あの頃夢中になったもの 【月夜譚No.363】
喫茶店に行くと、必ず漫画を読んでいた。そこは母親の行きつけの喫茶店で、週に一度ある息子の習い事の帰りに寄るのが常だった。
母親がコーヒーを一杯飲んでいる間、息子である少年はオレンジジュースを片手に店の棚から拝借した漫画本を読むのが好きだったのだ。
店の最奥に備え付けられた棚には往年の漫画が詰め込まれており、同級生達が知らない作品の世界は新鮮に目に映った。巻数が飛んでいたり途中までしかなかったりと半ば放置気味だったようだが、それでも構わなかった。
とにかく自分の知らない世界を覗き見るのが面白くて、一心にページを捲っていた。正直なところ、習い事よりそちらの方が楽しみだったし記憶にも色濃く残っている。
その喫茶店は、今はもうない。跡地にはゲームセンターができて、子ども達が集まる場所になった。
遡っていた記憶から現在に戻った青年は、握り締めたペンを紙に走らせた。
あの景色、あの空間、あの気持ち――あの頃の全てをここに落とし込む。それを伝えたいと思ったから、今の職に就いた。
青年の手許で出来上がった景色はやがて、一冊の漫画になって書店に並ぶ。それを読んだ子どもは、どんな気持ちになるのだろう。
考えるだけで、あの時と同じようにワクワクするのだ。