3-4 ミア
冷たい夜の空気が、神殿の回廊を満たしていた。
夜の帳が降り、昼間の喧騒は嘘のように静まり返っている。
ミアはゆっくりと歩を進め、ルークの姿を見つけると、足を止めた。
ルークは壁に寄りかかるように立ち、どこか思案しているようだった。
「……あなたは、彼女を“聖女”ではなく、一人の人間として見ていますね?」
静かに問いかけると、ルークの肩がわずかに動いた。
「……」
返事はない。だが、沈黙が何よりも雄弁に語っていた。
「神殿の教えを受けたあなたが、なぜ?」
ミアは微笑を浮かべながら問いを続ける。
ルークはちらりと視線を向けたが、表情を崩すことはない。
「……それを知って、どうする?」
ルークの声は低く、警戒心が滲んでいた。
「私の興味です」
軽い調子で答えると、ルークは少しだけ目を細める。
「……俺の邪魔をする気なら許さない」
その言葉に、ミアはくすりと微笑んだ。
「まあ、怖い」
ルークはそれ以上何も言わず、踵を返して去っていく。
その背中を見送りながら、ミアは小さく息をついた。
「……ふふ、あなたは“彼女のため”と言うけれど……本当に、それだけかしら?」
——ルシアン、あなたの本心はどこにあるの?
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翌日、神官長に呼び出されたミアは、厳かな空気の中にいた。
「聖女の役割を徹底するため、ルイナ様には余計な情報を与えるな」
神官長の言葉に、ミアは表情を変えずに頷いた。
「……承知しました」
「これまで以上に、彼女の行動を制限する」
(「つまり、自由を奪うと?」)
心の中で呟く。だが、口には出さない。
神官長の表情は変わらない。
神殿の意志は明確だった——
ルイナを聖女として完全に囲い込む。
自由など必要ない。彼女は、神殿の所有物なのだから——
(……やっぱり、もう逃げ道はなくなる)
ミアは穏やかな笑みを浮かべたまま、心の奥で何かが冷たく沈んでいくのを感じた。
(さて、私はどう動くべきかしら?)
表向きは従順な侍女を演じながら、頭の中では別の計算を巡らせていた。
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神殿の一角。
人気のない小部屋の扉が、わずかに開かれた。
「……予定通り、監視は続けています」
ミアの静かな声が闇に溶け込む。
扉の隙間から、一瞬だけ黒い影が覗いた。
”彼ら”は言葉を発しない。ただ、わずかに顎を引いて続きを促す。
「彼女の環境が変わりました。神殿が本格的に動き始めたようです」
聖女としての自由を奪い、管理する。
それが、神殿の方針。
「いずれ、何らかの選択を迫られるかもしれません」
短く頷いた。
それ以上の確認も、問いもない。
そのまま音もなく身を翻し、闇の中へと溶け込んでいく。
まるで、最初からそこに存在しなかったかのように——。
ミアは扉を静かに閉め、息を吐いた。
(……これでいい)
そう思いながらも、心の奥にほんの僅かな違和感が残る。
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翌朝、ルイナの部屋へ向かったミアは、いつもと違う彼女の姿を目にした。
明らかに疲れている。
顔色は優れず、微かな倦怠感が漂っている。
普段より口数が少なく、どこか沈んだ様子。
「……ルイナ様、お茶をお持ちしました」
いつものように、何事もないかのように振る舞う。
「……ありがとう」
ルイナは微かに微笑んだが、それはどこか儚げだった。
(……こんな顔、初めて見たかもしれない)
ミアはゆっくりとお茶を置きながら、彼女の横顔を盗み見た。
(彼女のために、何ができるだろう?)
——ふと、そんなことを考えた。
(……?)
思考が止まる。
(私は、“あの御方”のために動いているはずなのに……?)
なのに、なぜ“彼女のために”なんて考えてるの?
答えの出ない疑問が、心の中で揺らめく。
(……違う)
それは間違いなく、自分の本音だった。
(彼女のために何ができるだろう、じゃなくて——)
(彼女のために、何かしたいんだ)
ミアは、その感情を否定しなかった。
妙に納得する自分がいることに、ただ静かに気づくだけだった。




