4話
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夜の風が、窓をかすかに揺らしていた。
結は、ソファの上で俺を待っていた。
膝を抱えて、じっとこちらを見つめている。
いつもより言葉が少ないのは、俺の空気が違うと気づいているからだ。
「話があるんだ」
短くそう切り出すと、彼女は黙って頷いた。
何も聞かず、ただ俺の言葉を待つ。その優しさが、今は少しだけ痛かった。
「……俺は、この世界を捨てる」
空気が、凍ったように感じた。
けれど、結は驚かなかった。ただ、静かに続きを促してくれる。
「半年以上前から、抜ける準備をしてた。
任務外で動いて、外部の依頼を独自に受けて、報酬を全部逃亡資金に回した」
「……やっぱり」
「気づいてたのか」
「うん。あなたの癖、わかってるから。……目の奥が、いつもと違った」
彼女は、何かを飲み込むように目を伏せた。
「俺は……もう、誰かを殺す理由を持てない。
ずっと、この組織で生きてきた。でも、もう限界だ」
「それは……」
「結、お前と出会って、少しずつ人間に戻れた気がした」
俺の言葉は、途中で詰まった。
こんな台詞を、口にする日が来るとは思ってなかった。
結は顔を上げ、真っすぐ俺を見た。
「――連れて行って。私も」
「それは……」
言葉を選ぶ暇もなく、彼女は膝を立てて、俺のそばまで来た。
手を握られた。小さな手だった。でも、ずっと支えてくれた手だ。
「言ったよね。私は、あなたがいなきゃダメなの。
もし一人で逃げるつもりだったら――それは、私を殺すのと同じだよ」
その言葉に、心が刺された。
無意識に、逃がす“つもり”でいたのかもしれない。
危険な道だからこそ、巻き込まないように――
でも、それは勝手な“守った気”だった。
「……すまない」
彼女の瞳が潤んだ。
「ねえ、どうして謝るの?」
「俺は、お前の全部を背負えるほど強くない」
「嘘。そんなこと、最初からわかってた。でも、それでも私は、あなたと一緒にいたかった」
涙が頬をつたう。
結は泣きながら、でも声は震えなかった。
「一緒に逃げよう。私、覚悟はできてる。……あなたがいれば、それでいいの」
俺は黙ってその涙を見ていた。
あの日々が蘇る。
血まみれの任務帰りに、怪我した俺を手当てしてくれた日。
沈黙しかない夜に、寄り添って背中をさすってくれたこと。
そのすべてが、もう俺の一部だった。
「……明日から動く。脱出ルートは確保済みだ。必要な物資も揃えてある」
「了解。私も……準備する」
彼女は涙を拭って、強く頷いた。
その姿に、どれだけ救われたかわからない。
(俺は、もう一度生き直す。お前と――)
覚悟の中に、希望が芽を出した夜だった。
だが。
窓の外。
遠くに、黒いセダンが一台、静かに停まっているのを俺は見逃さなかった。
(……見られてる)
氷室か。神代か。
あるいは別の“幹部”か。
組織は、気づいている。俺が裏切りを選んだことを。
それでも、行くしかない。
この手を離さないと決めた以上――もう、止まれない。
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