7話
「……例の件、進展は?」
部屋に流れる空気が、ほんのわずかに震えた。
氷室 凛は机に指を組み、沈んだ瞳でスクリーンを見つめていた。映し出されたのは、倉庫の監視映像――そこには、明らかに“内部の者”しか知らないはずの動線で動いた痕跡。
「監視班の報告では、資材が複数箇所で不足しています。備蓄用の偽造身分証、非常食、通信端末……それに、二人の所在記録が、微妙に食い違っていて」
報告する青年の声が震えていたのは、寒さのせいではなかった。
「――逃げるつもりか」
ぽつりと漏れたのは、蛇咬派の神代の低い声。彼は目を細めたまま、口角をかすかに吊り上げた。
「まさか、とは言えないな。最近のあいつ、目の奥に妙な光が宿ってた」
「証拠は不十分です」
李蓮がそう言って間を割くと、神代は鼻で笑った。
「黒斑は甘いんだよ。元からあの二人に肩入れしてたろ」
「肩入れ? ――違うな」
李蓮は、淡々とした口調で返す。
「ただ、命令を忠実に果たしてきた部下を“裏切り者”と断定するには、早すぎると言っているだけだ」
「裏切りが確定してからでは、手遅れだ」
神代の声には苛立ちが混ざっていた。
机を軽く叩いた音が、場を引き締めた。
「……個人的な感情で動くな」
氷室の低い声が、二人の応酬に終止符を打つ。
「私たちは“管理者”だ。冷静であるべきだろう」
静寂。
だが、その言葉にすら微かな動揺がにじんでいたことに、誰も気づかぬふりをした。
そのとき、ドアがノックされ、一人の報告者が新たな資料を差し出した。
「犬童の証言が入りました。……あの戦闘、偶発的ではなく、彼らが意図的に誘導した可能性が高いと」
「つまり、犬童を“排除”する算段だったと?」
「その可能性もあります。現場からは薬莢の数、足取りの痕跡など……奇妙な点が多々ありました」
李蓮の指が一瞬止まり、手元の資料に目を落とす。
数秒の沈黙。
やがて、口を開く。
「仮に、だ。……彼らが“組織を抜ける準備”をしているとして。その動機は、何だ?」
「外部の接触は?」
「今のところ確認されていません」
情報管理局の男が応える。
「しかし、あの二人……特に、彼はいつも、どこか虚無的だった。“命令”以外に価値を見いだしていなかったように思える。けれど、ここ最近の彼は、違う」
氷室の言葉に、一瞬だけ誰もが目を伏せた。
言いたくないが、皆、気づいている。
彼の変化の理由――それが“彼女”にあることを。
「……あいつ、変わったんだよ」
ぽつりと、思いがけず呟いたのは神代だった。
「昔は、任務が終わっても口ひとつ利かずにさっさと報告だけして帰ったくせに。最近じゃ、なんていうか、少しずつ……人間らしくなってた。……気持ち悪いくらいにな」
その“変化”を、誰よりも恐れていたのは、組織のほうかもしれなかった。
「……彼女をどうするつもりだ?」
李蓮が問う。
「共犯と見るなら、処罰の対象となる。しかし」
「……個人的には、違うと願いたい」
それは“幹部”らしからぬ、あまりに人間臭い呟きだった。
静かに立ち上がる氷室。
「二人を、監視対象としてランクアップさせろ。だが、まだ拘束命令は出さない。……彼らの意志を、もう少し見極めたい」
「見極める余裕があるのか?」
神代の皮肉混じりの問いに、氷室はふと苦笑した。
「彼の能力は、“制御された狂気”だ。もし、それが本気でこちらに牙を剥いたら……犬童ですら止められなかった」
「……あれで、“制御”されてたのかよ」
「だからこそ。……彼の本質は、まだわからない。けれど、もし彼女が傍にいる限り、彼は――」
そこで言葉を切り、視線をそらす。
「まだ、こちら側にいるかもしれない。私は、そう信じたい」
それは、幹部という立場ではなく、一人の“上司”としての、願いだった。




