4-4 血の記憶
ゆっくりと意識が浮上していく。目に入った天井の模様で、それが確かに“記憶の中にあるもの”だと認識するまで、数秒の時間を要した。
(……ここは……あぁそうだ……俺は…)
「目覚めたか」
低く落ち着いた声が部屋の中に響いた。
目線を向けると、静かに椅子に腰掛ける父の姿があった。以前よりも皺が増えたように見えるその顔には、安堵と僅かな疲れが混じっている。
「……父上」
自分の声がかすれていることに気づく。喉が乾いているのか、それとも長く眠っていたせいか。
「具合はどうだ」
「……起き上がれるくらいには……」
そう答えながらも、確かに体は重い。だが、それ以上に、頭の中を駆け巡る疑問が多すぎた。
「……あの、それで……」
聞きたいことは山ほどあった。しかし、どこから言葉にすればいいのか分からない。
それを察したのか、ライナルトは静かに頷いた。
「ああ、そうだったな」
深く息を吐きながら、彼は語り始めた。
「ミアからの報告を受け、王国軍が動いた。神殿を制圧し、お前を救出した」
淡々とした口調で、事の顛末を説明していく。
「今、神殿は浄化の真っ最中だ。粛清された者も多い。高位神官のほとんどは処刑、あるいは追放された」
ルークは思わず息を呑む。
「……そこまで……」
「当然だ」
ライナルトは揺るがぬ眼差しで続けた。
「貴族の子息に対する非人道的な行為が露見すれば、もはや神殿に正義はない。王国として見過ごせるはずがないだろう」
それは、冷徹な理に基づいた判断だった。
「だが、組織の根幹はそう簡単には崩れない。まだ動乱の渦中にある」
「……つまり、まだ完全には終わっていない、と」
「いずれは王国の管理下に置くことになるが、今はまだ掌握しきれていない。根が深いからな」
ルークは沈黙した。
神殿の影響力が低下することは間違いない。だが、これで完全に終わるとは思えなかった。むしろ、今は一時の停滞にすぎないのではないか——そんな不安が胸の奥に湧いてくる。
(……王国は本当に神殿を潰すつもりなのか?)
自分の存在が、ここまで事態を大きく動かしてしまったことを、改めて実感する。思考がまとまらないまま、ルークはゆっくりと目を閉じた。
すると、不意にライナルトが言った。
「ルシアン——少し昔の話をしよう」
父の声は、これまでとは違った静けさを帯びていた。
ルークは薄く目を開き、僅かに眉をひそめる。
「昔の話……ですか?」
「お前は、神殿に預けられた当時のことを覚えているか?」
ふいに投げかけられた問い。
ルークは思わず言葉を詰まらせた。
「当時…そういえば……覚えていません…」
そう答えながら、改めて自分の記憶を探る。
「…ずっと精霊が視えるというだけだと思っていました」
「……そうか」
ライナルトは短く呟くと、静かに目を伏せた。
「お前は——かつて、闇の力を暴発させ、人を殺めたことがある」
部屋の温度が一瞬で下がったような錯覚に陥る。
ルークの思考が、一瞬で停止した。
「……何、を」
「覚えていないのも無理はない。だが、それは事実だ」
信じられなかった。
いや——信じたくなかった。
「俺が……人を……?」
「そんな……記憶なんて……」
心臓が不快なほどに鳴る。指先が僅かに震えているのが分かった。
「お前が生まれてすぐ、魔力検査を行った。火・土・雷……そして、"闇"の属性があると判明した」
ライナルトの言葉が続く。
「闇属性を持つ子は、すぐに神殿へ預けられるか、あるいは"産まれなかったことにする"家庭もある」
「貴族として、闇を抱える子を育てるのはリスクが大きい」
「……なら、なぜ……俺を」
ルークは震える声で問いかけた。
ライナルトは、ほんの僅かに視線を落とし、目を細める。
「お前の母が——"この子を育てたい"と言ったからだ」
ルークは息を呑んだ。
「産後の肥立ちが悪く、体は弱かったが……お前を愛してやまなかった」
「お前の名前を呼ぶときの、あいつの笑顔を今でも覚えている」
「ルシアン——お前を"ルーク"と呼んだのは、母だったよ」
ルークの呼吸が浅くなる。
「母が……俺に……?」
「今思えば……あいつは、自分があとどれくらい生きられるのか、見当がついていたのかもしれない」
静寂が落ちる。
ルークはゆっくりと瞳を伏せた。
初めて聞く真実。母の愛情。自分が背負っていた"影"。
これまで知ることのなかった過去が、少しずつ繋がっていく。
そして、ゆっくりと、心の奥で何かが軋んだ——。
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