表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

アレレード期からの出発

 さすがに環境大臣の口添えは効果絶大だった。電話をしてもらったその週には学長から打診があり、異動辞令が発令された。京都大学の研究室での勤務を8月末で切り上げ、福井県年縞博物館への出向という形で、杉下は9月初めから三方で佐久間と一緒の研究活動に入った。デスクは佐久間の隣で研究室は佐久間と共同だった。肩書は京都大学准教授という地位は継続なので、お給料は京都大学から支給され、博物館の皆さんからは准教授としての扱いを受けた。

 7万年前からの年縞がそろうこの博物館で、早速ゲノム編集に利用する植物探しにあたった。気の遠くなるような作業だが西村日向子が言っていたように人類に貢献するためには急がなくてはいけない。

「アレレード期というのが温暖だったと言ったよね。どれくらい気温が高かったんだい?」

「いろんな文献によって違うんだけど現在より7度くらい高かったというのが主流です。」と佐久間はこれまでの分析を語った。

「そこから次の寒冷期は何年くらい前に始まるんだい?」

「これも文献によって違うんだけど11000年前にヤンガードライアス期という寒冷期が来ます。現在よりも6度ほど低かったと言われています。ただその根拠は明確ではなく、学会でも意見の分かれるところです。」と佐久間が応えてくれた。

「根拠が薄いんだね。12000という数字と11000という数字だけを、鵜呑みにするわけにはいかないというわけか。君の研究が難航していたのもそういうわけだったのか。」

2人の研究は最初から暗礁に乗り上げていた。12500なのか11500なのか、その間には1000年の開きがある。正確な年代測定は出来るが、どの年の植物に焦点を当てるかが難しい問題だった。


 ところが1月ほど経った10月の中頃、大きな変化が現れた。日曜日の夜、佐久間のマンションに杉下が招かれて、夕食を食べて楽しい時間を過ごしていた。月に1度しか会えなかった遠距離恋愛から毎日一緒にいられる職場恋愛に変わり、お互いのマンションを行き来することも出来るようになっていた。杉下がマンションを探した時、一緒に住もうかという案もあったが、職場への遠慮もあり同居は避けた。

 佐久間が力を込めて作ったステーキは杉下に好評だった。少し奮発してスーパーで地元産の若狭牛のフィレ肉を買ってきていた。2人で一緒に台所に立ち、杉下はサラダを担当していた。2人で一緒に作業すること自体が佐久間美佳には幸せだった。

 食事を終え、居間のソファーに座りながら、杉下は佐久間の背中に腕を回して抱きかかえながらテレビを見ていた。NHKの大河ドラマで『麒麟が来る』を見て明智光秀や織田信長が浅井長政や朝倉義景に敦賀の金ヶ崎で苦戦を強いられる場面を見ていた。

「金ヶ崎って敦賀のどのへんなの?」と佐久間が聞くと

「8号線で敦賀から福井方面に向かって海岸線をしばらく行った山の上だよ。小高いところから見ると敦賀の港が一望できるらしいよ。南北朝の戦いのときにも激しい戦いが行われたらしい。」と中学時代に社会科の先生から教わった知識を披露した。

 大河ドラマが終わると福井のニュースや天気予報などが放送された。日曜の夜9時になると休日が終わり明日からまた仕事だという気持ちが芽生えて来て、やや悲しく感じる瞬間がある。

「まだ、帰りたくないな。」と甘えた声で杉下が佐久間の体を抱き寄せて、彼女の顔を見つめていると、9時になりNHK特集が始まった。杉下は番組の内容などどうでもよく、佐久間の唇ばかり見ていた。しかし佐久間美佳はぼんやりとテレビの内容を見ていた。すると南極観測隊の観測と地球温暖化という内容だった。

「ねえ、こんなことしてる場合じゃないかもよ。ほら地球温暖化だって。」と言ってテレビを見るように促した。杉下はこんなことと言われ、背中から胸に向けて延ばしていた手を戻し、残念ながら諦めて背筋を伸ばして画面に向かった。

南極観測隊が南極大陸で何万年もの間、数千メートルにわたって雪が降り積もって堆積した南極の氷を、ボーリング調査して年縞のように何万年か昔にさかのぼって氷の層を採取することに成功したという映像が流れた。

杉下の腕を抱えて名残惜しそうな杉下を慰め、その放送を見ていた佐久間は

「年縞とよく似てるわ。氷の層の中に当時の大気の成分は残っているのかしら。」と疑問を投げかけると、絶妙のタイミングでナレーションが

「氷の層の中に閉じ込められた空気の粒は、何万年か前の空気である。この氷で水割りを作ると何万年も前の泡とともに、お酒を飲むことが出来る。」と言っている。この時には杉下も気持ちを立て直し、真剣にテレビを見ている。そんな杉下に佐久間美佳は

「やっぱりそうだ。あの氷の中に当時の空気が含まれているという事は、二酸化炭素濃度の変化を調べれば、その濃度が大きく変化した時代こそが、アレレード期とヤンガードライアス期の変わり目と言えるんだわ。」と興奮気味に話した。その様子を見ていた杉下には大きな光が見えた気がしてきていた。南極観測隊は文部科学省の管轄なので環境省の松村大臣の力を借りなくてはいけない。しかし南極観測隊のデータを入手して、その前後の年代を決定すれば年縞博物館の研究に応用できるはずだ。


 早速、月曜日に環境省の松村大臣に連絡を入れた。

「大臣、お願いがあって連絡しました。実は私たちは温暖期であるアレレード期が、正確には何年前に寒冷期に代わっていったかが知りたいんです。それが分かれば年縞博物館のサンプルから、正確にゲノム編集に使えるような花粉の化石を取り出すことが出来ると思っています。しかしその正確なデータがどうしてもわかりませんでした。しかし昨晩、NHK特集で、南極観測隊が南極の氷からボーリング調査を行い、何万年も前からの氷の地層の採取に成功し、その層の中に含まれる空気の成分の分析をしているという内容を見ました。この空気の成分分析のデータを利用すれば、二酸化炭素濃度が大きく変化した正確な年代が分かると思うんです。文部科学省に働きかけていただけませんか。」と長い説明になったが力を込めて話した。すると松村大臣は

「文部科学大臣は閣議で毎日会うから話してみるよ。大きなヒントを得たわけだね。あの先生なんて言ったっけ、年縞博物館の研究員さん?」

「佐久間美佳です。今、となりにいますよ。この間先生にお願いして、2人が共同研究できるように、私が年縞博物館に出向できるようにしていただいたんです。」と言うと

「もう、一緒に研究しているんだね。彼女にも頑張ってくれるように伝えてください。地球の未来はあなた方にかかっているかもしれませんよ。」と言ってくれた。


 電話を切った2人はネットで南極観測隊のホームページを開いてみた。南極観測隊の中に温暖化防止のための研究スタッフも配置され、南極昭和基地よりももっと極地に近い標高の高い地点で、厚く重なった氷の層の中からアイスコアを掘削して、内部の空気を調査するという内容が記載されていた。標高は3810m、氷の厚さは3030m、年平均気温はマイナス54.4度、最低気温はマイナス79.7度という極限の環境で作業をしたらしい。同じ目的で調査活動をしている仲間たちが、南極まで行って活躍している姿に感動を覚えた。そして彼らと連携することで新しい一歩を踏み出せると確信した。


 データは数日後に杉下の所に送られてきた。メールに添付された資料を見て2人は目を疑った。南極の氷の中に含まれる空気の中から過去数十万年前から現在まで1年ごとに層になって氷の柱が掘削され、その年代ごとの大気中の二酸化炭素やメタンガス濃度が調査されている。そのデータの中から11000年前から12000年のデータに注目した。

すると二酸化炭素濃度が急激に上がっているところがあった。12200年前ごろから11100年前ごろまで急激に二酸化炭素濃度が上がっていて、その時期に気温が上昇していったと考えるのが妥当だろう。11100年前ごろからは二酸化炭素濃度が落ち着き気温は下降して行っている。最終氷河期は終わっている時期なので、徐々に温かくなったり冷たくなったりを繰り返しているようだ。

「このグラフを見ると11100年前ぐらいが最も気温が上がった状態でその頃の植物と12200年前くらいの植物の比較をすることで正解は見えてくるかもしれないわね。」と佐久間が鋭い意見を述べた。杉下もそのグラフをモニターで見ながら

「そうだね。同じ植物の遺伝子を比較して、気温の変化で変わっていったところがないかを調べることで、植物自体が気候を変動させるために変化していったことの証明になるかもしれないね。」と答えた。佐久間は

「ここからは私にしばらく任せてね。年縞の中から正確に12200年前と11100年前の地層からその当時の植物の残骸を見つけるわよ。」と言って年縞が保存してある地下倉庫に行って、該当の年代の年縞を資料として採集する作業を行った。作業にあたり専門の研究員に立ち会ってもらい、1年分をきちんと採取した。ここからはミクロの世界の研究である。薄いプレパラートを作成し、電子顕微鏡で確認しながら植物の残骸を探した。佐久間の研究室にある電子顕微鏡はモニターにつなぐことが出来るので、大きめのモニター画面に映し出して、2人で確認しながら探した。細かい作業だが2つの時代の地層の中からよく似た花粉を見つけ、その花粉を拾い上げ、電子顕微鏡で見ながら直接染色体を電子はさみで分解してDNAを分析する。

 佐久間はモニターを食い入るように見つめて

「このひし形の花粉は今の時代のイネの花粉と似てますね。こっちのモニターにもあります。おそらくその当時のイネ科の物でしょうね。稲作はまだ始まっていませんが、イネ科の植物は当時もいたんでしょうね。同じ種類だと考えられるのでこの花粉でやって見ましょうか。」と佐久間が2つのモニターを指さしながら言うと

「こことここにも同じような丸い形の花粉があります。すすきの花粉に似てます。これも調べてみましょう。」と追加の意見を述べた。結局、いくつかのプレパラートを調べて5種類の花粉が見つかった。杉下は

「有難う佐久間さん。僕が京都の研究室で籠っていたのではこんなスムーズに対象となる植物を見つけることは出来なかっただろう。君の研究とタイアップできたお陰だよ。研究の成果を出せるまでもうしばらくよろしく頼むね。」とお礼を述べた。

「まだ礼を言うのは早いわよ。DNA分析で微妙な変化を見つけてからお祝いしましょう。」と愛らしいほほえみを浮かべて佐久間が笑った。


 翌日から早速DNA解析が始まった。この領域は杉下の専門領域である。京都から持ち込んだ機械を使って、採取した花粉を間違えることなく分解していく。警察などで利用する遠心分離機とは違い、直接染色体を電子顕微鏡で見ながら、電子はさみを使って切り離していくので、花粉のような小さなものでも解析が可能になる。

 杉下はまずイネ科の花粉の12200年前ころの物から取り掛かった。この花粉はまだ地球が温暖化する前の普通の物だと考えられる。モニターを眺めながら小さなピンで花粉を切り開くと、中から核や染色体やミトコンドリアなどが出てくる。その中から染色体を選んで電子のはさみで切り開くと、らせん構造のDNAが出てきた。複雑に絡み合っているがゆっくりと広げていく。らせん構造になっているのは生命の中でも最も大事な設計図のあたる部分なので、神がどんな衝撃にも耐えうるように撚りをかけて、バネのような構造にしたのかもしれない。何回かひっくり返しながら撚りをほぐしていくと、縄ばしごのような構造がはっきりしてくる。ここまで進んでくると検査機械で分析が可能になる。機械にかけるとコンピュータ分析で4種類の塩基がどのような配列で並んでいるかが画面上に示される。昔はこれを人の目で一つ一つ確認していた時もあったが、コンピュータの出現で表示することも2つの個体の違いを調べることも簡単になった。

 12200年前の個体を調べ終わると今度は11100年前の個体に取り掛かった。同じような花粉だが、その違いはコンピュータにかけてみるまで分からない。同じような作業を続けるとモニターに配列が表示された。しかしこのままでは人の力では違いは分からない。

「それじゃ比較してみるよ。」と言って杉下はマウスの矢印をモニターの比較実施というアイコンに合わせてクリックした。すると2つのモニターの画面上でいくつかの部分が赤く表示された。何千種類か並んでいる配列のうち、わずかに2か所だけ配列が違っていたのだ。

「ビンゴ。やっぱり当たっていたね。11100年前のイネは、ここの配列を自分から変えることで、自然界に働きかけたんだよ。植物自らが二酸化炭素の増加を抑える作用を身に着けたという証拠だよ。二酸化炭素が増えすぎた環境で二酸化炭素を減らすような能力を自ら身に着けたんだと思うんだ。」と杉下が感想を述べた。

「狙いが当たった瞬間は脳下垂体からドーパミンが出てくるわね。そう状態を体験できたわ。他の種類の花粉も挑戦しましょう。」と杉下を促した。

 杉下は慌てる佐久間美佳を制するように

「慌てないでよ。記録することも大事な研究だよ。きちんと記録を取って間違いがないようにしないとね。記録が曖昧だと、捏造だと疑われかねないからね。他の種類はまた明日ということにしよう。」と言って実験観察ノートに事細かに記録を書いていった。また佐久間は実験の途中のビデオ映像を、コンピュータに取り込んで編集しなおして、紹介ビデオに使えるようにする作業を行った。


 このような作業が約一週間続き、すべての種類の花粉の分析を終えた。次は変化のあった遺伝子を現在の種であるイネや麦などに遺伝子を組み込んで、ゲノム編集する作業である。この遺伝子組み換えを行った作物を実際に栽培してみて、どれくらい二酸化炭素を消化するかを計測してみて、ようやく候補となる品種が決まるのである。11100年前のイネをイネAと名付け、イネAの中の問題の遺伝子配列の部分を、現代のイネであるイネBの同じ配列番号の所に張り付ける作業は、京都で毎日のようにしてきた作業である。杉下はモニターを見ながら、電子のはさみでテキパキとこなしている。完成した遺伝子構造の細胞をそこから分裂させていくと、イネの子供のようなものが3日ほどで成長してくる。これも同じ作業を麦でも大豆でもトウモロコシでも行うので1週間はかかった。しかし杉下も佐久間も達成感を味わいながらの作業だったので、疲労も感じずそう状態で作業を終えた。


 遺伝子配列の一部を編集した新しい種のイネや麦や大豆やトウモロコシは、栽培の段階に入った。ここからは年縞博物館よりも京都大学の植物研究室の植物園の方が、栽培の施設が整っているので、杉下は年縞博物館への出向を取りやめ、京都大学に戻り、逆に佐久間美佳が年縞博物館を休んで、大学の植物研究室に出向する形になった。京都大学付属の植物園は大学の敷地内の、広大な農学部の農園に面した大きなガラス張りの建物である。

 それぞれまだ小さな芽が2本ずつしかないが、大事にガラスケースに入れてある。この芽を保温ケースの中で大切に成長させる。1週間もすると双葉が出てきた。

 ガラスケースを眺めながら佐久間は出てきた双葉に研究の将来性を見出し始めた。

「いよいよ葉っぱが出て来たわね。遺伝子操作したイネや麦は、これまでも農業の分野で作られてきたみたいだけど、それは病気になりにくいとか収量が多いとか、目的が収益を上げるというところだったけど、この葉っぱは二酸化炭素をどれくらい吸収してくれるかなのよね。まだ頼りないけど人類の救世主になってくれるかもしれないのね。ワクワクするわ。」とガラスケースの中の小さな芽に、愛情を込めた眼差しで佐久間が話しかけた。

「そうだね。最大限に光合成をして二酸化炭素を吸収し、夜はわずかな呼吸で二酸化炭素排出は出来るだけ控えて欲しいんだけど、果たしてそうなるかどうかはこれからだよ。」と研究はまだ半ばであることを強調した。


 双葉は本葉になり、本葉はどんどん成長して花が咲き実をつけた。種もみを収穫するとすぐに2回目の種まきをして収穫するときには30000粒を超えていた。イネの粒は普通200倍くらいに増えていく。農学部のノウハウを借りていればもっと増えたかもしれないが、理学部の植物園ではこれが限界だった。しかし30000粒の籾は十分に実験資料として可能であった。


 杉下は次の段階の研究に入るために、松村大臣にお願いをすることにした。環境会議の力で大規模な実験農場を作る提案をするためだった。研究室から杉下の携帯電話で松村大臣の所に電話すると大臣は環境省の大臣室で執務中だった。実験中の新種のイネの栽培が順調に進み、イネの種もみが30000粒そろったことを報告すると、大臣は大いに喜んで笑い声が電話を通じて聞こえてきた。このタイミングで頼み込もうと杉下は

「そこで大臣、お願いがあるんですが、少しお金がかかるんですが、外界と隔絶させて、空気中の二酸化炭素濃度を測定できる実験農場を作りたいんですが、環境会議のほうから10億円程予算を回していただけませんか。」と杉下がお願いした。ガラスで覆われた大きなガラスハウスを作り、空調を外部と遮断し、中のイネが成長するにしたがって、中の酸素濃度や二酸化炭素濃度がどう変わるか測定するためだ。松村大臣は研究の進捗状況を聞くと

「杉下先生、それに佐久間先生、よくここまで頑張ってくれました。ここからが正念場ですね。予算金額はまず10億円、足りなくなったらまた連絡してください。世界の未来のためです。10億円程度を出し惜しみはしません。そのかわり正確なデータを出してください。それからここまで来たら外部へ情報が漏れることは避けてくださいよ。農業関係の法人に情報が洩れるとその品種を独占的に扱わせてほしいという業者が、あの手この手で先生方の所へ来ますからね。気を付けてください。」と言われた。その時杉下は、環境会議の時に関口大臣からも同じようなことを言われたことと東京からの帰りに新幹線に乗り込んできた日本種苗の野坂を思い出した。

 電話を終えた杉下は横で聞いていた佐久間に

「美佳、大臣は予算をつけてくれたけど気になることがあるんだ。情報が洩れるといろんな農業関係の法人が接触してくるから、気をつけろと言われたんだけど、関口大臣から同じことを言われて、翌日にはその関口大臣が収賄容疑で警察に捕まったんだ。松村大臣も贈収賄に関わってなければいいんだけど。」と不安に思うことを佐久間美佳に相談した。

「そうね、彼も政治家だからね。政治にはお金がかかるのも間違いないし、お金がなければ権力は手に出来ないわよね。」と安心できないことに同感してくれた。


 翌年の春、種もみを保温苗代で発芽させた。新調した研究用のガラスハウスの中で苗植えをしたのが5月。順調に成長させながらハウス内の温度を調整して空気の成分分析を、時間の変化と共に調べていく。はっきりとした変化が現れたのは10cmほどだった苗が30cmほどに成長した頃、外部に比べて二酸化炭素濃度が約半分に減った。昼間は太陽光を利用して光合成をするので二酸化炭素が減るが、夜間は呼吸だけを行うので二酸化炭素は増えるはずだったが、その増加量がわずかだった。そのため平均するとどんどん二酸化炭素濃度が減っていった。二酸化炭素は普通の大気中では0.477%程度の割合である。それが1月ほどで約半分の0.233%まで減少し、酸素濃度も若干ではあるが上昇した。この数値はイネだけではなく同様の実験を行った麦でも大豆でもトウモロコシでも確認できた。

 研究室のコンピュータでこの数字を見た佐久間は

「おめでとう。仮説は実証されたんじゃないかな。この減り方は想像以上ね。」と満面の笑みで杉下を称賛した。

「もうしばらくデータをしっかりと取って、さらに副作用がないか調べて発表だ。もう少しだよ。君と僕の共同研究は。」と浮かれそうな気持を押さえて最後の締めくくりに気持ちを落ち着かせようとしていた。


 喜ぶのもつかの間、どこから研究が進んでいることが漏れたんだろう。松村議員の所に研究費の増額をお願いして研究用のガラスハウスを建てたが、情報が企業に漏れることはないと思っていた。しかし環境会議の仲間の中に情報を漏洩させる人がいるのだろう。巨額のお金が動くのだから、賄賂に何億円も使っても充分利益が出るプロジェクトなのだ。

 その日、杉下が夕方、研究室でデータをまとめていると、宅配業者が荷物を持って来た。杉下が署名して受け取ると送り主は日本種苗の野坂だった。受けとってしまってから後悔したが、業者からの送り付けだった。中身はフルーツのようだった。時代劇だったら箱の底に小判が入っていたりするが、開けてしまうと返せなくなってしまうと思い、封を開けずに返送するためにとりあえず机の上に置いた。近くにいた佐久間美佳も

「いよいよ始まった感じね。業者の贈り物攻勢。次は祇園の接待かな。最後は金銭よ。贈収賄の沼に入り込んでしまったら抜けられなくなってしまうから、気を付けてよ。」と注意してくれた。

「もちろんだよ。テレビドラマでもほんの小さなほころびから弱みを握られて、業者の言うままに行動してしまう主人公の転落が描かれているからね。」と自分でも戒めた。しかし贈賄側は社運を賭けて攻勢を仕掛けてくる。


 帰り支度をしていると研究室の電話が鳴った。

「もしもし、どなた様ですか。」と杉下が電話に出ると

「杉下先生ですか。お久しぶりです。日本種苗の野坂です。今日は遅くまでお仕事ですね。ところでメロン開けていただきましたか。茨城の最高級品です。一度お話を聞いていただけませんか。先生の研究が峠を越えて、成果が出たというではありませんか。我社でその苗の流通をお手伝いさせていただきたく、その方法について一緒に検討させていただきたいのです。」と話し込んできた。

電話をスピーカーにして流していたので佐久間美佳も一緒に聞いていたのだが、杉下が握っていた受話器を奪い取ると

「私、佐久間美佳ですけど、野坂さん、ルール違反ではないですか。業者の選定は公明正大に入札などで決める事であり、杉下君に取り入って交渉を有利に進めようというのは、贈収賄にあたる可能性があると思うんですけど。これ以上杉下君に近寄るなら、警察に連絡しますよ。」ときっぱりと話してくれた。これには野坂も言葉が出なかった。すぐに電話を切り、交渉は決裂したと感じたようだった。佐久間は用心のため松村議員にも日本種苗から接触があったことを連絡して、注意してもらうようにお願いした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ