ?」


 冗談めいた口調。

 でも、逃げ道を用意する優しさがあった。


 蒼真は一瞬だけ迷ってから、

 小さく息を吐く。


 「……まだ、整理できてない」


 認めたわけじゃない。

 でも、否定もしなかった。


 亜由美は満足そうに頷く。


 「うん、それでいい」


 そして、いつもの調子で付け足す。


 「ま、ワインディングより難しいからね。そういうの」


 蒼真は、思わず苦笑した。


 ロッドを外しながら、

 胸の奥に残っている違和感を、

 まだ言葉にできないまま。


 ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。


 ——今日は、

 ダッカール一つで、

 自分の手が狂った。


 それが意味するものを、

 考えないわけにはいかなかった。






読んでいただきありがとうございます。


☆補足☆

ワインディングとは、実技国家試験課題の1つであり、出来上がりのイメージは風呂上がりのオバちゃんが頭にカーラーを巻いた状態を想像していただくとわかりやすいかも。

要するに、寝る前のサザエさんですね。

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