1-3 魔力の適応障害と魔物襲来
世界がぐらりと歪んだ。
視界が霞み、遠のいていく。頭が割れるように痛み、身体の力が抜けていくのを感じた。
(……なに……これ……)
ルイナの意識は、徐々に暗闇に沈んでいった。
「ルイナ!? しっかりして!!」
スオリスの焦った声が響く。
ルイナは湖のほとりに倒れ込んでいた。浅い呼吸を繰り返しながら、額に汗を滲ませている。
(魔力が……乱れてる……?)
スオリスは、ルイナの身体から微かに放たれる魔力の波動を感じ取った。普通の人間なら感じるはずのない、淡い魔力の揺らぎ。それは、制御されていないために不安定で、今にも暴走しそうなほど不穏なものだった。
「まさか……魔力酔い?」
異世界の魔力に適応できず、身体が拒絶反応を起こしているのだろうか。けれど、普通の人間ならそもそもこんな魔力を持つはずがない。
「……あなた、一体……」
スオリスが戸惑いながら呟いた、その瞬間だった。
ピキィッ……!
空気が張り詰めた。
異様な音が、遠くの森の奥から響いてくる。
「……なに?」
スオリスの羽がピクリと震えた。嫌な気配がする。耳を澄ますと、森の中から何かがこちらへ近づいてくるのが分かった。
ギィ……ギギ……ギギギ……
不気味な声が森の奥から響く。
ピンと張り詰めた空気が広がり、湖畔の小さな生き物たちが一斉に姿を消した。鳥のさえずりが止み、風までもが静まる。
これは、何かが近づいている証拠だった。
スオリスの背中に冷たい汗が流れた。
「……嘘でしょ……こんなところに、魔物……?」
黒い影が、森の奥からにじり寄るように現れた。ゆらり、ゆらりと、異様なうごめき方でこちらへ近づいてくる。獣のようなフォルムに、どろりとした黒い靄を纏っていた。
スオリスの心臓が強く打つ。
(どうして……? どうしてこのタイミングで……!?)
魔物が、こちらをじっと見つめている。いや、正確には――。
(……ルイナを狙ってる……?)
スオリスは戦慄した。
今のルイナは、動けない。魔力酔いのせいで意識すらも危うい状態。もし、魔物が彼女に襲いかかれば――。
考えるまでもない。
スオリスはルイナを守るように前に出た。
「くっ……!」
自分の中にある魔力を呼び覚ます。
(私は妖精…なら、魔法で戦えるはず…!)
空気中の水分が集まり、スオリスの手元に波紋が広がる。水の魔法を発動しようとした――が。
「……っ!? なんで……っ魔法が……っ!」
魔力の流れが、妙に不安定だった。
まるで自分の魔力が別の何かに干渉されているかのような違和感。
(……なに、これ……?)
迷っている暇はない。
魔物が、こちらへ飛びかかろうとしていた。
スオリスが魔法をもう一度発動しようとした――その時。
パァァァァァッ!!
ルイナの身体から、眩い光が溢れた。
「えっ……何っ!?」
光の粒子が宙を舞い、まるで湖の水面が一気に解き放たれたように、柔らかく空間を包み込んだ。そこに満ちるのは、圧倒的な魔力の奔流。
そして、その瞬間――スオリスの姿が変わった。
「っ……!!?」
ふわりと、藍色の髪が流れる。先ほどまでの淡い銀色は消え、深海のように静かで深い蒼が揺らめいていた。
背中にあった羽は消え、代わりに彼女を包むように水流が柔らかく漂う。衣はたおやかに流れるロングドレスへと変わり、裾に煌めく水の紋様が揺れるたびに儚く輝いた。
深く澄んだ瞳には、星を宿したような光が揺らめいている。
ただそこにいるだけで目を奪われるほどの神秘的な美しさ――それこそが、スオリスの真の姿だった。
(なに、これ……私……!?)
だが、その戸惑いに浸る時間はなかった。
目の前には、魔物。
スオリスは直感的に手をかざす。
瞬間、流れるような動きで水の刃が生み出された。
「……!」
スオリスは無意識に魔物へと水の刃を放った。
ザシュッ!!
鋭い音が響き、魔物は両断される。
黒い靄が弾け、魔物は苦しげな唸り声を上げながら、消えていった。
――静寂。
スオリスは、目の前の光景に、ただ立ち尽くす。
(これ……私の魔法……? 違う、これは……!)
だが、次の瞬間。
「っ……!!」
スオリスの身体が、ガクンと力を失った。
(……っ、だめ……動け……ない……)
極度の疲労が押し寄せる。まるで、全ての力を持っていかれるかのように、身体が重くなった。
視界がぐらりと歪む。
そして、無意識に――スオリスの身体は、ルイナの胸元のペンダントへと吸い込まれるように消えていった。
「……ルイナ……あなた、一体……」
最後の呟きを残し、スオリスの意識は闇に沈んだ。
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その後、湖畔には静寂が戻った。
倒れたままのルイナ。
ペンダントの中で眠るスオリス。
そんな二人を、遠くから見つめる影があった。
「……なんだ……? あれ……」
男の声が、静かな湖畔に響く。
しばらく様子を伺ったあと、影は近寄り――ルイナの顔を確認すると、驚いたように息を呑んだ。
「……女の子が倒れてる!? おい、こっちだ!」
「大丈夫か!?」「誰か、助けを……!」
たまたま通りかかった村人たちが、倒れているルイナを発見する。
彼らは急いで駆け寄り、彼女を抱きかかえると、近くの村へと運んでいった。




