〈file3〉
「うわぁ〜!きれ〜い!」
その日の夕焼け頃。
僕は眞人くんに頼まれた通り、その幽霊と呼ばれる女性を見つけて事情を聞くためにクレインサーベイの事務所へとやって来た。
突然だが夢遊病、と言う睡眠障害をご存知だろうか?
睡眠中にもかかわらず体動が出現しぼんやりと歩き回る症状。
無意識の状態で起きだし、歩いたり何かをした後に再び就眠するが、その間の出来事を記憶していない状態を指す。
その時間は、30秒から30分までの長さになり得る。
原因はストレスやアルコール等様々。
今回のこの女性も夢遊病だと思ってはいるが……やはり人から聞いた話ではなく、実際に近づいて目視してみないと分からないものだ。
「ソファーとか真っ直ぐだし、机の上も綺麗に整理されて……。さすが望命くんだ……。えっと……取り敢えず鍵は玄関の所に……」
クレインサーベイの事務所を、見えるはずのない尻尾を振りながら探索する僕。
シュバッと効果音が聞こえそうなくらいその場その場へと俊敏に移動してゆく。
クレサイの事務所は依頼人さんと対面する為のリビングが見た所1K6畳と、男三人+依頼人となるとかなり狭苦しい空間であった。
だが、冬李さんが植物を育てていたり、眞人くんの物と思われるキッチンの隣に立つ冷蔵庫に沢山の新鮮な食材が入っていたり、望命くんの物であろう正装がキラキラと光るハンガーに掛けられていたり……。
本当に、個性豊かな事務所である。
その後僕は、眞人くんに使用しても良いと許可を貰ったキッチンと自ら運んで来た食材でおやつと夜食代わりの杏仁豆腐を作った。
店長に持って行っても良いと許可を貰った杏仁をボールに入れて砕き、器に盛りつけて完成。
更に望命くんの物であろうコーヒーメーカーがキッチンに置いてあったので、自家製ではないと言う事が残念であるが、まぁ及第点だろうと慣れない手つきでコーヒーを淹れた。
キッチンの向かいにある机で食そうと思っていたが、もう夜の11時。
深夜と言っても、正確な時間は特定できておらず、いつその女の幽霊が現れるか分からないので、その高層マンションのビルが見える依頼人用のソファーで頂く事にした。
ソファーの前には丁度よいテーブルもあったので、まぁ汚さなければ大丈夫だろう。
「……一人は、久しぶりだなぁ……。店長に着いて来て貰えば……いや、店長は相談所の方で忙しいだろうし……」
かちゃかちゃ、と器に匙が当たる音が事務所内に響く。
杏仁豆腐を作ったことはこれまでもある。
食べやすくて、おやつに最適だ。
本当は杏仁の上に果物を乗せて食べるのだが、僕は甘いものはあまり好んで食べない為、杏仁だけで十分である。
食べ終えた杏仁が入っていた器をシンクの中に入れた時、冷たいナニカが首につたった。
ここに来る前にもう湯浴みは済ませている。
だからだろうか、先ほどから結っている髪からほんの数滴だが、雫が滴り落ちてきていたのだ。
持ってきた湯上がりタオルを鞄から取り出し、タオルで髪をまとめたが、崩れてしまう。
やはり未だに上手く出来ない。
ヒュォォォォォ
「すごい風。……窓、閉めてたよね?―――!」
慌てて閉めたはずの窓に寄りかかると、そこには目を疑うほど綺麗な着物を召した女性がひらりひらりと月明かりの下で踊り舞っていた。
もしかすると、窓を開けて僕に知らせてくれたのかも知れない。
「私はここにいるよ」、「ほらおいで」と。
確かに、眞人くんが幽霊というのも頷ける。
化粧っ気の無い綺麗な白い肌に、透き通るような長い白髪。
月明かりに照らされながら踊る彼女は、多分今はこの世の誰よりも美しく、聡明だ。
「あっ、それよりあのビルの屋上に行かなきゃ……!」
そうだ、見惚れている場合では無い。
これはれっきとした依頼だ。
あの女性の正体を突き止めて、何故あんなところで踊っているのか、聞き出さないと。
慌てて上着を着たからか、肩からずれ落ちていたが、そんな事を気にする余裕など無い。
玄関に置いてある事務所の鍵を手にとって掴み、扉を開けて鍵を閉める。
いつものスニーカーではなく、雪駄をはいてきたからか、少し歩きづらい。
時刻は深夜1時を過ぎていただろう。
こんな深夜に、しかも未成年があんな高層ビルに入れる訳が無い。
―――だから、その事を見越していた望命くんの勝ちだ。




