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世界環境会議

2022年9月、カナダのバンクーバーで世界環境会議が開催された。日本政府代表団は環境大臣の松村議員を団長に政府関係者が多数参加しているが、今回は日本環境会議のメンバーから、杉下と佐久間が温暖化対策の提案を任されている。バンクーバーはカナダの太平洋側の大都市でアメリカのシアトルとは国境を挟んで比較的近い。郊外には森林が広がり、山岳地帯まで足を延ばすと氷河が横たわっている。しかし地球温暖化の影響はこの地域でも色濃く出ていて、この氷河もここ数年で数百メートルも後退している。地球温暖化の影響は極地域に行けば行くほどその影響は強く出ている。

 会議では各国の温室効果ガス排出削減目標を現在のところ何パーセント守れているか、2023年の期限までの予測はどうなっているのか、足りない場合はどうするのかというようなことが中心に話された。日本代表団は2023年の期限付き目標に対し達成することが難しいということで、発展途上国から排出権を買い取ることを提案した。しかし参加国からは目標達成への努力を続けるように要望が出され、苦しい立場に立たされていた。お金で解決しようという姿勢は世界基準では主流ではないようだ。日本国内での報道は、アメリカや日本やEUなどの先進国がどう考えているかが中心で報道されているので、日本人は世界中の人が先進国の考えに同調してくれているように感じている。しかし一歩外に出て発展途上国の立場に立って世界を見てみると、温暖化をもたらす原因となった化石燃料を燃やし続けた先進国の勝手な論理で、『持続可能』という魔法のような言葉を駆使して、自分たちの経済活動は停滞させることなく温暖化を押さえようとしていると見ている。排出権を発展途上国から購入するという手段は傲慢極まりないように映るのだろう。簡単に解決できる問題ではなさそうだった。

 温暖化対策の分科会ではいくつかの研究結果が発表されたが、2日目の午後、日本代表の杉下と佐久間の共同研究の発表である。佐久間の年縞博物館は国際的に有名だが、この会議の参加者には知名度は低いようだった。発表は英語で行われ、まず杉下が壇上に立った。

「日本から来ました京都大学の杉下です。私の研究は温暖化を加速させている二酸化炭素の濃度を下げるために、二酸化炭素消費量の多い植物、特に世界中で作付面積の多い穀物で、そんな品種を作り上げるためにゲノム編集を工夫しています。そこでどんな種類の穀物の遺伝子を利用するのかが大切なんですが、私が立てた仮説は『地球の歴史の中で、大気中の二酸化炭素が増えて温室効果現象が起き、地球の平均気温が上がった時代、その気温を下げたのは、二酸化炭素を減少させるために自らの機能を変化させ、二酸化炭素を多く消化するようになった植物たちがいたのではないか。』というものです。つまり光合成の力をより大きくして、呼吸の力を最小限にした植物の出現です。どの時代にそんな植物がいただろうかということが一番難しい問題でした。そこでヒントをくれたのが年縞博物館の佐久間さんの研究と南極観測隊が採掘した南極大陸に堆積したアイスコアでした。南極の氷は何万年も前から毎年積み重なっていて、その積み重なった層の中にその当時の大気が含まれています。その大気を分析することで、その時代の二酸化炭素濃度や酸素濃度などが分かります。そこで私たちが目をつけたのが、11100年前の温暖期のピークです。ちょうどその頃、二酸化炭素濃度がピークに達していたことは南極観測隊のアイスコアのデータから読み取ることが出来ました。そして次の段階は正確に11100年前の植物の入手です。ここからは年縞博物館の佐久間研究員に発表してもらいます。」と言って佐久間と変わった。演壇後方のスクリーンには南極観測隊のアイスコアのデータがグラフになって表されていた。

「ここからは年縞博物館の佐久間が発表させてもらいます。まず年縞というのはお分かりでしょうか。福井県の三方五湖の水月湖という湖は奇跡の湖と言われ、いくつかの湖が繋がっていますが、水月湖だけは直接流れ込む川がほとんどありません。ですから川からの堆積物がないので洪水の影響を受けません。しかも湖底に生き物がほとんどいなかったので毎年規則正しく夏と冬の地層が出来ていったのです。ですから炭素年代測定法の基準として世界的に有名になりました。またこの湖底の地層は7万年まえの物から採掘されていますが、層の中からはその当時の植物の花粉などが採取されます。南極で採掘されたアイスコアから11100年前が温暖化のピークであったという事実を元にこちらも正確に11100年前の湖底の地層から当時の花粉を採取し、電子顕微鏡と電子のはさみで遺伝子の採取に成功しました。年縞と南極のアイスコアの採取の成功が正確な年代測定に寄与し、当時の空気の分析と植物の採集が出来たことで、この研究は一歩前に進むことが出来たのです。ここからはゲノム編集にあたった杉下が説明します。」と言って佐久間が下がった。会場は人為的に編集した遺伝子ではなく、過去に実存した植物を使っての編集ということで、一気にその関心を集め、聴衆は発表者の言葉とスクリーンに映る説明にくぎ付けになった。

 替わって演題に再び立った杉下は一口用意された水を飲んで落ち着いてから話し始めた。

「11100年前のイネ科の植物の花粉と麦と思われる花粉と大豆とよく似た植物の花粉とトウモロコシによく似た花粉の採集に成功しました。スクリーンに映るそれぞれの花粉をご覧ください。私は専門外ですが、先ほどまで説明していました佐久間は古植物学が専門で、今現在のそれぞれの品種とはわずかに違いますが、同じ科目の植物に違いはないということで、作業に入りました。まずは11100年前が温暖期ピークで12200年が寒冷化のピークであったので、それぞれの同じ種の花粉を分析し、遺伝子配列の変化があった場所を調べました。調べ方は皆様は専門的な知識をお持ちなので、説明は省きます。しかし、明確に遺伝子配列に違いがあった場所は一箇所、2350番目の塩基配列に違いがみられました。この2350番目の配列部分を電子のはさみで切り取り、現在栽培されている稲の同じ2350番目の配列部分を切り取ったうえで11100年前の同じ2350番目の配列部分を結合させたわけです。この配列の変化が温暖化を止める鍵になると信じて、同様のことを麦でも大豆でもトウモロコシでも行い、二酸化炭素吸収力に特化した新品種の開発に成功しました。そこからは出来上がった細胞を培養して、細胞分裂を促していきますと、写真のように発芽が確認されましたので、生育ケースの中で慎重に生育させ、1回目の収穫をすると約200粒の籾が出来上がり、その200粒をもう一回種まきをして生育させると、発芽率が70%程度だったので約30000粒の収穫を得ました。そこからは京都大学植物園に実験農場を作り、栽培過程で空気の成分に変化があるかどうかの測定を行いながら成長を待ちました。そのデータがこれです。」と言ったところでスクリーンに成長していくイネの日数と実験農場内の空気成分の分析結果のグラフが映し出された。参列者は息をのんでグラフを見つめた。もともと空気中の二酸化炭素濃度は0.477%程度の物なのだが、特別なイネの成長とともにこの実験農場の中の空気中の二酸化炭素は0.233%まで徐々に減っていったグラフが示された。参列者のため息が会場を包んだ。

「小さな実験農場の中ですが、この数字が出るということは、大きな成果があるということを証明しています。しかもイネや麦、大豆、トウモロコシは世界中で大変大きな栽培面積を占め、その効果は自動車の排出ガス何台分になるのかは、今後の研究データを待ちたいと思います。森林資源でも二酸化炭素消費の大きなエリートツリーの開発がされていますが、これは成果が出るのは50年ほど先になるでしょう。しかし目の前の危機を乗り越える即効的な手段としては森林資源ではなく、穀物などの単年作物が必要なのです。この種子を世界各国に分配し、さらにその種子を増やし2年後くらいには一斉栽培して一気に地球の二酸化炭素濃度を下げることが大切だと考えます。」と宣言して発表を終えた。最後に佐久間と杉下が壇上に並び、会場の多くの研究者から拍手を浴びた。

 発表を終えて会場を出ようとした2人を待ち受けていたのは思いもよらない人物だった。環境活動家の西村日向子だった。西村は会場から出てきた佐久間美佳を待ち受けて、「おめでとう」と叫びながらハグしてきた。佐久間はびっくりしたが西村だとわかると

「西村さんも来ていたの?」と顔を見合わせてお互いを確かめ合った。杉下の存在に気付いた西村は杉下の方を見て

「すごい発表だったわね。私たちは会場には入れないから、ホールの入口でモニターを見ていたの。」と話してくれた。西村の話では国連系の世界環境会議には環境保護団体は参加することは出来ないが、会場でのロビー活動は許され、日本の環境団体を代表して西村と他に数名が参加したのだそうだ。佐久間は感激して

「西村さんたちに私たちの発表を聞いてもらってうれしいわ。南極観測隊の研究と私の年縞の研究を比較研究して、杉下君のゲノム編集の技術を応用した結果が教の発表だったのよ。でもこの仮説を考え付いたのは杉下君だし、西村さんから赤坂のすし屋で頂いたアドバイスが研究に大いに役立ったわ。有難うございます。」と言ってまたハグをした。

西村はまだ用事があるようで

「ごめんね。せっかくカナダで会えたから食事でもしたかったけど、向こうの会場でカーボンリサイクルの発表があるんだけど、ちょっと問題があるからロビー活動で反対を表明しないといけないの。それじゃまたね。」と言って行ってしまった。

「彼女は元気だね。世界は彼女のような人を必要としているんだろうね。」と杉下は彼女の背中を見ながらつぶやいた。


 翌日の本会議で杉田と佐久間の日本研究チームの発表のことが議題にのぼり、緊急提案で2年後の世界中の穀物生産の25%をこの品種で取り組むこと。さらにその翌年には50%に増やし、成果がはっきりと認められれば100%へ移行することが提案された。


 ここからは杉下たちが生産した穀物の種子は彼らの手を離れ、世界各国の研究者の手に渡っていった。2年後に大規模に生産するため、アメリカやロシア、中国、ブラジル、インド、フランスなど大規模な農業を行う国ではその種子を確保することが急がれた。数百粒の種子を2年間で何回か栽培して何万倍かに増やし、国家的プロジェクトに耐えうる種子数を確保しなければならないからだ。

 ただし、副作用についての議論も多くなされた。せっかく栽培しても安全に食べられなかったら食料が足りなくなってしまうので、世界中の人類が安全に十分に食べて余った分を種子に回すのである。安全性に問題がないかはこの2年間で栽培しながら確かめることになり、危険が伴う場合には国連に報告することになった。しかし人工的に作った配列ではなく、過去に実際に存在した植物の配列構造なので期待は高かった。


 バンクーバーでの会議を終えた2人は飛行機で日本に帰って来た。関西国際空港の入国ゲートを出る扉が開いた瞬間、多くの取材陣が一斉にフラッシュを焚いたことに大きな驚きを覚えた。芸能人やスポーツ選手が帰国して取材されるところはテレビで見たことはあったが、まさか自分たちが被写体になると考えたこともなかったからだ。

「なんなんだ、このカメラは?」驚いて杉下は彼らに向かって叫んだ。佐久間はフラッシュに驚いて思わず杉下の陰に隠れている。

「杉下さんと佐久間さんですね。環境省の吉川です。世界環境会議での発表が日本でもテレビや新聞に大きく取り上げられ、各社が空港に集まっています。すみませんが合同記者会見をお願いします。」と言われた。訳が分からないまま空港内の記者会見場に入ると多くのマスコミが待機している。先ほどの吉川さんがその場を取り仕切って記者会見は始まった。2人とも呆気に取られていたがとにかく質問に答える形式であった。

最初に質問はNHKの記者だった。

「発表は衛星放送で見せていただきましたが、植物が積極的に自然環境を変えていったという仮説はどんな要因で思いつかれたのですか。」

答えにくい質問で2人は顔を見合わせていたが、佐久間美佳が

「私の専門は古植物なんですが福井県の年縞博物館で何万年も前の地層から古植物の花粉などを採集しています。杉下君と話し合っているときに、植物は気候変動に合わせて自らの能力を変化させ適応して生き延びてきたと思われているが、植物自体が温室効果ガスの増加を感知し、そのガスを植物自身の力で減らすような作用を発揮することもあるのではないか。その考えは、たとえばリハビリテーションでも、脳の障害で手や足に麻痺が残っても、その手や足を強制的に動かすことで、脳の機能が再生され脳の障害を克服することが出来る場合があるということと似ていると思うんです。」と説明した。記者たちは疑心暗鬼な表情だったが、リハビリの例でわかったようだ。2人は荒井君との再会を思い出していた。

 次の質問は朝日新聞社の記者だった。

「二酸化炭素の消費に特化したゲノム編集された新品種の穀物たちということですが、副作用として周りの動植物を駆逐しないか、または人体に悪影響がないかというようなことは調査されているんですか?」という内容だった。今度は杉下が

「その点の調査はまだ足りてないと思います。これから種もみを増やすための試験栽培が世界各地で行われていきますが、その段階で多くの実験データを集めたいと思います。ただ全く新しい遺伝子配列を作ったのではなく、11100年前に実在した品種の穀物の中に含まれていた配列を利用しているので、恐ろしい副作用の心配は少ないと確信しています。」と自信をもって答えた。その後もいくつかの質問が出されたが2人は何とか切り抜け、記者会見は終わった。その夜のニュース番組と新聞で2人が大きく取り上げられたことは言うまでもなかった。


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