2-6 彼の名前
訓練場の朝は、ひんやりとした空気が張り詰めている。
神殿の敷地内にあるこの場所は、白い石畳が敷かれ、魔法の制御がしやすいように整えられていた。淡い光が射し込み、静寂の中に鳥の囀りが響く。
ルイナは魔法を扱うための呼吸を整えながら、ふと疑問を口にした。
「そういえば、ルシアンさんの属性って何ですか?」
ルシアンは一瞬だけ視線を向けると、簡潔に答える。
「火、土、雷だ」
その言葉を聞いた瞬間、ルイナの脳裏にいくつかの考えが閃いた。唇に指を当て、思考を巡らせる。
「んん……」
その姿を見て、スオリスが小首を傾げた。
「何か考えてる顔ね?」
「……うん、もしかしたら、できるかもしれない」
彼の眉がわずかに動く。
「何がだ?」
ルイナは弾むように説明を始めた。
「うーん……ルシアンさん、土魔法って、ただ石や地面を操るだけだと思ってません?」
「……違うのか?」
「うん! 例えば、土って振動を与えると状態が変わるんですよ」
ルイナは目を輝かせながら、地面を指さした。
「たとえば、水分を含んだ粘土質の土を振動させると、どんどん液状に近くなるし、逆に細かい砂をギュッと圧縮すると硬くなるんです!
ほら、地震のときに地面が泥みたいになる『液状化現象』ってあるんですけど、それと同じ理屈です!」
ルークはじっとルイナを見つめた。
「……それを魔法で再現できると?」
「できると思います!」
ルシアンはわずかに口角を上げ、深く頷いた。
「なら、試してみるか」
だが、ルイナはすぐに気づいた。
「ここじゃダメかも」
彼が僅かに眉を寄せる。
「なぜだ」
ルイナはきょろきょろと周囲を見回し、ふと指を指した。
「こっち!」
言うが早いか、小走りで移動し始める。ルシアンは少し戸惑いながらも、無言でついていく。
神殿の建物を背に、敷地の端にある、ほとんど人が訪れない広場にたどり着いた。周囲を確認し、ルイナは満足そうに頷く。
「ここなら誰にも見られないし、思い切り試せそう」
彼がその場に立つと、ルイナが隣に並んだ。
「じゃあ、試してみましょう! まず、土に魔力を送り込んで、一定の振動を加えてみてください」
ルシアンは黙って手をかざし、土魔法を発動させた。
次の瞬間、地面が微かに揺れた。
「おぉ! いい感じです! もう少しだけ細かく揺らしてみてください!」
「……やってみる」
彼の額にうっすらと汗が滲む。振動の制御は想像以上に繊細だった。
「もうちょっと、力を均等にして……」
「簡単に言うな……」
微かに苛立ちが滲む声。
ルシアンは無言のまま何度も試行する。何度やっても、思うようにいかない。地面が一瞬柔らかくなっても、次の瞬間には元に戻る。
「……くそ」
低く吐き出した声に、わずかな焦燥が滲む。
(焦ると余計に上手くいかない……か)
そんなとき、ルイナの声が軽やかに響いた。
「大丈夫! ルシアンさんならできます!」
まるで、彼の成功を信じて疑わない声。
ルイナは励ますように手を握るジェスチャーをした。
「そうよ! いっけー!!」
スオリスまでペンダントから飛び出し、応援し始めた。
ルシアンは、静かに息を吸うと、再び魔力を込める。
地面が細かく振動しはじめ、やがて土の粒がふわりと舞い上がった。
「ーー!」
次の瞬間、細かい土の粒が一箇所に集まり、圧縮される。
「……成功した……!」
彼の低い声が、驚きと共に零れた。
ルイナは目を輝かせた。
「すごい……ルシアンさん! すごい! ほら、ちゃんと変化してる!」
ルイナは目を輝かせ、両手を胸の前で握りしめた。
自分のことのように喜ぶルイナの姿を、ルシアンは静かに見つめた。
純粋な喜びに満ちた笑顔。
(……なんだ、これは)
これほど自分の成功を喜ぶ者がいたことが、今まであっただろうか。
胸の奥が、僅かに温かい。
しかし、ルシアンはその感情の正体に気づかないまま、ぽつりと言葉を零した。
「ルーク。……お前なら、ルークでいい」
「えっ?」
「近しい人はそう呼ぶ」
ルイナは目を瞬かせ、ゆっくりと口を開く。
「じゃあ私もルイナって呼んで」
ルークは僅かに逡巡した。
「……いやでも聖女候補を呼び捨てるわけには…」
「いいの、聖女って言われてもいまいちピンとこないし、ルイナ様って呼ばれるのもいつまでも慣れなくて」
しばしの沈黙の後、ルークは頷いた。
「……分かった。じゃあ、ルイナ」
「うん、ルーク!」
「じゃーアタシもルークって呼ぼー!」
スオリスが唐突に割り込んだ。
「アタシのこともスオリスでいいからねっ」
さらに、ニヤリと笑ってこう続ける。
「てかルーク、近しい人いたんだぁ?」
その瞬間、ルークの視線が冷たく鋭くなる。
スオリスはハッとし、ペンダントの中に猛スピードで引っ込んだ。
「ヒッ……!」
ルイナはくすくすと笑った。
ルークは小さく息を吐き、視線を逸らす。
「……馬鹿らしい」
その言葉とは裏腹に、わずかに口元が緩む。
それは、ルイナが初めて見るルークの自然な表情だった。
◇
「これ、もっと広範囲にできたら……?」
ルークが静かに続きを言う。
「戦いでも使える」
ルイナは小さく息を呑んだ。
「……そっか」
この魔法が、ただの実験ではなく、未来に繋がる可能性を秘めていることに、ふたりは同時に気づいていた——。




