2-2 神殿の夜
神官長の低く落ち着いた声が、静まり返った空間に響いた。
「……ルイナ様、今日はお疲れでしょう。部屋へご案内を」
その一言に、周囲の空気が変わる。
ざわ……と小さなどよめきが起こった。
神殿の神官たちは、一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、すぐに理解したように頷く。
「様」とつけた時点で、ルイナが聖女候補として確定したのだ。
さすが神官長。そういう形で既成事実を作るのか、とルイナは驚いた。
「……はい」
表向きは静かに頷きながらも、ルイナの心中は複雑だった。
自分が何も言わなくても、周囲の対応が勝手に変わっていく。
ここでは、自分の意志とは関係なく、物事が決まっていくのかもしれない——そんな不安が頭をよぎった。
しかし、今はそれを考える余裕もない。
目の前には、男性が無言で立っていた。
先ほど出会ったばかりの黒髪の青年。
「ルシアン」と呼ばれた彼は、神官服をまといながらも、他の神官たちとはどこか違う雰囲気を纏っていた。
彼は、神官長の言葉に静かに頷くと、ルイナへ向き直った。
「こちらです……」
抑揚のない低い声。
それだけ言うと、ルシアンは先に歩き始めた。
ルイナは少し戸惑いながらも、後をついていく。
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神殿の廊下を進む中、ルイナは少しずつ自分の置かれた立場を実感し始めた。
床には装飾の施された絨毯が敷かれ、天井のシャンデリアが静かに揺れている。
壁には神々の絵が飾られ、どこか厳粛な雰囲気を醸し出していた。
——この場所に、私は馴染めるんだろうか。
そんなことを考えているうちに、ルシアンが足を止めた。
「ここが、貴女の部屋です」
淡々とした声とともに、扉が開かれる。
部屋の中に足を踏み入れると——。
思った以上に広い空間が広がっていた。
窓際には、装飾の施された大きなベッド。
白を基調とした家具はどれも高級感があり、中央には豪華なテーブルと椅子が置かれている。
隣の扉を開けると、小さな浴室まであった。
——……うわぁ。
あまりの豪華さに、一瞬、言葉を失う。
「……食事をお持ちします」
彼はそれだけ言い残し、また静かに部屋を出て行った。
最後まで、目が合うことはなかった。
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しばらくすると、扉がノックされた。
「ルイナ様、失礼いたします」
入ってきたのは、食事を載せた銀の盆を持った青年……だけではなかった。
彼の後ろに、一人の女性が控えていた。
プラチナブロンドの髪を持ち、琥珀色の瞳を持つ女性。
「はじめまして、私はミア。ルイナ様付きの侍女を務めさせていただきます」
ルイナは、驚いた。
この神殿には、ほとんど男性の神官しかいないと思っていたからだ。
「侍女……?」
「ええ。これから身の回りのお世話をさせていただきます」
女性の声を聞いて、ルイナは少しほっとした。
無言のルシアンとは違い、ミアの声には柔らかさがあったからだ。
「ミアさん……よろしくお願いします」
「侍女に『さん』や敬語は不要ですよ、ルイナ様」
ミアは微笑みながら、さらりと言う。
「えっ……あっ、そ、そうなんですね……」
軽い文化ショックを受けるルイナ。
ふと、彼にも頑張って挨拶しようと決意する。
「あの……よろしくお願いします、ルシアン……さん」
一瞬、ルイナを見た。
「……」
しかし、何も言わず、そのまま視線をそらし——。
「明朝、伺います」
それだけ言い残して、部屋を出ていった。
「……誰にでもああなので、気にしないでください」
ミアが微笑みながら、そう言った。
(知ってるんだ……?)
ルイナは、少し意外に思った。
「なんなのアイツのあの態度!気に入らない!!」
スリオスはご立腹だ。確かにひどい。しかし、自分の代わりに怒っているようで、ちょっと笑ってしまった。
食事が終わると、ミアが言った。
「お風呂の準備ができています」
ルイナの目が輝いた。
「お風呂!?」
「はい。この神殿には、個人浴場がございますので」
ミアに案内され、ルイナは浴室へ向かった。
そして、そこに広がる浴場を見た瞬間——。
ルイナ(お湯!? 湯船!? 最高!!!)
完全にテンションが上がった。
しかし——。
ミアは浴室の中に普通に立っていた。
「……えっ、ずっといるの?」
「はい、聖女様のお世話をするのが私の役目ですので」
「……お背中お流しします」
「え!?いやいや! 自分でできますから!!」
久々の湯船にほっと一息つくルイナ。
だが、ミアは最後まで退出しなかった。
(慣れなきゃいけないの!? これ!?)
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一方、ルシアンは神官長の元へ向かっていた。
「見たか?」
「……はい。確かに妖精のような姿でした。しかし、すぐに彼女がつけているペンダントの中へ入っていきました」
「ペンダントの中へ!? そんなことができるのか!?」
「分かりません。初めて見ました」
「……引き続き報告を。それと、ミアを呼べ」
ミアが部屋に入る。
「彼女の様子は?」
「……ごく普通の少女です。食事を召し上がって、お風呂に入れることをとても喜んでいました」
(……本当に聖女なのか?…)
「しばらく様子を見よう。それより——」
神官長はゆっくりとミアを見た。
「今夜は私の元へ」
「……かしこまりました」
それぞれの夜が更けていく——。




