第4話 薄明の獣路
街の灯が背中に遠ざかり、森丘地帯は夜の匂いで満ちていた。
湿った土。
冷えた草。
遠くの高速道路から低い唸り。
舗装路が途切れ、土道を進む。
靴底の感触は沈み、梢が風に鳴る。
耳鳴りが小さくなり、代わりに心臓の音がはっきりと響いた。
座標は頭に入っている。
風の渦が巻く窪地。
温度が数度下がり、空気が薄い膜のように肌を撫でる。
――その中心に、縦の光。
髪の毛一本ぶんで始まった線は、次の瞬間には人ひとりが通れる口に変わった。
「……見つけた」
喉の奥から、抑えきれない笑いが零れる。
震えているのは恐怖じゃない。歓喜だ。
腕を伸ばし、膜の向こうへ手を差し入れかけたとき――
「――やっぱり、ここに来てた」
月光に縁取られた横顔。
神無月 静が息を弾ませて立っていた。
杖を握る指は白く、目は揺れない。
「今日のあなた、様子がおかしかった。……危険地帯よ。一人で何をするつもり?」
「用事がある。静、君には関係ない」
「ある。卒業試験で“冒険者を続ける”って言った。なら、仲間を頼るのも冒険者の資質」
正論は刺さる。
ここで拒めば、彼女は一人でも追ってくる。
なら最小限の役割を与えて守るほうがいい。
「条件がある。俺の指示に従うこと。危険だと判断したら即座に下がること。……俺より先に死なないこと」
「最後は命令としておかしいと思う」
「俺は本気だ」
静は一拍置いて、微笑んだ。
「分かった。じゃあ――行きましょう、篠宮くん」
膜を押し分ける。
温度が数度下がり、空気の味が変わる。
足下は黒曜石のように滑らかな石。
天井は低く、光苔が点々と灯る。
遠くの水音。
金属を擦るような音。
獣の鼻息。
「左の分岐。三。……うち一体は体躯が大きい」
静の感知は正確だ。
剣を抜き、肩の力を落として刃を水平に置く。
重心はやや前。退路を意識する。
影が跳ねた。
鉛色の毛並。青白い目。四足の魔物――《グレイハウンド》。
初撃。
一歩。踏み込み。腰を切る。
刃が光の筋になり、首筋を断つ。
冷たい粉塵。魔石が転がる。
二体目が跳ぶ。
静の短詠唱が弾け、氷柱が膝を貫く。
崩れ落ちた喉へ、俺が刃を滑らせた。
三体目は慎重だ。
円を描き、狙いを静に移す。
「こっちだ」
わざと背を見せ、半歩遅れて振り向く。
飛びかかる瞬間、足首を刈り、首筋へ突き上げる。
鋼の手応え。魔石が三つ、床を転がった。
静が息を呑む。目が俺を捉える。
「動きが……全然違う。今日のあなた、誰?」
「俺は俺だ」
答えかけて、飲み込む。
先へ。
通路の先、小円形の空間。
中央に古い石台。
封蝋の小箱。
膝をつき、封を割る。
薄い金属板のような光。
触れた瞬間、文字が脳裏を流れた。
――【固有スキル《武装展開》の習得条件を満たしました。習得しますか?】
喉が鳴る。
未来では命を削る戦いの果てにようやく手に入れた切り札。
それが今、掌にある。
「――習得」
光が弾け、胸骨の奥に熱が宿る。
視界の隅に半透明の設計図が開く。
ナイフ、投擲具、ワイヤー、簡易盾、防刃布。
初期レベルでも、十分に足りる。
掌で“小盾”を展開して見せる。
空気が震え、銀灰色の盾が形を取る。
静がそっと指先で触れる。
「……温かい。魔力の流れが綺麗」
「君にも、そのうち使ってもらう。訓練は要るけど」
静は驚き、そして微笑んだ。
さっきよりも、少し強い笑み。
帰り際。
通路の陰で、人の気配が動いた。
数は五。歩調は軽い。
灯りを落とし、静に視線で合図。
先頭の男が懐中灯をひと振りして合図を送る。
黒い戦闘服。無地のアーマー。
市のギルド所属ではない。
「非公開ダンジョンの侵入者、発見。回収対象、二」
冷たい声。
国家直轄の監視班――カナリア。
先頭の女性が前に出る。
立ち姿は無駄なく、視線が鋭い。
「武器を置いて両手を上げろ。ここは立ち入り制限区域だ。……鷹森 凛、監視班第七分隊長」
名前が胸に刺さる。
未来では別の街で殉職していた名。
今は、目の前で生きている。
「個人の装備、見慣れないな」
「工夫です」
短く答え、一歩だけ前へ。
敵意は見せない。だが、捕まるつもりもない。
静の袖を軽く引き、目線で合図。
掌にワイヤーとフック、小型の閃光弾を展開する。
「悪いが、今は――捕まるわけにはいかない」
閃光。
白が弾け、影が入れ替わる。
短い号令。金属の音。足音。
俺と静は影から影へ移る。
足音を重ねない。
角で視界を奪い、膜の縁へ戻る。
森の空気。夜の匂い。
遠くで無線がざらつき、やがてノイズに沈んだ。
息を整える。
静は杖を胸に抱き、肩を上下させる。
目は笑っている。
俺も笑った。
東の空が白む。森の輪郭が浮かぶ。
「篠宮くん」
静の声はささやきより少し大きい。
「あなた、やっぱり今日のあなたは、いつものあなたじゃない」
逃げない目。真っ直ぐな問い。
嘘はつかない。全部は言えない。
でも、今言うべきことはある。
「静。俺は――未来を知っている」
瞳がわずかに揺れる。退かない。受け止める準備をした目だ。
「十年後に、人類は滅ぶ。都市は焼け、仲間は死ぬ。俺はそれを見た。……だから戻ってきた。やり直すために。助けるために。守るために」
言葉は夜明けの風にさらわれ、森の匂いと混ざる。
静は目を閉じ、息を吐き、そして目を開いた。
「じゃあ、私は信じる。……あなたは、嘘をつく人じゃないから」
胸の奥で、静かな音が鳴った。
希望は軽くない。重い。だから、握れる。
「頼む、静。これから先、君の力が必要だ。けど、無茶はしないでくれ。俺より先に――」
「死なない。でしょ?」
彼女は少しだけ茶化して笑い、杖を軽く振った。
光が杖先に集まり、薄く散って朝霧に消える。
俺は拳を握り、裂けていない空を見上げた。
「今度こそ、世界を救う」
夜明けの一番薄い光が、世界の表面をなぞる。
新しい日。
やり直しの物語は、次の段階へ進む。
――第4話 了。
ステータスの基準例(一般人〜トップ層)
•一般市民(非戦闘員)
【筋力:8〜12】【体力:10〜15】【魔力:3〜8】【敏捷:8〜12】
→ 普通の大人レベル。
•学生の平均(訓練受けてる層)
【筋力:15〜20】【体力:18〜24】【魔力:12〜18】【敏捷:15〜20】
→ いわゆる「そこそこ戦える」基準。
•冒険部の上位層(才能あり)
【筋力:25〜30】【体力:25〜30】【魔力:20〜28】【敏捷:25〜30】
→ クラスで一目置かれるレベル。
•特待生/精鋭候補
【筋力:30〜40】【体力:30〜40】【魔力:30〜40】【敏捷:30〜40】
→ 周囲から「すごい」と言われるレベル。
•一線級(カナリア候補)
【筋力:45〜60】【体力:45〜60】【魔力:40〜60】【敏捷:45〜60】
→ 一人で獣の群れを抑えられる。
•化け物クラス(人類の壁)
【筋力:70以上】【体力:70以上】【魔力:70以上】【敏捷:70以上】
→ 伝説級。現役のカナリア精鋭や海外のエースに並ぶ。