銀月の帳と“危険人物” 3
笑うのは得意だ。
軽口を叩くのも、空気を和ませるのも、誰かの言葉に合わせて頷くのも。
そんな風に生きてきた。
「⋯⋯またジークってば重装備しすぎ! ねぇ、それ風呂桶でも持てんじゃない?」
ギルドの一角で、フィリアはケラケラと笑った。重戦士のジークは照れたように頭を掻く。
「いいだろ、防御は備えてナンボだって」
「いやいや、走るたびに地面が揺れてるよ? それ見て小動物が逃げてるもん、ほんとに」
「お前が言うな。あのチビスライム、やけにお前に懐いてたじゃねぇか」
「あれは、ほら、あたしが優しいからだよ〜!」
周囲に笑いが起こる。リリィは無言のまま遠巻きに観察しながら、小さく鼻を鳴らした。
(⋯⋯フィリア、また“仮面”かぶってる)
その視線に気づいたのか、フィリアは一瞬だけ、表情を止めた。だがすぐに、何事もなかったように笑みを貼り直す。
空気は、読めすぎるほど読める。
だから、こうしていつも“ムードメーカー”でいた。
自分が空気の潤滑油になれば、誰もぶつからない。誰も壊れない。
そして自分だけが、誰にも触れられずに済む。
その日の午後、依頼を終えたフィリアはギルドの屋上にいた。
瓦屋根と風見鶏が並ぶ静かな場所。物干し場の隅に腰を下ろし、ぼんやり空を仰ぐ。
「⋯⋯今日は、空、薄いな」
言葉にしたところで、誰かが応えてくれるわけじゃない。でもそうやって口に出すことで、自分の存在を確認したくなることがある。
そのとき――背後に微かな気配。
「⋯⋯ここにいたのか」
その低い声に、思わずびくりと肩が跳ねた。振り返ると、そこにはエリオンがいた。
黒紫の長髪を風になびかせ、無表情のまま立っている。だが、その黄金の瞳だけが、鋭く、何かを測るように揺れていた。
「⋯⋯あ、うん。ちょっと、うるさいとこから離れたくて」
「⋯⋯そうか」
それだけ言って、彼は隣に腰を下ろした。屋根の端に座り、空を見上げている。
沈黙が、風の音だけを引き連れて流れた。
「⋯⋯喋らないんだね、やっぱり」
フィリアがぽつりと呟くと、エリオンは少しだけ視線を動かした。
「喋る理由が、ない」
「そっか。でも⋯⋯聞かれたら答えてくれるんでしょ?」
彼は頷く。
「じゃあ、ひとつ質問。⋯⋯“人間”って、どう思う?」
その問いに、彼の目がわずかに細くなった。
「⋯⋯利口で、愚か。親切で、残酷。⋯⋯曖昧な生き物だ」
「うわぁ、なんか哲学的。じゃあ、あたしは?」
その瞬間、エリオンはフィリアを真正面から見た。
彼女はにっこりと笑っている。だが、その笑顔の奥にある“揺らぎ”を、彼は見逃さなかった。
「⋯⋯お前は、仮面をかぶっている」
静かな言葉だった。
フィリアは、ふと息を止めたような顔をする。次の瞬間にはまた笑顔を取り戻していたが、その目だけはわずかに揺れていた。
「⋯⋯やだなぁ、バレた?」
「俺も⋯⋯仮面をかぶって生きている」
そう言ったエリオンの声には、かすかに熱があった。
二人の間に沈黙が戻る。ただ、それは冷たい沈黙ではなかった。どこか、似た者同士の匂いがした。
フィリアは空を仰ぎながら、そっと呟く。
「⋯⋯仮面って、便利だよね。壊れないで済むし」
「でも、誰かに剥がされたら⋯⋯もう、戻れなくなる」
エリオンの言葉に、フィリアは笑うのをやめた。
「ねぇ、エリオン」
「⋯⋯なんだ」
「⋯⋯あたし、怖いものってあんまりないんだけどさ。たまに、怖くなるときがあるんだよね」
「何が、怖い」
「誰かに、“本当のあたし”を見られること」
それは本音だった。
エリオンは何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ尾を動かした。まるで、その言葉に反応するように。
触れそうで、触れない。
言葉が交わされても、心にはまだ“膜”がある。
けれど、その膜は⋯⋯ほんのわずかに、揺れ始めていた。