感情と仮面の綻び 1
ギルドの夜は静かだった。
フィリアは、窓辺のソファに体を沈めながら、外の灯りをぼんやりと眺めていた。
口元には笑み。けれど、それは誰にも見せない種類のものだった。
(⋯⋯見えてるよ、全部。エリオンの気持ちも、レイの距離も。あたしの仮面の内側まで)
気づいてる。なのに、口に出せない。
本音を言ったら壊れるんじゃないかって。
巻き込んじゃうんじゃないかって。
怖いのは、きっと“自分のほう”。
「こんな時間に、一人で?」
低く穏やかな声が、背後から届いた。
フィリアは振り向く。
そこには、エリオン。影のように静かで、けれど確かにそこにいる。
「⋯⋯うん。眠れなくてさ。なんか、色々考えちゃって」
「俺も⋯⋯そうだ」
隣に腰かけたエリオンの体温が、距離越しに伝わってくる。
言葉ではなく、息遣いと気配で“存在”が伝わる。
その感覚に、フィリアの胸が少し軋んだ。
「⋯⋯ねぇ、エリオン」
「ん?」
「⋯⋯怖い?」
唐突な問いに、エリオンは目を細めた。
「何が?」
「⋯⋯あたし。じゃなくて⋯⋯“気持ち”が通じること。⋯⋯そういうの」
エリオンは言葉を探すように目を伏せ、そして――
小さく、頭を横に振った。
「怖いのは⋯⋯俺自身だ。俺の中の“何か”が、お前を傷つけてしまうかもしれないこと」
フィリアの目が揺れる。
「だから距離を取ってたの? 優しさのつもりで?」
「⋯⋯ああ」
「⋯⋯バカだな」
ぽつりと、呟いた。
その声には怒りも、呆れもなかった。ただ――少し、寂しげで。
「エリオンはさ、優しいくせに、そういうとこ鈍い。⋯⋯あたし、もう“逃げる気”なんてないんだけど」
彼の視線が、ゆっくりとフィリアをとらえた。
瞳の奥にあるのは、渇いた孤独と、恐れと、そして⋯⋯愛しさ。
「俺は、巻き込むだけの存在だ」
「そう思ってるうちは、たぶん⋯⋯あたしの“仮面”も外れないよ」
沈黙が落ちた。
けれど、それは気まずいものではなく――まるで感情の余韻に耳を澄ませるような、静けさだった。
「ねぇ、エリオン。聞いてもいい?」
「⋯⋯ああ」
「“巻き付きたい”って、思ったこと⋯⋯ある?」
その言葉に、彼の喉が一度、音を立てて鳴った。
そして――
「⋯⋯ある。ずっと、抑えてる」
フィリアの頬が、ゆるく染まる。
たぶんそれは、恋の話だ。
でも同時に、種族の本能でもある。
ラミアという“蛇”の血が、彼にそうさせる。
フィリアは、そっと彼の手に触れた。
蛇のように冷たく、でも心の奥はとても温かい――そんな手だった。
「⋯⋯抑えなくていいとは、言わないよ。でも」
瞳をまっすぐ見つめながら、微笑んだ。
「“いつか”って思ってて。⋯⋯あたしが、ちゃんと仮面外せたら、そのときはさ――」
言葉が途切れた。
けれど、互いに“それ以上”をもう理解していた。
手を離さず、瞳を外さず。
言葉よりも深く、視線が絡み合っていた。
そのとき、遠くの部屋から聞こえてくる声。
「フィー、どこ行ったー? エリオンに丸呑みされてたりして!」
レイの茶化し声に、フィリアが思わず吹き出した。
「⋯⋯あいつ、ほんと空気読めない」
「⋯⋯助かった」
「え?」
エリオンが、そっと手を離す。
「⋯⋯俺、もう少しで噛んでた」
フィリアは小さく肩をすくめて、
立ち上がりながら、後ろ手に振った。
「じゃあ“その時”は、ちゃんと覚悟してね。エリオン」




