一言足りない先輩
「今度、打ち上げ花火しない?」
「え?」
僕は、京都のある大学に通う理系の大学四回生だ。この春に四回生になり、研究室に配属されてから3ヶ月が経とうとしていた。普通の学生ならもう四回生なのだから、就職活動の真っ最中であるだろう。しかし、僕はどうせ大学院に行くからということで、就職活動はしていない。でも、特段打ち込めることも見つからない。言わば、人生のモラトリアムの狭間にいるのだ。
さきほど打ち上げ花火の提案をしてきたのは、自分の1つ上に当たる、つまり修士1回生の女の先輩だった。名前は、小林奈々。顔は美人なのだが、オシャレに無頓着なのか、あまり化粧をしているところは見たことがない。後輩である自分をよくかわいがってくれるが、先輩は少し変わっているところがあった。本当に、一言足りないのだ。
「打ち上げ花火ですか?」
「うん、今度研究室のメンバーでやるから明日、夜7時に鴨川デルタに集合ね」
「そんな勝手にやっていいんですか?」
「大丈夫でしょ、ぱ~とやっちゃおう。そしたらばれないよ」
「分かりました」
打ち上げ花火なんかどうやって準備するんだと僕は思った。でも、研究室には頭のいい先輩はいるし、そういうことができる人がいてもおかしくないとは思った。
しかし、翌日鴨川デルタに行ってみると、川岸には先輩の姿しかなかった。
「あれ、僕以外に来てないんですか?」
「みんな誘ったけど、忙しいんだって、、」
「そうなんですか。ところで、打ち上げ花火ってどこにあるんですか?」
「これ!」
先輩が差し出したのはよくスーパーで売られているような手持ち花火だった。
「打ち上げ花火ですよね、、?」
「そう、打ち上げで花火!最近、忙しかったからこれでストレス解消しよーって思って。お酒も買ってきてるよ」
そう言って、お酒が5~6本は入っていそうなコンビニのビニール袋を先輩が差し出した。僕は絶句した。
「打ち上げ花火って、打ち上げで手持ち花火をするってことですか?」
「そうだよ、言ってなかったけ、とりあえず飲もう!」
そう言って、先輩は袋に入ったレモンチューハイを僕に差し出した。買ったばかりなのかまだ冷えていた。そして、その場に先輩と二人で並んで座った。まさか先輩と差しで飲むことになるとはと思いながら、僕はフタを開けた。
「乾杯ー」
缶がぶつかる乾いた音があたりに響いた。そして、僕はお酒を一口飲んで、川の流れに目をやった。まさか、こんな状況になるなんて。
「お酒は普段飲むの?」
「いや、あんまり飲まないですね。先輩は飲むんですか?」
「まぁ、ぼちぼちかな?週に2回は飲んでるよ。お酒強い方?」
「弱くはないと思います」
先輩の方を見ると、何本か開いている缶を見つけた。僕が来るまでに何本か飲んでいるらしかった。
「じゃあ、花火始めよー」
そう言って、先輩は花火の袋を開け始めた。数種類の花火を取り外して、空いた袋の上に無造作に並べた。子供向けのものだったので、量自体はそんなに入っていなかった。
「これは、もちろん最後ね」
線香花火だけは別の場所に置かれることになった。
「火はあるんですか?」
「あ、、そういえばないかも、、持ってたりする?」
「いや、持ってないです」
先輩はあまり準備がよいタイプには見えなかったので、一応聞いてみたのだが悪い予感が的中してしまった。
「どうしよう。これじゃできないよ」
先輩は残念そうな顔をしながら、さっき空けたチューハイの缶をもう飲み干してしまった。僕はまだ三分の一も飲んでいないのに。
「どうしますか?コンビニとかに買いに行きますか?僕行ってきますよ」
「いや、私が企画したんだから、私が行く」
先輩は少し酔っ払っているようだったので心配だったが、僕の声をよそに立ち上がって買い出しに行ってしまった。しばらくして、やっぱり付いていくべきだったかと僕は思った。しかし、もうどこに行ったか分からなかったので僕は手に持ったレモンチューハイを少しずつ飲みながら先輩の帰りを待っていた。
20分ぐらいして、僕が2缶目にカシオレを飲んでいると、先輩がさっき座っていた川岸の方に帰ってきた。
「ごめん、待たせたよね、少し歩いてたらどこにいるか分かんなくなっちゃって」
「良かったです、ちゃんと戻ってきてくれて」
僕は先輩を待っている間、どこかにふらついてもう戻ってこないかもしれないと思っていたので、先輩の姿が見えた時少しほっとした。
「歩いてたら少し酔いも覚めちゃったな、じゃあ花火始めよっか」
「はい」
そして、僕と先輩の打ち上げ花火が始まった。付属のろうそくに先輩がさっき買ってきたライターで火をつけ、そこに手持ち花火をかざす。まず先の紙の部分がゆらゆらと燃え、そして間もなく勢いよくオレンジ色の火花が散り始めた。
「わー、綺麗だね。これって炎色反応だよね、この色って何の原子なんだっけ」
少し酔いが回ってきたのだろうか、思い出すのに時間がかかる。
「えーっと、、確かカルシウムですね、橙色なので」
「そうだっけ?よく覚えてるね、はい、川村くんもこれ」
僕も手渡された花火に火を付ける。黄色の火花が放射状に広がり、僕たちの周囲を照らした。花火をするのはいつぶりだろうか。小学生の頃以来ではないだろうか。そう懐かしんでいる間に、火花はすぼんでいき、あっという間に消えてしまった。
「ねーねー、これ見て」
僕が次の花火を付けようとしたとき、先輩が笑いながらそう言ってきたので、そっちの方を見ると信じられない光景が目に飛び込んできた。
「見て、花火を生けてみた」
そこにあったのは文字通り、空き缶に生けられた花火だった。飲み口には花火の緑の柄が刺さっていて、そこには赤い火花がパチパチと閃光のように散っていた。僕は再び絶句した。
「何というか、、粋ですね」
「でしょ、彼岸花みたい、、」
それから10分ぐらいで普通の手持ち花火は全部終わってしまったので、最後に取っておいた線香花火をすることになった。
「これがないと花火って言えないよね」
「そうですよね、分かります」
先輩と僕は線香花火を手に持って、先のとがった方をろうそくに近づける。火にふれた部分がジーッという音を立てながら丸まり、震えながら火花を散らすのを待っている。パチッ、、パチッと次第に火花が散り始め、それが広がっていく。そして、明るいオレンジの火花が鮮やかに形を変え、さざめいた。
「綺麗ですね」
「うん、、」
そして、火花が落ち着き、元の火球に戻ろうとしていたとき、突然強い風が辺りを吹き抜けた。
「あ」
風に揺られ、線香花火ははかなくポトリと地面に落ちた。火花が散った後、じりじりと火の玉がそこに留まっているのが線香花火の醍醐味なので、もう少し眺めていたかったなと僕は思いつつ、ふと先輩の方を見た。まだ、火の玉は残っているようだったが、そのわずかな明かりが先輩の横顔を照らしたとき、僕は驚いた。先輩はうっすらと涙を流していた。
僕は固まってしまった。さっきまであんなに楽しそうに飲んでいたのに。線香花火の火もとっくに落ち、僕たちの周りをただ鴨川の流れる音が包んだ。
「え、どうしたんですか、、先輩?」
「、、、」
「大丈夫ですか?」
「うん、、、大丈夫だよ、ごめんね心配かけて。続きしよ」
先輩は涙を袖で拭いながら、僕の心配をよそに、線香花火を手に持った。そして、火を付け、火花が散り始めると先輩はその様子をぼんやりと見ながら僕に語り始めた。
「この前ね、私の家族が死んだの、、、線香花火をしていたらそのことを思い出しちゃって」
「そうだったんですね、、」
「ユウスケって言うんだけど、死んだの私のせいなんだよね」
「え?」
「私が気にかけてないばかりに死んじゃった、、」
僕は先輩が家族を死なせたという言葉を上手く飲み込めず、頭の中は戸惑いと驚きでごちゃごちゃになっていた。
「もうすぐ2歳だったのに、私が世話をしないばっかりに気づいたら餓死してた」
「え、餓死したんですか?」
「うん、、」
僕の中で何かが引っかかった。
「その、、家族って言うのは、どういう人なんです?」
「人ではないんだけど、、うちのオオクワガタが死んじゃったの」
そのとき、消えかかっていた線香花火がぽとりと落ちた。家族というのはオオクワガタのことだった。僕は少しほっとしたが、先輩の涙を見ると本当に悲しいんだなと思い、何とも言えない気持ちになった。しばらくすると、先輩が僕の方を見て言った。
「今日さ、打ち上げ花火してユウスケのこと忘れたいなって思って、川村くんのこと誘ったの。研究室のメンバーは実は誘ってない。でも、やっぱり思い出しちゃって悲しくなっちゃった。ごめんね、付き合わせちゃって」
そのとき、僕は急に心拍数が上がるのを感じた。それが、ただお酒を飲んでいるからではないことは明白だった。
「そう、、なんですか」
僕は飲んでいたカシオレをゴクゴクと喉に流し込んで、飲み干した。
「ごめんね、余計なことばっかり言っちゃって」
「いや、それくらいが丁度いいですよ」
「え?丁度いい?」
「はい、足りないことが多いので」
先輩はよく分かっていない様子だったが、もう涙は流していないようだった。
「続きしよっか、残ってる線香花火の」
「はい」
そして、最後の線香花火が散り終わると、もう一缶だけお酒を飲んで、二人で川沿いに寝そべった。そして、夜空の星を眺めて、今お互いが考えていることを共有した。その夜は先輩と仲良くなれた気がして少し嬉しかった。
それから、僕が目を覚ましたのはもう朝日が出始める時間だった。どうやら寝てしまっていたらしい。地面で寝たので体の節々が痛む。隣を見ると、そこに先輩の姿は無かった。ごみもきれいに片付けられていて、その光景が僕になんとも言えない寂しさを感じさせた。
「先輩、帰るなら一言欲しかったです、、」
僕はよろよろと立ち上がって荷物をまとめると、朝日に照らされないうちに帰路に着いたのだった。
「一言足りない先輩」はどうでしたか?
先輩はオオクワガタのユウスケが死んだ悲しさを忘れようと後輩である川村くんを花火に誘います。お酒を飲んでいる間はその悲しさを忘れることができましたが、花火をしているうちに空き缶に生けられた彼岸花のような花火、そして線香花火などユウスケの死が思い出されて、思わず涙を流してしまいます。でも、川村くんといろいろ話をしているうちに心も落ち着き、その夜はお酒も入っていたので一緒に川辺で寝てしまいました。
しかし、なぜ最後川村くんを置いて帰ったのでしょうか?それは夜明けが近づき、先に目を覚ました先輩は酔いも覚めて少し冷静になりました。そして、昨夜のことを思い出した先輩は、川村くんと顔を会わせるのが急に気恥ずかしくなり、花火や空き缶だけは片付けて一人で帰ってしまったというのが事の真相です。
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