3-8 拘束
夜の静寂を引き裂くように、鋭い剣戟の音が響いた。
ルークは低く身を沈め、神官の刃をすんでのところで躱す。片手で剣を操りながら、もう片方の手で魔力を込める。光の奔流が指先から解き放たれ、敵を退けながら瞬時に間合いを詰める。
「くっ……!」
神官たちの間に動揺が走った。その隙を突き、ルークは素早く立ち回る。剣を振り下ろせば、金属が軋む音とともに弾かれる。再び魔法を発動させようとするが——
(まずい……包囲が狭まってきてる……!)
神官たちは動きを洗練させ、じりじりと距離を詰めてくる。呼吸が浅くなり、額に薄く汗が滲む。
(このままじゃ、キリがない……!)
出口を探しながらも、敵の数が多すぎることを悟る。彼らの動きには迷いがなく、一瞬でも隙を見せれば即座に封じられるだろう。
その時——
「もういい、これ以上無駄な抵抗をするな」
冷たい声が響いた。
戦場に立つ者たちが一斉に動きを止める。ルークはその声の主を探し、ゆっくりと視線を向けた。
神官長が、堂々とした態度で立っている。
その隣には——
グレゴール。そして、ミア。
(……ミア?)
彼女は淡々とした表情でそこにいた。感情の欠片すら感じられない。
ルークは一瞬、理解が追いつかなかった。しかし、すぐに考えを巡らせる。
(まさか……いやそんな……)
彼女が自分を売るとは思えない。それでも、確信には至らず、剣を握り直す。
「ルシアン・エーベルフェルト、お前は——」
神官長が手を掲げた。
次の瞬間、奇妙な魔力が空間を歪ませる。
彼の手には、見慣れぬ拘束具。
低く呪文を唱えれば、禍々しい魔法陣が浮かび上がり、黒い鎖が宙を舞った。
(……何だ?)
思考する間もなく、鎖が絡みつく。
「……ッ!!?」
身体が強制的に縛られ、動きを封じられる。剣を振るおうとするが、腕が重い。魔力を込めようとするが、まるで力が吸い取られるかのように消えていく。
「……っ、魔法が……発動しない……!?!?」
試そうとすればするほど、魔力が抜け落ちる感覚が増していく。全身を押さえつけるような、得体の知れない圧迫感。呼吸すら浅くなり、思考が鈍る。
「未完成でも、魔法さえ使えなければこちらのものだ」
神官長は余裕を滲ませながら、手を下ろした。
「処分が決まるまで地下牢で繋いでおけ」
「ほう、誇り高き“聖女の騎士”様も、今やただの囚われの身ですなぁ」
グレゴールの嘲笑が耳障りだった。
「フン、犬には鎖がお似合いだ」
ルークは表情を崩さない。だが、彼の視線は冷たく、何かを堪えるように鋭い。
その時——
「……馬鹿な人」
ミアの淡々とした声が響いた。
彼女の言葉は、まるで何の感情も持たない機械のようだった。しかし、ルークはそこに含まれた意味を感じ取る。
(……そういうことか)
彼は何も言わず、ただ目を閉じた。
──抗うこともできないまま、ルークは神官たちによって地下牢へと引きずられていった。
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闇に沈む石造りの空間に、かすかな水音が響く。壁を伝う冷たい滴が床を濡らし、湿った空気が肌にまとわりつく。神殿の地下深くにある牢獄。ここに入れられた者は、二度と日の光を拝むことのない場所。
鎖が軋む音が静寂を破る。
ルークは鉄の枷で両手を天井近くの壁に吊るされ、荒い息をついていた。拘束具によって魔力を封じられたまま、抵抗する術もなく、じわじわと体力を奪われていく。
何度も試した。魔力を巡らせ、わずかでも制御できる隙間を探した。しかし、何かに絡みつかれたように、力は一向に応えない。指先一つでさえ、魔法の気配すら感じられないのだ。
(……クソ……)
舌打ちしようとしたが、唇が乾いている。喉はひどく渇き、目の前の景色が揺らいで見えた。
「さて……随分と静かですねぇ、ルシアン・エーベルフェルト」
ゆっくりと足音が近づいてくる。
鉄格子の向こうで、光を背にした影が、歪んだ笑みを浮かべていた。
「まさか、こんなにもおとなしくしているとは思いませんでしたよ」
グレゴールだった。
背後の神官たちが灯す魔法の光に照らされ、手にした鞭がわずかに輝く。
「お前には聞きたいことが山ほどあるんですがね。まあ、まずは礼儀として、しっかり挨拶をしておきましょうか」
鞭が振り上げられる。
次の瞬間——
鋭い風切り音と共に、痛みが背を引き裂いた。
「……っ」
熱い痛みが走る。傷口から滲む血が、冷たい石の床へと滴り落ちた。
「おやおや、さすがですねぇ。普通なら叫び声くらい上げるものですが?」
グレゴールが愉快そうに首を傾げる。
ルークは睨みつけることさえせず、ただ口を引き結んだ。
「……ふん、黙っていれば済むとでも?」
鞭が再び振り上げられる。
バシィンッ!
衝撃が全身に走る。傷口が裂け、血の感触が背に広がっていく。
ルークは目を閉じ、痛みを意識の外へと追いやった。だが、感覚を遮断するには、それはあまりにも生々しかった。
「どうした? お得意の冷静さはどこへ行った?」
グレゴールが耳元で囁くように言う。
「貴様のご主人様とやらも、今ごろは震えているかもしれんな」
——その言葉に、ルークの拳が強く握られた。
「はは、どうせ“自由”なんて夢物語だ」
「…………」
返す言葉はなかった。ただ、爪が食い込むほど拳を握りしめることで、怒りを抑え込む。
「おや、ようやく反応しましたか」
満足げに笑うグレゴールは、さらに追い打ちをかけるように、傷口へ鞭を打ち据えた。
バシィィッ!!
「……っ!」
ついに息が詰まり、わずかに肩が震えた。
グレゴールは嗤う。
「さあ、まだまだ楽しみましょうか」
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ーーそれから、どれほどの時間が過ぎたのか。
背中に刻まれた痛みが鈍痛へと変わる頃には、ルークの意識は霞み始めていた。
(……視界が、ぼやける……)
冷たい石の感触が、痛みと混ざり合い、身体の芯へと染み込んでいく。
「……ここで……終わるわけには……」
言葉にならない思考が、薄れゆく意識の中にかすかに浮かぶ。
(ルイナ……)
その名前が脳裏をかすめた瞬間——
視界が暗転した。
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「……死ぬには、まだ早いでしょう」
囁くような声が、暗闇に落ちる。
静かに近づいてきたのは、一人の影。
足音は小さく、まるで空気を切り裂くように、彼女はルークの牢の前に立っていた。
吊るされたまま、意識を失っている彼を見下ろす。
目を伏せると、ほんの一瞬、表情がわずかに揺らいだ。
(……これは、予想以上に酷い)
「本当に……馬鹿な人」
また、あの言葉が口をついて出た。
神官たちがルークの処遇を議論する間、彼女は影の中で考えていた。このままでは、処分を待つまでもなく、ルークは衰弱し尽くす。
「……さて」
彼女は目を伏せ、僅かに肩を落とす。
そのまま、静かに立ち去る。
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数分後、暗闇の中で囁く声があった。
それは誰にも届かないはずの音だった。だが、その囁きは確実に、"誰か"に聞こえていた。
こうして、神殿の地下牢での拷問は終わりを告げることなく続いていく。
だが、それが“神殿の思惑通り”に終わることは、決してなかった——。




