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12月19日、今日はカフェのコルリスを急遽締め、耶麻さんの弟君のお宅にお邪魔することになった。
昨日は耶麻さんが帰られた後、どうしてあんな事やこんな事を聞いたのか麗羽に詰められて苦労した。
子供達の死因はまだ判明していない。
「毒を飲んだように苦しみだして倒れた」と言う弟さんの証言から、毒や蜂蜜の線を疑ったが、どちらも外れた。
毒の知識はそれ程ない。
望命くんから少し、情報を聞いただけの素人だ。
だが、鑑識が丁寧に調べた結果が毒ではないと言うものなのだとすれば、もうそれは毒ではないのだろう。
ならば死因は何だ。
倒れて……死んだ、外傷は見つからない。
「ここがキッチンです」
「……その日その日の使った食材とメニューを教えて頂けますか?」
「わかりました……料理人を連れてきます!」
「瀬凪くん、何か分かったのかい?」
「いえ、まだ何とも。ですが、魚には毒が含まれるものもあります。最も、ちゃんと下処理をしていたり、火にかけていたなら話しは別ですが……」
耶麻さんの弟さんの家は富豪だ。
大富豪の長男と言う事もあり、実家である「耶麻株式会社」を継いだそう。
しかも資産家の令嬢と結婚して子供にも恵まれ、今は家族6人で暮らしていた様だ。
恨みを買うことも多かったと言うので、外部犯がいるとすれば、3人の子供を殺した動機は怨恨でまず間違いはないだろう。
そんな耶麻家の使用人に案内され連れてこられたのは台所。
最後の中学二年生の子供が殺されてから使用されていないらしいので、食器や調理器具はシンクに入ったまま。
それにしても、それまでに2人も殺されていると言うのによくこの場で食事何て出来る……もし自分が殺されたら、と言う事は考えなかったのか。
台所を見渡した後、案内してくれた使用人にそう尋ねた。
僕が尋ねると、勢い良くその場を飛び出し、母屋の方へ走って行った。
そんな僕に不信感を抱いたのか、店長がそう確認して来た。
そう、毒らしき物が検出されなくても、その食材そのものが毒なのであれば、不思議ではない。
だが、食材と言う物は一度火にかけたり、きちんと下処理等を行えば、無毒化出来るものもある。
つまり調理方法次第、と言う訳だ。
「申し訳ありませんが、料理人は今手が離せなくて……ですが、皆様の食事記録表を持って参りました。ご参考までにどうか……」
「お借りします」
数分も経たずして、先ほどの使用人がノートの様な物だけを持って帰ってきた。
そう言って謝ると、彼は持っていたノートを僕に差し出す。
「食事記録ダイアリー」と書かれたそのノートは、ページを捲るとその日その日の食材や料理名が事細かに記されてあった。
―――事件が起きた、その日の事も。
まず最初、小学二年生の子が亡くなった日の夕飯の食事は「鮭のホイル焼き、小松菜の胡麻和え、白米、それからデザートに杏仁豆腐」
特におかしな物もない、毒が含まれているであろう物もない。
次に小学五年生の子が亡くなった日の夜ご飯の食事だ。
「白米、鯖の味噌煮、ほうれん草としらすのポン酢和え、最後にデザートのカップケーキ」
こちらも妙な点は今のところ無い。
最後は中学二年生が亡くなった日の夕飯は「信州そば、タラのハーブパン粉焼き、そして最後にはデザートのプリン」
今のところ見出だせる共通点は、一回の食事に魚類が含まれていると言うことと、デザートがここに運び込まれる前に子供が全員亡くなっていると言うこと。
他の日の食事記録を見てみると、肉類と魚類が同時に調理され、その場に出されており、肉類と魚類が同じ食卓に並ぶことがない日は子が亡くなった日だけ。
これも何か関係があるのだろうか。
「瀬凪くん」
「……!はい、店長」
「他に使用人さんに確認したいことはないかな?」
「……では、その亡くなられたお子さん方は、食物アレルゲン失症制度を受けられましたか?」
「それって……50年程前から出来た制度よね?その制度がどうかしたの?」
使用人が持ってきてくれた「食事記録ダイアリー」に目を通していると、隣にいた店長に声を掛けられたので慌てて返事を返す。
所在無さそうに立っている使用人を見て、最後の「聞きたいこと」も聞いておくことにした。
「食物アレルゲン失症制度」
それは、約50年前にこの国で制定された制度で、任意ではあるが、この国にいるもの全員に受ける様、国から警告が出されている非常に珍しい制度である。
まず初めに、食物アレルギーとは、本来無害な食べ物を異物と過剰に認識してしまう免疫システムの異常反応の事。
原因となる食べ物を摂取すると、主に|2時間以内《多くは摂取直後から30分以内》に、皮膚や粘膜、消化器、呼吸器などに症状が現れる。
症状は進行するおそれがあり、アナフィラキシーやアナフィラキシーショックになることもあるのだ。
食物アレルギーの症状には、じんましん、かゆみ、赤み、むくみ、鼻汁、鼻閉、くしゃみ、口周りの違和感 、咳、喘鳴、声枯れ、呼吸困難等。
そんな食物アレルギーを失症つまり、失くしてしまえる薬品が50年程前にある医師によって作られたのだ。
50年前はその薬自体も数が少なく、世に出回っていなかった為、かなり高価なものとして売られていたが、最近ではどこの薬局でも見つけられるようになったくらい、その薬と制度はこの国に浸透してきている。
まぁ、予防接種と同じ類である。
かく言う僕も、その制度を数年前に適応されており、その薬品も口にした事がある。
味は……思い出したくないので聞かないでくれ。
その薬品が作られてからはこの国で、少なくともこの街で「アレルギー」と言う言葉は耳に入らなくなった。
よほど信頼のおける医師だったのか、あるいは………。
「いえ……、旦那様がそんな薬品信じられるものかと言い張られておりまして、まだ長男以外の御子息様方はその制度を受けられておりません。当のご本人は受けられているご様子でしたが……」
「やはり……、となると死因は……」
「どうやら、見えてきたみたいだね。この事件の隠された陰謀が」
「えぇ。後は、調べるだけです」




