銀月の帳と“危険人物” 4
森林地帯の奥、朽ちた祠を囲むように現れたのは、
牙を持ち、唸るように地を這う魔物たち――《群食のアルカ》。
細身の体に異様な顎を持ち、群れで連携して獲物を喰らう凶暴な種。
その顎の一撃は、金属さえ噛み砕く。
「数、多いな⋯⋯!」
ジークが前衛に立ち、大盾で一体の突撃を弾く。
その音が周囲に鋭く響く中、フィリアは横から斬り込んだ。
「ジーク、右! リリィ、結界お願い!」
「任された」
銀髪のエルフが淡々と指を振る。青白い光の結界が、瞬時に隊を包んだ。
それは見慣れた連携。
けれどその一角――“彼”はまだ、隊から少しだけ距離をとっていた。
エリオン。
黒紫の髪をなびかせ、鋭い蛇の瞳で魔物を見据えている。
だが、彼はまだ動かない。まるで、測っているかのように。
「⋯⋯今だ」
低く呟いた声と同時に、彼の尾がしなる。
地面を滑るように跳ね、一体のアルカに巻き付く。
硬い顎が鳴る前に、その身体は“音もなく”締め上げられ、砕かれた。
「な⋯⋯に、今の」
フィリアが呟く。剣を持つ手が一瞬止まる。
獣のような魔物が、まるで枝のように折れたのだ。
音も、力みもない。ただ静かに――そして、圧倒的に。
「⋯⋯俺が行く。後方の群れは任せろ」
そう言い残し、エリオンは滑るように前線を抜けていった。
戦闘は終わった。祠の周囲に転がる魔物の残骸。
負傷はあるが、全員無事だった。
「やるじゃん、エリオン⋯⋯」
ジークが息をつきながら呟く。だが、当の本人は無言のまま、尾で地面の血をぬぐっている。
「⋯⋯無傷ってレベルじゃなかったよね、あれ」
フィリアは近くの岩に腰を下ろし、エリオンを見た。
いつも距離をとる男。
けれど、戦場ではまるで別人のようだった。
あれは“理性”の姿じゃない。
――“本能”が、そこにあった。
だから、フィリアは怖がるべきだった。
けれど。
「⋯⋯ねぇ、エリオン」
呼びかけると、彼は少しだけ顔を向けた。
その瞳はまだ、僅かに蛇の光を帯びていた。
「さっきの⋯⋯巻き付くやつ」
「⋯⋯見たな」
「うん。正直、ちょっとゾクっとしたけど⋯⋯」
言いかけて、彼女は一拍置いて言葉を続けた。
「――でも、怖くなかった」
エリオンの目が、驚いたように揺れる。
それは彼にとって、聞き慣れない言葉だった。
「⋯⋯なぜ」
「わかんない。でも⋯⋯“自分を抑えようとしてる人”を見たら、あたし、逆に安心するのかも」
「⋯⋯俺は、“抑えきれないかもしれない”側だ」
「うん。だから、“抑えようとしてる”っていうのが、たぶん⋯⋯嬉しかったのかも」
フィリアの言葉は、曖昧だった。
でもそこには仮面のない、本当の思いが滲んでいた。
エリオンはしばらく黙っていた。
そして、かすかに口元を動かした――それは、笑ったようにも見えた。
「⋯⋯変わった人間だ、お前は」
「よく言われる。でも、変わってるのはお互い様」
言葉を交わしながらも、二人の距離は――まだ、ほんの少し開いている。
尾と仮面。瞳と素肌。
触れそうで触れない。
けれどその“距離”が、心地いいと感じたのは、この時が初めてだった。
その夜。
ギルドの食堂で、フィリアが席を離れようとしたとき。
何かに足首を優しく引かれる感触があった。
振り返ると、椅子の下――テーブルクロスの隙間から、見覚えのある“尾”がそっと触れていた。
驚いたフィリアが目を見開くと、すぐにその尾は静かに離れていく。
視線を向ければ、エリオンが振り返らずにカップを持っていた。
なにも言わない。
でも確かに、彼の“心”は――少しだけ、近づいていた。