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『人類滅亡から回帰した最弱冒険者、未来知識で最強へ』  作者: ぱちょ
第3章「監視の影、揺らぐ日常」
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第9話「数字の影」

朝。

昇降口のモニターに、テロップが静かに流れていた。声は落ち着いている。けれど右下の数字だけが、昨日より重い。


――10 → 15。


たった五。でも、その五に顔があると知ってしまったら、軽くは見られない。

俺は立ち止まらず、モニターの下をくぐる。校門の外、黒いバン。ガラスの向こうで目がこちらをなぞる。知っている視線だ。カナリアのやり方は無駄がない。見せるところは見せ、黙るところは黙る。


教室に入ると、空気はいつもより薄い。

窓側の席のやつが、小声で言った。


「昨日、駅前でまた騒ぎがあったらしいよ」

「ニュースじゃ“軽傷”って言ってた」

「軽傷ならいいけどさ……」


言葉が弱く流れ、黒板の前で教師の声が上書きする。

「正しい情報に触れなさい。噂に飲まれないように」


正しい情報――それは誰が決めるのか。

俺はノートを開き、線を引く。線は真っ直ぐだが、指先に汗が滲む。窓の外、校門脇。黒いジャケットが一人、姿勢を変えずに立っている。昨日の噴水で見た動きと同じ。視線は、こちらに届く前に滑っていく。けれど「見ている」は消えない。


休み時間、天道颯斗が机に肘を置いた。

「昼、屋上。いつもどおりでいいな」


「ああ」


「あとでちょっと見せたいもんがある。刃の角度の話だ」


「了解」


二時間目は数字。三時間目は文字。

どちらも安心の形をしている。だが、今日の文字は少し凍って見えた。四時間目の終わり、チャイムが鳴る。いつもどおりの音。それでも、胸のタグが別のリズムで一度だけ点滅した。


昼休み。

屋上。風は冷たく、鉄柵が小さく鳴る。御影透子が端末を腰壁に立て、地図を開いた。赤い点が昨日より多い。点と点の隙間が狭い。


「今朝の搬送は十五件。エリアは駅北、港湾、旧市街。時間帯は十八時から二十四時に集中。傾向は昨日と同じ。でも密度が上がってる」


天道が手すりを軽く叩く。

「向こうの“開閉”が速くなってるか、数そのものが増えてるか、だな。どっちでも面倒だ」


静――神無月静は小さく目を閉じ、風を吸い込んでから言った。

「流れが速い。冷えが薄い筋になって、街の中をすばやく移動してる。長くは留まらない。だから見失いやすい」


「短いなら被害は減るのか?」天道が問う。


「違う。短いから“目の前で終わる”。だから通報がぼやける。結果として、軽傷は増える。深い傷は減るかもしれないけど」


御影が頷く。

「数字は“軽傷”でまとめられる。公式の文面が作りやすい。救急搬送の実数は、昨日の倍ペース」


数字は嘘をつかない。けれど、見せ方は嘘をつける。

俺は地図を見たまま言う。


「今夜も回る。順序は昨日と同じ。旧市街→港湾→駅北。初動で止める。カナリアの到着を前提に引き継ぐ。通報文面は統一。“出現位置・数・退避の有無”。感情語は入れない」


「了解」御影がテンプレを更新する。「あと、校門に立ってるカナリアは交代制。顔ぶれが二パターン。昼と放課後で入れ替わる。昨日、噴水に来たリーダー――鷹森凛は、巡回車に同乗。視線が鋭い。私たちに気づいてる」


天道の口角が少し上がる。

「監視は好きにさせとけ。俺たちはやることをやる」


静が俺を見る。

「それでもやる?」


「やる」

短く。迷いはない。

数字が動く限り、手を止める理由はない。


午後。

授業は平らに進む。けれど、教室の中の目はときどき窓の外へ逸れた。スポーツテストの記録に歓声が上がっても、すぐに静かになる。音が伸びない。音の止め方だけがうまくなるのは、街にとっていいことなのか。


終礼。

担任は配布物を配り終えてから、保健室の注意書きについて触れた。


「めまい、耳鳴り、冷え。少しでも異常を感じたら、無理をしないこと。付き添いが必要なら、誰かを呼ぶこと」


配布物が鞄に吸い込まれる音が一斉に重なる。

その音に紛れて、俺のタグがまた一度だけ点滅した。焦りの合図。自分で分かる。


放課後。

昇降口を出て、通学路の角で人だかり。中心に、一人の男子生徒。しゃがみ込み、呼吸が浅い。吐く息が白い。足元に細かい氷の粒。


御影が息を呑む。

「残滓、じゃない。…感応だね」


静が膝をつき、掌をかざす。

「冷えは浅い。すぐに戻る。ここから離れよう」


天道が周囲の目を払うように立ち位置を調整する。

俺は男子生徒の肩に手を置いた。


「歩けるか。保健室まで一緒に行こう」


男子生徒は震えながら頷く。御影がクラスメイトに視線で合図し、二人が付き添う。

列が動き、人だかりがほどける。残った氷の粒は靴で潰れ、音もなく消えた。


「場所、記録」御影が端末に座標を打ち込む。「夜にまた開く可能性」


「俺が先行して嗅ぐ」天道が言う。


静が首を振る。

「今は筋が細い。焦ると見失う。夜の流れに合わせよう」


俺たちはそれ以上言葉を増やさず、準備に頭を切り替えた。

買い物袋には水と栄養バー。ポケットの奥には、追加のワイヤー固定具。キーケースが当たって硬い音が鳴る。


寮に一度戻り、荷を軽くする。

《武装展開》の簡易チェック。投擲盾は回収角度を昨夜のまま。小盾は中心厚を一点だけ増し。ワイヤーのコーティングは瘴気対応。動きは最短で、手数は少なく。


夜が落ちる前に集合する。いつもの四人。合図は短い。

まずは通学路の植え込み。静が杖の先で空気を押すようにして、呼吸を整えた。


「…今は開いてない。でも筋はここに残る。時間で開く」


御影は通報テンプレに「感応あり/同行者の有無」の項目を加えた。

「さっきの子、ひとりだったから“同行なし”を選んだ。次に同じ場所で誰かが倒れた時に、誘導の指示が早くなる」


「助かる」俺は短く言い、旧市街へ向けて歩き出す。


旧市街。

シャッターの継ぎ目に砂が溜まり、看板の文字が剥げている。昨日の粉塵は雨で薄れ、戦った場所だけ空気が少し軽い。

静が首を傾ける。


「今日は、ここじゃない。冷えが浅い」


港湾。

コンテナが積み上がり、間の通路に潮と鉄の匂い。風はあるが抜けが悪い。足音が低く返ってくる。

俺たちは足を止めない。今夜は短く開いて、短く閉じる。止まれば置いていかれる。


影の奥で、縦に細い線。冷えが滲み、すぐに引く。

静が目で示す。御影が「筋のみ記録」と打つ。写真は残らない。文字だけが事実を押さえる。


駅北。

噴水の縁に子ども。ベンチに老人。帰宅を急ぐ会社員。

日常は戻るのが早い。昨日の騒ぎの音はもう薄い。けれど、耳を澄ませば、空気が一度だけ凹む。すぐに戻る。短い。


「来るなら遅い時間」静が言う。


「だったら、先に退く」俺は周囲の流れを見ながら言った。「カナリアが来る」


黒い車両が広場に滑り込む。タイミングは正確。

先頭の女――鷹森凛が降りる。歩幅は一定。視線が周囲を掃き、俺たちの影を一瞬だけ撫でる。足は止めない。名も呼ばない。それでも「見ている」は伝わる。


俺たちは視線を低く保ったまま、群衆に紛れて駅から離れた。

御影が端末で送信する。「筋の確認。退避完了。目撃誘導済」。癖のない文面。削った言葉だけが残る。


帰路。

街灯が点き、群青が濃くなる。信号待ちの列が静かに伸び縮みする。

天道がポケットから小さな刃を出し、角度を示した。


「戻りで食われるの、減らせそうだ。顎を弾いた後の刃の角度、五度寝かせる。お前の小盾の中心厚、増やしたぶんが効いてる。合わせると、噛みつきが空を切る」


「試す。ありがとう」


静が笑う。

「みんな、体の動きが“昨日の続き”になってきたね」


御影は端末から顔を上げない。

「数字はまだ増える。それでも“ゼロへ戻す”方法はある。…あると、信じる価値がある」


寮の前で解散した。

部屋に戻る。机に魔石を並べ、今日の順路をなぞる。旧市街。港湾。駅北。

《武装展開》の設計図を意識の端に呼び出す。投擲盾の戻り角度を、濡れた石畳用にわずかに調整。ワイヤーは張力を一点で受けて一点で逃がす。小盾は中心厚の増し分をそのままに、縁の面取りを少し削る。手袋の内側の滑りを抑えるために粉を少量。小さな改善が、次の一秒を救う。


窓の外で、風が葉を鳴らす。サイレンが一度、短く鳴り、すぐ止む。

この街は止め方を知っている。だから、始まりはいつも遅れて届く。


引き出しから紙を取り出す。

「やり直す」。

四文字を机に置く。置き直すたび、少しだけ違う位置になる。完璧な位置はない。だから、毎日置き直す。


「間に合っているか」


声に出して問う。

答えはない。でも、今日救えた呼吸の数だけ、問いは軽くなる。

胸のタグが一度だけ点滅する。呼吸みたいに。落ち着け、という合図にも見える。


端末が震えた。御影から共有。「通報テンプレ改訂 v3」。末尾に“感応者の同行者の有無”“退避誘導者の有無”“写真未添付(理由)”が追加。

――現場で迷わないための、言葉の形。

俺は承認を返し、短く「採用」とだけ打った。


もう一つ、学校からの一斉配信。「来週、防災訓練を実施」。内容は避難経路の確認。抽象的な文言。名指しはない。

それでも、日常が一歩こちらへ寄る。

ようやく、街の側も「走る準備」を始めた。


電気を落とす前、窓の外をもう一度見る。黒い車両が通り過ぎる。ライトは低く、音は最小限。

鷹森が乗っているかどうかは分からない。ただ、「見ている」が続くのは分かる。


なら、こっちも続けるだけだ。

走り方は覚えた。止め方も少し分かってきた。

記録の残し方は毎日更新し、伝え方は無駄を削る。

刃の迷いは仲間が削いでくれる。俺も誰かの迷いを削ぐ。


明日、数字はまた動く。

それでも、ゼロに戻す手順を探す。

数字は最低。

それでも救える。救えた事実を、明日に渡す。

それが、ここで生きるということだ。


「間に合わせる。何度でも」


小さく、はっきりと言って、灯りを落とした。

胸のタグが一度だけ点滅し、静かに落ち着いた。

新しい夜が始まる。


――第9話「数字の影」 了

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