4-2 狼煙
ルークの部屋の扉が静かに閉じられた後、公爵は無言のまま歩き出した。足取りは重く、まるで沈んだ心を引きずるかのように。それでも彼の背筋は真っ直ぐで、纏う威厳が揺らぐことはない。
ミアは数歩遅れて歩を進める。彼の隣を並んで歩くことは許されないと理解しているからだ。
「……」
公爵は何も言わない。ただ淡々と歩く。だが、その沈黙の裏で、彼が何を思い、何を堪えているのかは分かる。
しばらくして、公爵が小さく息を吐いた。
「私は……自分の息子がこんな目に遭うまで、何もできなかった」
低く絞り出された言葉は、悔恨と怒りに満ちていた。
「父として、貴族として、これほどまでに無力であったことが、情けない」
その背中から滲む感情は、今まで見せたことのないものだった。
「ルシアン様が地下牢に囚われたと貴方が知ったのは、影の報告が届いた時でした」
ミアは淡々と事実を告げる。
「彼が自由を奪われ、拷問を受けていると判明した時点で、私は貴方に最優先で情報を届けました」
公爵は深く息を吐く。「……感謝する」
だが、その声には苦味が滲んでいた。
「それでも、私は間に合わなかった」
静かに拳を握る音が聞こえた。
「神殿は——王国の貴族を拷問した。これは国家への反逆に等しい行為だ」
「この報告を受けた時、私は即座に王都へ向かった」
「そして——国王陛下にこの事実を伝えた」
その言葉を境に、意識は過去へと遡る。
王国の夜を切り裂いたのは、 戦の狼煙だった——。
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ーー地下牢
夜の神殿は不穏な空気を孕んでいた。
ミアは無言のまま廊下を進み、影に紛れるように動く。神殿の奥、誰も近づかぬ隠し通路。その奥で、黒衣の男が待っていた。
「……報告。」
低く囁くと、影の仲間は一歩前に出た。
「急報、至急伝達せよ。ルシアン・エーベルフェルトは現在、神殿の地下牢に拘束され、拷問を受けている。」
その言葉に、影の男は微かに目を細めた。
「……なるほど。ついにここまで来たか。」
「王国の貴族を拷問。これが何を意味するか、神殿は理解していないようですね。」
ミアは微かに頷き、最後に一言だけ残す。
「これで、終わりですね。」
影の仲間は無言で頷き、闇に溶けるように姿を消した。
ミアは一瞬だけ、虚空を見つめる。
(あなたが生きてここを出られるよう、私は私の役目を果たすだけ……)
そして彼女もまた、何事もなかったかのように神殿の影へと戻っていった。
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深夜にも関わらず、執務室には緊張感が満ちていた。
大広間の重厚な扉が開かれ、黒衣の男が静かに進み出る。
「……遅かったな。」
低く響く公爵の声。その表情は、静かに怒りを滲ませていた。
「報告申し上げます。」
影の男は膝をつき、静かに告げる。
「ルシアン様は現在、神殿に拘束され、非人道的な拷問を受けています。」
「…………貴様、今なんと言った?」
声の温度が、極端に下がる。
「ミアからの急報が入りました。既に長くは持たない状況だと。神殿はこのまま処分するつもりのようです。」
次の瞬間——
ゴッ!!
重厚な机が叩きつけられ、書類が舞った。
「ふざけるな……!」
公爵の青ざめた顔が怒りに染まる。
「王都の貴族を、神殿の手で拷問しただと!? そんなことを許すと思うか!!」
拳を握りしめたまま、執務机を強く押し込む。
「国王陛下に直ちに報告する。これは……戦争行為だ!」
王国と神殿の間に、取り返しのつかない溝が生まれた瞬間だった。
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夜明け前、王都の王宮前には、すでに武装した兵士たちが集結していた。
国王の命を受け、騎士団と貴族派の軍が編成される。
「神殿を制圧する!」
鋭く響く号令とともに、軍勢は一斉に動き出した。
数時間後——
神殿の門前には、すでに王国軍が展開していた。
「神殿に知らせよ。王国軍より勅命を伝える!」
城門の前で号令が響く。
「なっ……なぜ王国軍が!? 何事だ!?」
神殿の兵が動揺し、慌てて門を固める。
「馬鹿な質問をするな。神殿の罪を問うためだ。」
王国軍の将校が鋭く告げると、神殿の者たちは凍りついた。
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神官長は焦燥を隠しながら、王国軍の将校と対峙した。
「王国軍が神殿を包囲するなど……何の真似だ!」
「神殿は、王国貴族を不当に拘束し、拷問した。その責任を追及する。」
「馬鹿な! これは神殿の内部問題だ!」
神官長は声を荒げるが、王国軍の将校は冷ややかに言い放った。
「ならば確認させてもらう。ルシアン・エーベルフェルトをここへ出せ。」
一瞬、神官長の顔が引き攣った。
(……まずい、奴が生きていたら……!)
しかし、兵士たちがすでに神殿の内部へと踏み込んでいた。
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重厚な地下牢の扉が、魔法によって無理やりこじ開けられる。
「ここか……」
王国軍の兵士が中に踏み込むと、そこには——
血にまみれ、意識もなく横たわるルークの姿。
まるで物言わぬ屍のように、傷だらけの体が横たわっていた。
「…………見ろ。これが“内部問題”の結果か。」
牢の外で、王国軍の隊長が静かに言い放つ。
神官長の顔から血の気が引く。
「ぐっ……」
そこへ——
公爵が、静かに歩み寄る。
「貴様ら、貴族の息子を……これほどまでに痛めつけたのか……?」
拳を震わせながら、怒りに満ちた瞳で神官長を睨みつける。
「これが“聖職者”のやることか……?」
神官長は何も言えず、ただ唇を噛みしめた。
そして、王国軍の将校が静かに宣告する。
「貴様の言い分は、もうどうでもいい。神殿は、この件について責任を取ることになる。」
神官長は完全に詰んだ。
神殿の内部に、王国軍の兵が次々と流れ込む。
そして——
王国と神殿の力関係が、決定的に変わる瞬間が訪れた。
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