本能と自傷の理性 3
ギルド《銀月の帳》の掲示板に、新たな任務が貼り出された朝。
「小規模遺跡の探索依頼、っと⋯⋯あたしら向きじゃん!」
フィリアが目を輝かせて駆け寄ったのは、ここ最近久々のチーム再編の知らせだった。
ジーク、リリィ、そして――エリオン。
「ふぅん。また一緒にやる気になったのかしら、彼が?」
リリィが、冷たい視線をフィリアに向けた。
「⋯⋯なに、それ」
「気にしないで。ただ、“また仮面が厚くなったな”って思っただけ」
「⋯⋯!」
心を見透かすような、淡々とした言葉。
フィリアは笑みを張りつけながら、掲示板を見上げた。
その目に、ほんの一瞬だけ、寂しさのような影が差した。
出発前、エリオンは無言で隊列に加わっていた。
巻き付く気配もなければ、視線を向けることすら避けている。
(⋯⋯ねぇ、いつまで距離を取るの?)
問いかけたくなる。けれど、できない。
あの夜、“噛み付くまで待つ”と告げたのは自分だった。
なら、今は――彼の心が動くまで待つべきなのだ。
そう、仮面をかぶったままで。
遺跡は静かだった。
内部は迷路のように入り組んでおり、薄暗い通路に魔物の気配が微かに漂っている。
「右、分岐。罠っぽいのは⋯⋯あそこだ」
フィリアが手を上げて指示を出す。
その声は明るく、だが、どこかぎこちない。
彼女の後ろを歩くエリオンは、ほとんど口を開かない。
代わりにリリィが、ぽつりと呟いた。
「いつまで“巻き付きたいのに近づけない”ゲームするのかしら」
「は⋯⋯?」
「本能で引き寄せたいなら、素直にすればいいのに。
理性を装うから、尾も感情も絡まない」
「⋯⋯お前は、そう簡単に言える立場じゃない」
エリオンが、静かに反論した。
その声には、わずかな苛立ちと、自己嫌悪の気配が混じっていた。
「仮面を剥がしてくれる誰かを待つくせに、自分からは手を伸ばさない。
あの子も、俺も⋯⋯似た者同士だ」
「⋯⋯そうね」
リリィはあっさりと認めた。
「でも、仮面の下が崩れる瞬間って、美しいわよ」
その言葉に、フィリアはぎゅっと手を握りしめた。
誰にも見られないよう、背中で隠すようにして。
その時、後方の魔力感知結界が震えた。
「なにか⋯⋯来る!」
リリィの警告とともに、通路の奥から複数の魔物が現れる。
骨のような外殻を持つ犬型の魔獣たち――《屍喰犬》。
「やっぱり来たか⋯⋯よし、やっつけるぞ!」
フィリアが前へ出ようとしたその瞬間、
「フィー、下がってろって。危ないからさ」
軽やかな声が響いた。
「⋯⋯え?」
その声の主は、通路の影から現れた金髪の青年。
「よっ、初めまして。俺、レイ。今日からこっちのパーティー、臨時で参加することになったから、よろしく~」
にっこり笑うその顔に、フィリアは言葉を失った。
「かわいい子がいるって聞いてたけど、なるほどね。⋯⋯なるほど、これは確かに、エリオンくんがピリつくわけだ」
背後の空気が、凍る。
エリオンが静かにレイを睨んでいた。
尾がわずかに地を這う音が、空気の中に響いた。
けれど、彼は何も言わない。
「⋯⋯えっと、よろしく、レイ」
フィリアが言った。その声もまた、少し上ずっていた。
戦闘はあっという間だった。
魔法の嵐を巻き起こすレイと、正確な指示を出すフィリア。
無駄のない動きで刃を振るうエリオン。
その中で、誰もが何かを意識し、気を張っていた。
任務は成功。
けれど、空気はぎこちないまま。
ギルドに戻った後、レイがぽつりと呟いた。
「エリオンくん、やっぱ怖ぇわ。あの目⋯⋯本気で怒ったら絶対ヤバいやつ」
ティナがカウンター越しに笑った。
「そういうときはこう言うのよ。『巻き付きたい相手には近づかない方がいい』ってね」
「⋯⋯あぁ、もう噛まれてる顔してたな、あれ」
そう、すでに誰の目にもわかっていた。
あの蛇は、すでに噛み付いていた。
けれど、自分ではまだ、そのことに気づいていなかった。