4-1 黎明
静寂の中、微かな音が意識の底に響く。
かすれた木の軋み、遠くで揺れる布の擦れる音——誰かの気配。
——暗闇の中、意識がゆっくりと浮上していく。
重い瞼を持ち上げようとするが、視界はぼやけ、焦点が合わない。
(……どこだ?)
見慣れぬ天井。けれど、どこか懐かしい——そんな錯覚を覚える。
脳裏に残る最後の記憶。
——冷たい石の床。
——焼けつくような鞭の痛み。
——歪んだ嘲笑と、滲む血の感触。
(……俺は、確か……)
「目が覚めましたか?」
不意に、柔らかな声が耳を打つ。
ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、ルークは視線を巡らせる。
そこにいたのは、見知らぬ女性——だが、どこか見覚えのある顔立ち。
「……まだ動いてはいけません。傷が広がってしまいますよ」
優しく諭す声と、穏やかな瞳。しかし、ルークの混乱は拭えない。
(……知らない……いや、誰かに似ている……?)
身体を起こそうとした途端、全身に鋭い痛みが走る。
「っ……く……」
「無理をしてはいけません」
慌てた様子で、女性は立ち上がる。
「すぐに人を呼んでまいりますね」
ルークはただ、その背を目で追うことしかできなかった。
(これは……神殿では、ない?)
(どうして俺はここにいる……?)
(なぜ……助かった……?)
思考を巡らせるが、答えは見つからない。
——コツ、コツ、と静かな足音。
微かなノックの音が響く。
ルークは反射的に身を強張らせた。
「久しいな……」
低く、落ち着いた声が部屋に満ちる。
「こんな再会の仕方は、望んでいなかったが……」
ゆっくりと視線を向ける。
そこに立っていたのは、記憶よりも年を重ねた男——
ルークの父であり、現公爵家当主のライナルト・エーベルフェルトだった。
「……父……上……?」
どこか戸惑いの滲む声が、唇から零れる。
彼の顔は、記憶の中の厳格な父親よりも、疲れた影を帯びていた。
(……どういうことだ……?)
(まさか……ここは……)
薄れた記憶が、微かに蘇る。
先ほどの女性。
確か、小さい頃に世話をしてくれた……
視線を巡らせれば、部屋の調度品の一つ一つが、幼い頃の記憶と一致する。
(……家、なのか……?)
「家……? 俺は……なぜ……」
自分がここにいる理由を知りたい。
だが、頭がまだ働かない。
父親は一つ、ゆっくりと息を吐く。
「ふむ……どこから話せばよいか……」
戸惑うような声音。
それほどまでに、この状況は異常なのだろう。
——再び、ノックの音。
「失礼します」
聞き覚えのある声。
だが、ここにいるはずのない声。
ルークの意識が、一気に覚醒する。
扉が開く。
そこに立っていたのは——
「……ミア……?」
まるで夢を見ているかのような声が、自分のものとは思えなかった。
ミアは表情を崩さず、淡々と告げる。
「回復士を連れてまいりました」
ルークの混乱が、さらに深まる。
「なぜ……ここに……?」
強く問いかけるが、彼女の表情は変わらない。
「ミアは、我が公爵家に仕える“影”の一人だ」
父の声が、静かに落ちる。
「影……?」
ルークの頭は、理解を拒むように鈍く働く。
「彼女には、神殿に潜入し、諜報活動をさせていたのだ」
「…………」
何かを言おうとするが、思考がまとまらない。
目の前に立つミアは、いつもと変わらない。
冷静で、どこまでも沈着な表情。
しかし——
(つまり……俺は最初から“監視されていた”ということか……?)
事実を理解しても、感情がついてこない。
「まだ話をするには早かったかもしれんな。まずはゆっくり休め」
父はそう言うと、ミアに視線を向け行くぞ、と告げた。
「くれぐれも頼んだぞ」
「承知しました」
淡々とした声が響く。
ルークは、ただ呆然と二人を見送ることしかできなかった。
——回復士の気配。
気づけば、柔らかな光が周囲に広がっていた。
魔力が、ゆっくりと体を癒していく。
温かく、包み込むような感覚。
「……結局、俺は……助かったのか……?」
「……いや……何が起こっている……?」
「……ミアが……影……?」
混乱したまま、意識が再び闇へと沈む。
——静かに、夜が明けようとしていた。




