2-5 魔法訓練の進展
朝の冷たい空気が、わずかに緩み始めた頃。
ルイナは洗面台の前に立ち、両手に水を掬った。神殿に来て数週間。魔法訓練は日々続き、その中で身についた技がある。
「冷たいと思ってたんだよね……」
ぽそりと呟きながら、水に意識を向けた。魔力を通し、温度を少しだけ上げる。じんわりとした温もりが手のひらに広がり、顔を洗った瞬間、心地よさに目を細める。
「うん、ちょうどいい」
些細なことだったが、日常の中で自然と魔法を使うようになったことに、ルイナは小さな達成感を覚えていた。
そんな彼女の様子を、ミアは静かに見つめていた。
(……無意識に、か)
水温を自在に操るだけでも十分すごい。だが、それを特別なこととも思わず、日常に溶け込ませている。その事実を、ミアは上に報告すべきか一瞬考えた。
(いや……些細なことだ)
結局、ミアはそのままルイナを見守ることにした。
訓練場に向かう途中、ルシアンは既に待っていた。淡々とした歩調で並び、言葉少なに歩く。
「……」
今日も変わらず冷静な彼。しかし、ルイナの中にはほんのわずかな違和感があった。
数週間前でもはっきり思い出せる。彼は確かに笑った。表情はすぐに戻ったけれど、あの瞬間、確かに。
(……やっぱり笑ったよね?)
そんな考えが巡るうちに、訓練場へ到着する。
「始めるぞ」
相変わらず感情を見せない声に、ルイナは思考を切り替えた。
魔法訓練は順調だった。
水の温度調整をマスターし、ルイナは次の段階へ進んでいた。
「今のはどうやった?」
ルシアンが質問を投げかける。ルイナが見せたのは、小さな水流を作り、それを瞬時に氷に変化させる技術だった。
「えと、まず水の温度を下げて……」
「なぜそれで氷になる?」
「水ってね、分子が動きを止めると氷になるの」
ルイナは現代の知識を思い出しながら説明する。ルシアンは僅かに眉を寄せながら、思考を巡らせている。
「分子……?」
「あ、えっと……すっごく小さい粒、みたいなもの?」
「ふむ……」
彼の瞳がわずかに輝いた。いつも冷静で感情を見せないはずの彼が、純粋に知識を求める子供のように。
「……お前のいた世界では、それが常識なのか?」
「うん。例えばね……」
ルイナは水蒸気の発生、蒸気の力、鉄道や飛行機の動力の話へと広げていく。目の前のルシアンは、まるで少年のように夢中になり、つい敬語が抜けた。
「それは……どういう仕組みなんだ?」
「えっとね、飛行機は空気の流れを利用して……」
ルイナはできる限り分かりやすく説明する。ルシアンは腕を組みながら、じっと耳を傾ける。真剣な表情だが、少年のような知的好奇心に満ちた瞳。
(なんだろ……)
ふと、ルイナは思った。
彼がこんなに熱心に話を聞く姿は、初めて見た。
そして、少しだけ微笑ましくなった。
「へぇ~? アンタってそんな顔できるんだ?」
唐突にスオリスがニヤニヤしながら割り込んだ。
「……」
ルシアンがハッと我に返り、即座にスオリスを睨む。
「ヒェッ!」
スオリスはペンダントの中に引っ込む。
ルイナは、くすくすと笑った。
「……?」
ルシアンは、わずかに眉を寄せた。なぜ彼女が笑うのか、その理由がわからない。
けれど――
胸の奥が、わずかに温かかった。
◆
その夜。
ミアはグレゴールの部屋に呼ばれていた。
「ルイナ様の魔法訓練は順調か?」
ゆっくりとした口調。彼の視線はいやらしくミアの足元から上へと這い、彼女の膝に向かって手が伸びる。
「……はい。見たこともない魔法を次々と習得しております」
冷静な声で答えながら、ミアは何食わぬ顔で足を組み直し、その手を避けた。
「ほぉ? ワシの部下は?」
「問題ないかと。いつも通り淡々とこなしています」
「アイツは硬すぎる……ワシがルイナ様に付いても良かったのになァ」
グレゴールが、下品な笑みを浮かべながら言った。
(……このクソ狸が)
ミアは表情を崩さず、心の中で毒づいた。
「では、引き続き報告を怠るな」
「承知しました」
ミアは丁寧に一礼し、その場を後にした。
(……ルイナ様のことは、私が見ていればいい)
ミアは、神殿の長い廊下を歩きながら、ルイナとルシアンの訓練の様子を思い浮かべた。
彼は、確かに変わり始めている。
それが何を意味するのか、まだミアにもわからなかった。




