10話 教室
写真が送られてきてから、しばらく指が止まっていた。
どう返すべきか考える前に、先にメッセージが届く。
>「相談する相手、間違えたでしょ?」
その文は、からかっているというより、
ちょっと覗き込むようなトーンだった。
蒼真は一瞬で背中が熱くなる。
>「……ごめん!!ほんとに間違えた。」
送ってすぐ、顔から火が出そうになる。
だが、すぐに次が返ってきた。
>「ねぇ、相手 女の子 でしょ?」
追撃。
探るように、だけどライトな文面で。
(……なんでわかった?)
>「美容学校の同級生」
できる限りシンプルに返す。
飾りも言い訳もつけない。
数秒。
いつもより長く感じる沈黙。
>「ふーん。
まぁ、美容系ならそりゃ女多いよね。」
文にしては淡々としている。
けれど、
その裏に小さな温度があるのが、なぜか伝わる。
教室ではそんな気配、一度も見せなかったのに。
>「学校だと全然そんな感じないから。
なんか**へぇ〜**って感じ。」
それは「意外だった」でもなく、
「知らなかった」でもなく、
ただ蒼真を、ちゃんと見ていた人の言葉だった。
少し間を置いて、
最後に一文。
>「今度は間違えるなよ〜」
文面は軽い。
けれど、今はそれがちょうど良い距離だった。
>「……気をつける」
蒼真はそう返し、スマホをそっと置いた。
胸の奥が、じわりとあたたかい。
まだこれは“恋”と呼ぶほどはっきりしていない。
でも——
確かに、なにかが始まっていた。
布団に入り、電気を消したあとだった。
蒼真はもう一度だけ、とスマホの画面を点ける。
——昨日、自分が染めた髪。
柔らかい光に透けたアッシュ。
整った毛流れ。
そして、それを写した亜里沙の横顔。
(……似合ってる)
それは“担当美容学生”としての感想のはずなのに。
どうしてか胸のあたりが温かい。
何度も見返してしまう。
息を吐きながら、スマホを顔に乗せる。
(……いや、俺、キモ……)
自分でツッコミを入れ、ようやくスマホを伏せた。
そのままゆっくり、眠りへ落ちていった。
* * *
翌朝。
眠気はまだ少し残っていたが、昨日ほど重くはなかった。
登校し、教室へ入る。
いつもと同じ風景——
……のはずなのに、どこか違って見えた。
亜里沙は、いつもの友達の輪の中。
明るく笑っている。
変わらないはずの光景。
けれど亜里沙も、ほんの一瞬だけ視線をこちらへ向けた。
ぱちり。
ほんの一秒のアイコンタクト。
挨拶はない。
言葉もない。
でも——
昨日までとは、確かに違っていた。
蒼真は、視線を外しながら席へ向かう。
胸の奥が、ふわりと揺れる。
(……なんなんだろ、これ)
わからない。
でも、嫌じゃなかった。
---
【亜里沙】
教室に入ったとき、いつもと同じ賑やかな空気があった。
友達が笑っている声、机に突っ伏して眠っている男子、
黒板にはまだ一限の時間割。
——でも、ひとつだけ違うものがあった。
自分の髪。
照明に当たると、アッシュがやわらかく透ける。
鏡で見たときとはまた違う表情をしていた。
(……やっぱ、綺麗)
誰が染めたのか。
言われなくてもわかる。
視線が、自然と教室の後ろの方へ向かう。
——蒼真。
ちょうど登校したところだった。
目が、ふっと合う。
ぱち。
一瞬だけ。
ほんの一秒にも満たない。
でも、胸がすこし跳ねた。
(……おはよう、って言おうと思ってたのに)
言えなかったのは、
恥ずかしかったからでも、
気まずかったからでもない。
ただ。
昨日の夜のLINEを思い出してしまったから。
相談相手、間違えたでしょ。
あの言葉を送るとき、自分でも意味がよくわからなかった。
怒っていたわけじゃない。
からかいたかっただけでもない。
ただ——
その相談相手が“誰なのか”を知りたかった。
(美容学校の同級生、ね)
考えてみれば、当然の話だ。
美容系だし、女が多い。
そりゃ、そう。
……そうなのに。
胸が、ちょっとだけモヤっとした。
「何その気持ち?」と自分でも思う。
でも、その正体にはまだ名前をつけられない。
だから亜里沙は笑って、何もなかったように友達と話す。
その一方で——
髪を褒められるたびに、心のどこかで蒼真に聞かせたかった。
「ねぇ、見て。君がやったの、本当に綺麗なんだよ」
言えなかった。
朝は、それで終わった。
でも。
(……今日こそ、ちゃんと話せたらいいな)
昼休みでも、放課後でもいい。
ほんの一言でいい。
「ありがとう」って言えたら。
それだけで、なにかが動く気がした。
昼休み。
教室はいつも通り賑やかで、誰かの笑い声と弁当の匂いが混ざっていた。
でも、亜里沙の意識は、そこにはいなかった。
視線の先――
窓際の席で、眠っている蒼真。
(……話しかけようって、決めてたのに)
胸の奥が、少しだけきゅっと縮まる。
教室の中では、彼は“地味で静かな子”という扱い。
でも日曜日、シャンプー台の向こうにいた蒼真は、まるで別人だった。
真剣で、丁寧で、優しくて。
あの手つきも、声も、距離も、全部がまだ体に残っている。
だから——話したかった。
(……行こ)
亜里沙は深呼吸をひとつして、友達からそっと離れた。
蒼真の机の前に立つ。
影が落ちたのか、蒼真が顔を上げる。
その目が、自分をまっすぐ捉えた。
胸が、跳ねる。
言葉を出す前に、息を整える。
>「……この前、ありがとう」
声が震えなかったことに、ほっとする。
一言だけ。
でも、その一言に日曜の全部を込めた。
蒼真は、少しだけ目を見開いて——
それから、ゆっくりと言った。
>「……うん。よかった、似合って」
胸の奥に、温かいものがじわっと広がった。
(……ちゃんと、見てくれてたんだ)
自然と笑顔がこぼれる。
>「うん。わかってる。」
だって、鏡にも、今日のみんなの反応にも、
なにより自分の気持ちにも、全部出ていたから。
その瞬間——
二人だけしか知らない“昨日の時間”が、確かにそこにあった。
「ありさー!こっちこっちー!」
友達の声が呼ぶ。
名残惜しさを悟られないように、軽く手を振って言う。
>「じゃ、またね」
背を向けながら、もう一度だけ心の中で呟いた。
(……ほんとは、もっと話したかったけど)
歩きながら、自分の髪先をそっと指に巻き取る。
光に透けるアッシュが、静かに揺れた。
席に戻ろうとしたときだった。
「ねぇありさ〜」
同じグループの友達・瑠華が腕を組んで寄ってくる。
「さっきさ、米倉くんと話してたよね?」
その言い方は、からかいでも詮索でもない。
でも、ちゃんと“気づいてる”声だった。
亜里沙は、息が少しだけ止まる。
(……見てたんだ)
けれど表情は、あくまで自然に。
「んー? うん、ちょっとね。髪のこと。」
軽い調子。
事実は事実。でも、核心からは半歩手前。
「へぇ〜、なんか意外。ありさと米倉くんって話すんだ」
言葉はやわらかいのに、
“距離感” だけは鋭く刺さる。
「まぁ……ね」
笑って返したけれど、胸の奥が少しだけ熱くなる。
瑠華はそれ以上深く聞こうとしなかった。
>「ふーん。なんかあったら教えてよ?」
そう言って戻っていく。
残されたのは、ほんの数秒の静けさ。
(……なんか、隠してるみたいでやだな)
でも“言えない”。
言ったら——なんだか本当に“特別なもの”みたいになってしまうから。
まだ、その名前を口にするには早すぎる。
亜里沙は、自分の髪先を指でつまむ。
透けるアッシュが、光をすくった。
(ねぇ、蒼真——)
この気持ち、なに?
昼休みが終わり、チャイムが鳴る少し前。
席へ戻ろうとした亜里沙の前に、七宮 が歩み寄った。
七宮はこの学年で一番目立つ男子だ。
顔も良く、愛想もいい。
誰とでも自然に話せて、女子からの好感度も高い。
その七宮が、軽い調子で声をかける。
「ありさ、その髪……やっぱめっちゃ似合ってる。」
言い方は軽い。
でも、褒め慣れている声。
亜里沙は一瞬だけ息を整え、笑って返した。
「でしょ〜。気に入ってるんだよね、今回。」
その笑顔は自然だった。
でも“誰にしてもらったか”までは言わなかった。
七宮は興味ありげに、もう一歩踏み込む。
「どこのサロン?有名なとこ?」
その瞬間、隣にいた瑠華が、すっと亜里沙の表情を横目で伺った。
——さっき、米倉の席で話していたのを見ている。
(……聞かれる)
胸がわずかに締まる。
けれど、亜里沙はほんの半秒の間に、
笑顔を保ったまま答えを選んだ。
「友達のとこ。地元のサロンでやってもらっただけ。」
七宮は「あーなるほどね」とあっさり引く。
興味を深追いするタイプではないらしい。
「でもほんと似合ってる。ありさ、そっち系強いよね。」
「ありがと。」
会話は、そこで終わった——ように見えた。
七宮が離れたあと。
瑠華が、肩を小さく寄せて囁く。
「……“友達”って、誰?」
声は柔らかい。
問い詰める感じでも、茶化す感じでもない。
だからこそ、亜里沙は一瞬だけまばたきを止めた。
「……内緒。」
そう言って微笑む。
瑠華は、その答えに何かを感じ取ったように、
それ以上は踏み込まなかった。
ただ——ニュースを知る前のような沈黙が落ちる。
(……言わなかった。言えなかった。)
言ってしまえば、なにかが変わってしまう気がした。
変わるのはきっと、悪いことじゃない。
むしろ、少し嬉しいかもしれない。
でも、今はまだ。
その気持ちの名前を、口にするには早すぎた。
読んでいただきありがとうございます。




