6-5 昇級試験
冷たい石の床に、柔らかな足音が響く。
ギルド本部、その奥深くにある特例試験室。外の喧騒とは隔絶された空間には、無機質な静寂だけが支配していた。
その中心に置かれた木製の机に、ルイナはゆっくりと腰を下ろす。
硬い椅子。ぴんと張りつめた空気。規則正しい呼吸の中で、彼女の心は静かに波打っていた。
目の前には、試験官の男性が立っている。灰色の髪を丁寧に撫でつけた彼の瞳は冷静で、しかし不必要な威圧はない。公平さと、厳しさを備えた視線だった。
「これより、特例昇格試験を開始する。午前は筆記、午後は実技。時間は限られている。集中して臨むように」
隣にはルーク。
何の迷いもなく試験用紙を手に取り、筆を持った。視線は真っ直ぐ問題へ。動作一つとっても、無駄がない。まるで、この空間すら自分の領域であるかのように。
ルイナは、その横顔をちらりと見た。
(……さすがだな)
心の中で呟いた言葉は、劣等感ではなかった。
努力の軌跡と確かな力への、純粋な敬意。そして——
(私も、負けていられない)
カリカリ、とペンの音が響く。試験開始の合図はなかった。ただ、時間が静かに流れ始めた。
―――
筆記試験は、単なる知識の問答ではなかった。
「仲間が毒状態に陥った際、回復手段がない。優先すべき行動は?」
「魔物リザントラに遭遇。周囲の地形は森。戦力差をどう埋める?」
記述式、状況判断、応用戦術。
ルイナは一瞬、問題を見つめたまま手を止めた。
けれど、すぐに思い返す。神殿で習った魔法の理論。旅で得た実践的な経験。ルークと過ごした訓練の日々。すべてが、今の彼女を支えていた。
(落ち着いて。焦らない。状況を整理して、最善を導く)
書き進めるたびに、手応えを感じた。
隣のルークは、まるで呼吸するように筆を走らせている。無駄のない動作。それでいて、隣にいる彼女の気配を、一瞬だけ確かめるように横目で見た。
一言も発さず、視線を戻す。
(……ありがとう。大丈夫。私は、ちゃんと準備してきた)
静寂の中、ルイナの目が強く輝く。
―――
午後、場所を移した特設試験場。
結界に守られた広い空間には、整えられた石畳と、魔物召喚用の魔法陣が刻まれていた。
「ペア戦形式で、討伐対象は二体。上級オークおよび高速ウルフ。制限時間内に、安全に対処せよ」
試験官の声に続いて、魔物が出現する。
筋骨隆々のオークが唸りを上げ、鋭く地を蹴るウルフが低く唸った。
「俺がオークを引きつける。お前はウルフを頼む」
ルークの短い指示に、ルイナは驚いたがすぐに頷いた。
「分かった!」
風が鳴る。ルイナの魔力が空気を震わせ、ウルフの前に強風を走らせた。
狙いは速度の阻害と視界の奪取。さらに水魔法を絡め、足元の地面に冷気を流し込む。滑らせるための“罠”。
ウルフの動きが鈍った。
(……よし、いける!)
一方、ルークは炎の魔力を剣に纏わせ、真っ向からオークに斬りかかる。
音が弾け、地面が揺れる。魔物の咆哮を切り裂くように、炎の剣閃が振るわれた。
「ルイナ、次の一撃で決める」
「うん!」
ルイナはタイミングを見極め、風の流れを操りルークの一撃を援護。
その瞬間、二人の力が重なった。炎と風が交錯し、魔物を包み込む。
やがて、試験場に静寂が戻る。
試験官が静かに告げた。
「……試験は以上だ」
―――
夕方。ギルドの応接室。
静かな空間に、ルイナは深く息を吐いた。
張り詰めていた糸が、ふっと緩む。
「……緊張、まだ抜けないや」
「よくやった。今のお前なら、胸を張っていい」
その言葉に、ルイナはそっとルークを見た。
昔の彼とはまるで違う。冷たく、無感情だった彼はもういない。
(優しい。こんなにも、優しくなった)
やがて、扉が開く。試験官が無表情で入ってきた。
「結果を伝える。お前たちは——Cランクに昇格とする」
ルイナの目が見開かれる。
「……Cランク……!?」
「本来ならばB以上の評価だ。しかし、周囲との関係もある。今は、そのくらいが妥当だろう」
驚きと共に、ゆっくりと胸の奥にあたたかな喜びが満ちていく。
(……私、認められたんだ)
静かに呟くように笑みを浮かべたその時。
隣にいたルークが、ほんのわずかに唇を緩めた。
「俺たちなら、もっと上を目指せる」
「うん!」
「だが今はCランクくらいがちょうどいい。……目立ちすぎるのは、面倒だからな」
「……お前の実力を、誰よりも知ってるのは俺だけだ」
その声音はあくまで淡々としていたのに、ルイナの胸が跳ねた。
(まったくもう……! そういうの、さりげなく言うの反則だからっ……!)
唇を噛みしめるようにして、顔を逸らす。
ルークの目が、そっと彼女の横顔を見つめていた。
──昇格という結果だけではない。
確かな成長と、信頼。そして、確かに進んでいる“二人の距離”。
物語は、静かにその一章を締めくくった。
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