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第1話 世界の終焉と回帰

空が割れた。

音のないひびが天を走り、次の瞬間には稲妻よりも速く空全体に広がった。

雲は裂け、太陽の輪郭は歪み、影はあらゆる方向へ伸びていく。

遅れて届いた衝撃音は、海鳴りのようでいてもっと重くねばつき、肺に押し込まれる。

高層ビルの窓ガラスは割れ、ガラス片が白い雨のように降り注ぐ。

横転した車の下からは黒煙が噴き出し、焦げた塗装の匂いが鼻を刺した。

叫び声が重なり、次々と飲み込まれて濁流になっていく。


崩れた高架の影に身を押し込み、折れたガードレールに背を預ける。

喉は焼けつくようで、呼吸は浅い。

手にあったはずの柄は消え、指先は勝手に震えていた。


見上げた空に、黒い影が世界を覆っていた。

見る角度ごとに肩にも翼にも山にも見える、輪郭の定まらない巨影。

その目がこちらを見た気がして、背骨が冷たくなる。

名をつけるなら――神格存在。

それ以外に、この終焉を呼ぶものを表す言葉はない。


「……また、ここか」


掠れた声が風に溶けた。

十年戦い続けた果てに、最初に見た景色そっくりの終わりが来るなんて。冗談にしては悪趣味すぎる。


仲間はもういない。

すぐ隣にあった背中も、声も、温度も瓦礫の隙間に吸い込まれて消えた。

最後に残ったこの身体はやけに軽い。

守るべきものも、背負ってきたものも、すべて失われているからだ。


黒い稲光が塔の先端を断ち切り、鉄骨がきしみながら落ちてくる。

影が伸び、顔を覆う。

避ければ次が来る。十年で嫌というほど思い知った理屈だ。

剣は折れ、スキルは軋み、体は悲鳴をあげることすらできない。

頭を伏せかけて、やめた。逃げ場はもうどこにもない。


そのとき、耳の奥で小さな鐘が鳴った。

骨を震わせるような、聞いたことのない、けれど懐かしい響き。


――スキル【回帰】が発動しました。対象:篠宮しのみや 悠真ゆうま。時間軸を十年前へ巻き戻します。


「……は?」


焼けた喉から漏れた声は言葉にならない。

視界の端が白く滲み、世界の輪郭がほどけていく。

空の裂け目は紙片のように巻き込まれ、黒煙は逆流し、折れた塔は持ち上がる。

砂は空へ戻り、悲鳴は喉に押し戻され、熱も痛みも剥がれて消えた。


白。

静寂。


戻ってきた最初の感覚は匂いだった。

古い木材と安い洗剤の匂い。

首筋には硬いパイプ枕。

背中に貼りつくのは薄手の布団の湿り気。


目を開けると、木目の天井板が鮮やかに見えた。

窓の外からはバスのブレーキ音とラジオの軽いジングル。

隣の部屋からは電子レンジの短い音。


ここは冒険者養成校・第二寮。六畳一間。

時計は午前六時を少し回ったところ。

白いカレンダーには「卒業実技最終日」と書かれていた。


「戻った……のか」


声にすると、現実が骨に突き刺さった。

これは夢ではない。悪夢の前に戻ったのだ。

世界が崩れる前に、世界の前に。


掌を見つめる。

古傷はなく、硬くなっていたはずの皮膚は柔らかい。

握りのタコも薄く、爪の縁はきれいだ。

十年分の時間がすべて剥がれ落ちていた。


洗面台で顔を洗い、鏡を覗く。

頬は落ちていない。目の下の影も浅い。

若い俺が、鏡の中から息を吐き返してくる。

いや、これが本来の俺――篠宮悠真しのみや ゆうま

十年の先にある終わりを知り、その手前に戻った俺だ。


壁にもたれて天井を見上げる。

違うのは、俺の中にある地図。

どこで誰が倒れ、何が引き金となり、どの道が死地で、どの扉を開けてはいけないか。

粗くても確かな地図が、骨の中に焼きついている。


「やり直す」


呟いた言葉は誓いになって背骨に沈む。

制服に袖を通し、ネクタイを締める。

靴紐を固く結び、ベルト穴を一つ詰める。

鞄の軽さに不安を覚えながらも、それは救いでもあった。

これから重みを積み重ねればいい。もう潰されはしない。


ドアを開ける。

廊下には洗剤の匂い。

朝日が差し込み、埃が金色に浮かんでいた。

掲示板には「荷物の持ち出しは一週間前までに申請」とある。

誰かが走り去り、床が一度だけ鳴った。


外へ出る。

冬の名残の冷気が胸を締め、呼吸が深くなる。

冷たい空気が、むしろ心を落ち着けた。


校庭を横切ると、体育館の前に行列ができていた。

ステータス測定の列。

数字が将来を決める儀式。

視線は期待と冷やかしで揺れ、ざわめきが熱を帯びる。

見えない力が、埃さえ数字に引き寄せているようだった。


列には加わらず、少し離れたベンチに腰を下ろす。

扉が開閉するたびに歓声や舌打ちが波のように漏れてくる。

十年前と同じ光景。

いや、俺が違うから、見え方も違う。


ポケットから自分のステータスプレートを取り出し、掌をかざす。

青い光が脈打ち、数値が浮かぶ。

筋力、体力、魔力、敏捷――どれも人並み以下。

スキル欄は空白。


数字は動かない。

だが俺の内側で確かに動くものがある。

十年の戦いで刻まれた、負け筋と勝ち筋の記憶。

先手の打ち方。退き際の選び方。死地の見分け方。

それはすべて、数字の外にあった。


チャイムが鳴る。

教室へ戻り、黒板を見上げる。

数字や単語は濃く見えるが、頭の中は未来の地図を描いていた。

笑い声、冗談、ざわめき。

すべてがまだ優しいふりをしている。


昼休み。

パン売り場でコロッケパンを買い、校庭の隅でかじる。

油の匂いに胃が驚き、空を見上げる。

雲の厚みや空気の湿りを測る。

夜の森の呼吸を思い出すための予習。

愚かに思える。だが、それが俺の準備だった。


夕方。

寮の部屋に戻り、机の上を片付ける。

必要なものを鞄に詰め、靴紐を締め直す。

窓を開けると、冷たい風と遠くのサイレン。近くでは笑い声。

日常の皮の下で、別の脈が動いていることを俺だけが知っている。


机に両手を置き、深く息を吸った。

十年分の景色が胸に流れ込み、そして静かにほどけていく。


「二度と、同じ終わりにはさせない」


ドアノブを握る。金属の冷たさが手に伝わる。

廊下に出て、足音を整える。

軽い。だが、決意の重さを乗せた軽さだ。


沈みかけた陽が校舎を赤く染める。

正門の向こうには、今日と同じ顔をした明日がある。

だが俺は違う。違わせる。


「行くか」


小さく呟き、歩き出す。

世界が終わらない未来へ。やり直しの一歩を刻むために。


――第1話 了。


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