3-3 ルーク
静寂が支配する回廊を歩く。夜の神殿はまるで時間が止まったかのように静かで、白い壁に映る灯火の影がゆらゆらと揺れていた。
ルークは手にした報告書を軽く指で弾きながら、考えを巡らせる。最近の変化——それは、あまりにも急激だった。
ルイナの行動は日に日に制限され、少し前まで許されていたことも、今では「聖女として相応しくない」と言われるようになった。
今日も、彼女がほんの少し外の様子を聞いただけで、神官たちは揃って表情を曇らせた。
「聖女なのだから当然」とでも言いたげに。
その事実が、ひどく不快だった。
「ルシアン、お前の判断に任せる」
報告のたびに、そう言っていたはずの神官長が、最近は決定事項のようにルイナの環境を狭めるばかりだ。
まるで、鳥籠に鍵をかけるように。
扉の前で一度深く息を吐き、無駄な思考を切り捨てるように表情を整える。
そして、扉を叩くと、すぐに中から「入れ」という声が返ってきた。
静かに扉を押し開ける。
「ルイナ様の本日の報告です」
淡々とした口調で報告書を差し出すと、神官長は視線だけで受け取る。
ページを捲る音だけが、室内の静寂を埋めた。
「……ルイナ様の様子は?」
「特に問題はありません。ただ——」
「ただ?」
「最近、行動制限が増えていることに不満を抱き始めています」
神官長は報告書から視線を上げ、まるで「それがどうした」と言わんばかりの態度でルークを見た。
「聖女なのですから、当然でしょう」
まるで、それが当たり前であるかのように言い切る声音。
「……」
ルークは短く息を吐き出す。
「以前、他の神官から『もっと訓練を強化すべき』と意見がありましたが、私は『魔力維持を優先すべき』と進言しました」
「覚えているが?」
「過度な負担は、かえって魔力の不安定化を招きます。心の乱れが原因で暴走することも」
淡々と告げる。
だが、神官長は「そんなものは問題ではない」と言わんばかりに報告書を閉じた。
「聖女としての自覚を持てば、問題は解決するはずです」
ルークの眉が、ほんのわずかに動く。
「……」
この連中に何を言っても無駄だ。
ルークはそう判断すると、無言のまま軽く一礼し、その場を後にした。
神殿の回廊へ出ると、ひんやりとした夜気が肌を撫でる。
すぐそばの窓からは月光が差し込み、静寂と共に、かすかな違和感を落としていった。
「……」
歩きながら、ふと目を閉じる。
暗闇の奥から、過去の記憶が蘇る。
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貴族の三男として生まれた日から、自分の価値など決まっていた。
跡継ぎではなく、かといって捨てられることもない。
万が一の時のために、立派に育てるが、決して“必要”ではない。
そんな扱いが日常だった。
やがて、精霊が視えるという特異な才能を持つことが判明すると、貴族の家よりも神殿に預けたほうが良いという結論が下された。
「お前は、聖女を支える者となる」
それは“命令”であり、決して拒否することはできなかった。
神殿での生活に、自由など存在しなかった。
与えられるのは役割だけ。
感情を捨て、ただ言われたことをこなすことが正義。
「感情など、ただの無駄です」
魔力制御の訓練と共に、何度も何度もそう刷り込まれた。
笑うことも、怒ることも、戸惑うことすら無意味だと。
だから、いつしか、何も感じなくなった。
ただの“駒”として、存在するだけの人間になっていた——はずだった。
なのに——。
ルイナと出会い、それは揺らぎ始めた。
「また一人、犠牲者が増えただけだ」
そう思っていた。
神殿に連れてこられた者たちが、どんな結末を迎えるのか、何度も見てきた。
魔力量の多い平民が神殿に拾われ、制御訓練を施される。
中には神官見習いとして立場を得る者もいれば、制御に失敗し、力の暴走で命を落とす者もいた。
魔力が強ければ、それだけ暴走の危険性も高まる。
その事実を、ルークは誰よりも理解していた。
——ルイナは、今まで見てきた誰よりも魔力が強い。
もし制御しきれなかったら、どうなる?
一瞬、最悪の未来が脳裏をよぎる。
想像だけで、内臓が冷えるような感覚に襲われた。
もし、ルイナがこの神殿で——
「……」
ルークは、無意識に拳を握る。
それまで意識したことなどなかった。
神殿に拾われた人間がどうなろうと、自分には関係のないことだった。
だが——。
あの少女は、自分に向き合おうとした。
この場所のルールに染まらず、自分自身の在り方を考えようとした。
「……ルイナを、失いたくない」
言葉にして、ハッとする。
何を言っているんだ。
そんなはずはない。
……だが。
ルークは、その言葉を否定できなかった。
遠くで誰かの足音が響く。
そして、何気なく耳に入った神官たちの会話。
「聖女は封印のための存在。余計な意識は持たせるな」
「必要なら抑え込むことも視野に入れるべきだ」
——その言葉が、決定打になった。
「……」
月明かりの下、ルークは静かに呟く。
「ルイナを、このまま神殿に閉じ込めるわけにはいかない」
その声に、影から誰かが笑みを漏らす。
「……あなたは、彼女を“聖女”ではなく、一人の人間として見ていますね?」
振り返ると、そこにはミアが立っていた。
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