経済活動とSDG's
第3回の日本環境会議が招集されたのは翌週の12月20日、霞が関の環境省の会議室だった。杉下は前日に東京に入り、環境省から斡旋された霞が関近くの帝国ホテルに宿泊した。環境省とは日比谷公園をはさんで向かい合っている。夕方には部屋に入り、ホテル内で夕食を摂った。事前に送られてきた会議資料を読み込んでおくために、部屋に早めに戻ると、机にPCを出して、送られてきた会議資料のファイルを開けて読み始めていた。すると携帯電話が鳴って名前を見ると発信者は松村大臣だった。
「もしもし、杉下先生ですか。松村です。先日京都でお願いしましたように明日はよろしくお願いします。それから分科会では、先生の研究の様子をご発表していただけるそうで、ありがとうございます。ところであの時お話しいただいた福井の年縞博物館の研究員の事ですが、こちらで少し調べさせていただきました。なかなかユニークな研究ですね。今後が楽しみです。彼女の研究の進展いかんでは、環境会議のメンバーに入っていただくことも考えていきたいと思います。ちなみに彼女は先生の高校時代からのお知り合いですね。恋人同士で同じ高校から同じ京都大学に進まれた秀才同士なんですね。報告を聞いて羨ましくなりました。蛇足が過ぎました。明日よろしくよろしくお願いします。」と一方的に話して電話を切られた。杉下は佐久間のことを褒めてもらって何だか恥ずかしいような嬉しいような、保護者にでもなった気分だった。しかし政府のどんな機関を使って調査したのかと思うと怖い感じもした。
翌日9時、召集されたメンバーは30名、最初は全体会が大会議室で開かれ、内閣総理大臣の挨拶から始まった。再来年に迫った2023年末の温室効果ガス排出削減目標に向けて、各界の努力をお願いするという中身だった。そのあと松村大臣から閣議報告の形で提案がなされた。
「国連の世界環境会議では、温暖化防止のための温室効果ガス排出削減計画の国別の削減目標が期限付きで出されているが、2023年末までに日本に割り当てられた削減目標が、相当な量で実現不可能になっていることが経済界から報告され、それを受けて政府では、インドネシアとフィリピンに排出量を売却してもらうように話を進めていくということを決定したい。」という中身であった。会議参加者の中からは
「環境会議として日本の立場は後退してしまう。産業界に目標実現に向けてもっと厳しい規制をかけるように要望しなくてはいけない。」という意見が最初は多かった。しかし
「地球環境も大切だが、経済も大切で企業の倒産が相次いで、国民の生活が立ちいかなくなっては元も子もない。経済と環境保全の両立を求める。」という意見も出され、紛糾した。しかしそんな時に司会の松村環境大臣が
「研究者の立場から杉下先生はどうお考えですか。」と振ってきた。杉下は少し考えたが
「温室効果ガスの削減目標を守ることは大切だと思います。世界各国が割り当てられた削減目標を守ることで、温暖化の進行を遅らせる効果がある事は確かです。しかし経済との両立が出来なければ国民の生活は破綻してしまいます。今の日本の国民にアフリカの最貧国の国民の生活と同じレベルで暮らせと言っても無理があります。汚く聞こえるかもしれませんが、お金で円満に解決する方法が二酸化炭素排出量の売買で、先進国はお金を払う事で削減目標を達成できるまでの生活のレベルを確保できるし、発展途上国は排出量の売買で得たお金でインフラ整備もできるわけです。『持続可能』という魔法のような言葉の裏に隠された本音だと思います。」とやや皮肉を交えた言い方だったが、松村大臣の提案を支持した。この杉下の発言を契機に会議の雰囲気は大きく傾き、排出量を購入することに承諾の姿勢をしました。
昼食を挟み、午後は分科会が行われた。杉下が所属するのはゲノム編集部会だった。他には二酸化炭素を積極利用して削減をはかるプラント部会、そして自動車産業や鉄鋼産業など工業技術の技術革新で削減をはかる工業技術部会である。
杉下が所属するゲノム編集部会は稲や麦、大豆、トウモロコシといった大量に生産されている1年物の植物を使ったり、森林の多年物の木を使ったりして、光合成の力を高めて二酸化炭素大量に消費させ温室効果ガスを減少させようとするプロジェクトである。杉下は稲を利用しようとしている大学研究者だが、同様に麦にも大豆にもトウモロコシにもエリートツリーにも代表する研究者が入っている。また大学ではなくベンチャー企業でゲノム編集を取り組んでいる科学者たちも含まれていた。ただ取りまとめ役として政府の経済担当大臣をしている関口康成という国会議員も入っていた。
総勢8人の構成だが第2小会議室という部屋でそれぞれの進捗具合を公表する話がすすめられた。最初に杉下が稲のゲノム編集の進捗具合を発表した。編集すること自体は技術的に難しいことはなかったが、どの品種の物を利用するかで考察中であることを発表すると、周りの科学者たちからいろいろな質問やアドバイスがあった。稲に限らず光合成に特化した植物として『ケナフ』という植物があり、その遺伝子の一部をイネの遺伝子に組み込むことが有効ではないかという話も出た。他の研究者の発表もあったが、杉下同様に決定打となる有効な植物が決められていないという段階だった。会議は3時ごろには終わり進行を務めた関口議員が口を開いた。
「みなさんの研究の成果には心から敬服いたします。どうか地球の温暖化のスピードが壊滅的なレベルに達しないうちに、成果が出ることを期待いたします。ここで今日の会議は終了といたします。さてここからは会議とは別の個人的な話なのでオフレコでお願いしたいのですが、私は経済の基本である企業活動を規制してまで、温暖化対策を推し進めることには、いささか疑問があります。こんな考えは今のSustainable全盛の情勢では非国民、あるいわ非地球市民扱いされるかもしれませんが、今の世の中、Fakenewsだらけです。マスコミ報道を信じますか。私たち国会議員も数年前まではマスコミは公平性を第一に報道していると思っていました。しかし大企業がスキャンダルで報道されることはありますか。ほとんど直前で握りつぶされるんです。テレビ局や新聞社、雑誌社などのマスコミは大企業の公告宣伝費で生活しているからです。大口の広告主の批判をできると思いますか。一方で大企業はマスコミを世論形成のための手段として考えているんです。批判的なニュースが出たとしても、自分たちに都合のいいニュースを適当なタイミングで流させ、それまでの都合の悪いニュースを忘れさせ、企業イメージを回復させてしまいます。そんな報道機関のニュースをどれだけ信じられますか。だからこの温暖化対策もマスコミに流されることなく、自分たちの目で確かめながら確実な方法をとっていくべきだと考えます。皆さんどうですか。異常気象や二酸化炭素濃度の上昇を、すべて産業革命以降の化石燃料の燃焼に答えを求めている環境学者たちの意見が、国連でも取り上げられていますが、本当にそうなのでしょうか。地球の歴史をもっとさかのぼって氷河期と間氷期が繰り返した100万年単位で考えると、温暖化は何回も起きています。そのころ人類はいません。誰が化石燃料を燃やしたんですか。化石燃料を燃やさなくても温暖化は起きていたし、特別な方法を用いなくても何万年かすると氷河期はおとずれます。環境学者のヒステリックな意見に流されすぎて、企業活動まで規制することはおかしいと思うんです。」と自論をぶち上げてきた。
参加者たちは科学者ばかりなので彼の考えに賛同する者はいなかったが、杉下が口火を切った。
「温室効果ガスが犯人ではないという意見には賛同できません。100万年単位で考えてもその当時の温暖化もやはり二酸化炭素であり、その二酸化炭素は現在も海中の水分に吸収されていたり、メタンハイドレードという形で地中や海底の冷たいところで、永久凍土に包まれて固定化されているからです。しかし100万年単位で考えるという事は大事なことだと思います。私の知り合いで年縞を研究している古植物学者がいますが、彼女が言うには福井の水月湖では7万年前からの年縞がみられるが、温暖化された中で生きていた植物の花粉などがみられるというのです。温暖化が進んだ地球で生息していた植物を調べることで何かヒントがみられるんではないでしょうか。」と反論した。周りで聞いていた大学教授たちも頷きながら杉下に賛同してくれていた。
関口議員は杉下の意見が自分に対する反論であるにもかかわらず、その考えの一部に賛同の姿勢を示し、
「温暖化を進めた時期の植物と温暖化が終息していった時期の植物を比較することで、その違いから温暖化の原因と温暖化終息のカギが見つかるかもしれませんね。そうすれば企業活動を規制する必要もなくなるでしょうね。」と別の角度から賛同してくれている。
杉下はすこし余計な話をしてしまったかもしれないと後悔した。確かな鍵が見つかったならば、おそらく企業活動の規制に反対し始めるかもしれない。そう思うと杉下は
「関口議員、話を飛躍させてはいけません。あくまでも仮定の話で、今は企業活動を規制してでも二酸化炭素の排出を押さえなければ、地球は数十年のうちに人間が住めない環境に陥るかもしれないと言われているんです。私たちはその解決方法を探るやめに集まっているんですから、その点は忘れてはいけません。」と一応釘を刺した。
東京駅発の新幹線のぞみ号は午後5時台だと15分間隔くらいで出発する。品川と新横浜に止まるがそこからは名古屋と京都にしか止まらない。会議が終わる時間がよめなかったので切符は押さえてなかったが、東京駅のみどりの窓口で問い合わせると満席で座席指定は取れそうもなかった。仕方がないので自由席に座ることにして、新幹線改札口前のお弁当売り場でビールとつまみとシュウマイ弁当を買い込んで改札をくぐった。始発なので座れるだろうという安堵感はあった。平日の午後だが東京駅は相変わらずの混みようで、通行人の歩く速さは東京流で福井育ちの京都暮らしの杉下には、目が回りそうなほど速い。弁当と飲み物が入ったビニール袋とスーツケースを持ってエスカレーターを使ってホームに上がると、自由席がある1号車から3号車の入口付近を目指した。既に各号車とも数人が並んで待っている。杉下はこの分なら座れるだろうとその列に加わって、新幹線が入線するのを待つことにした。このホームは東京に来るたびに利用するが、学生時代に見たJR東海のテレビCMを思い出す。遠距離恋愛の2人が日曜日の最終便で涙ながらに別れるシンデレラエクスプレスという題名がついていた。杉下には縁がなかったが、憧れたものだった。
予定の列車が入線すると杉下は順番に従って車内に乗り込んでいった。比較的出口に近いところの窓際の席に座り、荷物を網棚にあげて弁当とビールを出してテーブルに並べた。のどが渇いていたのでとりあえずビールの栓を抜いて一口飲んだ。炭酸が爽快で、生き返った感じがした。するとその時、隣の座席に紺のスーツを着たビジネスマン風の男が座って来た。荷物は持っていない。旅行者ではなさそうだ。彼は座るなり、携帯電話を取り出して何やらメールを打っている。会社に連絡でも入れているのだろうか。すると
「失礼ですが、京都大学の杉下先生ですか?」と聞いてきた。何で僕の名前を知っているんだと薄気味悪い感じがしたが、列車の中ということもあり平静を装い
「はい、そうですけど。どちら様ですか。」と逆に聞いてみた。すると
「突然お声をかけてビックリなさったでしょうね。私は日本種苗という会社の野坂と申します。」と言って胸元から名刺を差し出してきた。その名刺を見ると東京に本社がある会社で苗や種を扱っている会社のようだ。支店は全国にあり、海外にも支店を構える大企業のようだ。そしてこの野坂と名乗る人物は、その会社の取締役で開発担当の専務と書いてある。一流企業の重役とは面識などなかったので驚いたが、何でここにいるのかと思い
「何で私がこの列車に乗っているとわかったんですか。」と聞いてみると
「環境省の会議に私も出ていました。そしてあなたとお話しできる機会をうかがっていたんですが、なかなかお話しできそうになかったもので、この列車に一緒に乗り込んだ次第です。」と手にハンカチを持ち、額の汗を拭きながら話してくれた。
「それじゃ、霞が関から私をつけて来たってことですか。」と思わず大きな声を出してしまった。一瞬、佐久間美佳が気をつけろと言っていたことを思い出した。それにしても後をつけられたことなどなかったので、身構えながら話し始めると
「私共の会社は苗や種を扱っている世界的な企業でして、日本は勿論、世界中の穀物の種を扱っています。先ほどの会議で新しい穀物の種を開発中と言うお話を聞き、是非私共にもその研究のお手伝いをさせていただけないかというお願いなんです。」と話しかけてきた。これが企業サイドからの働きかけかと心の中で感じながら、足元をすくわれないように気を付けて
「共同研究ということですか? そのお話は環境省の松村大臣を通していますか。」と少し高飛車な雰囲気で話した。すると
「先生が開発した新品種を私共の会社を通して流通させていただければ、お互いにうまくいくと思うんですが。」と協力関係を打診してきた。しかし佐久間美佳からも注意を受けていたので、
「まだ研究は途中ですが、企業の方と懇意になってしまうと後々困ることになりそうですので、このような接触は控えております。」と機先を制した。すると彼は胸元に忍ばせた封筒を出してきた。
「そうですね。大切なプロジェクトですから官と民が癒着してしまいますと、やりにくくなりますね。ではこれは今日の交通費にお使いください。」と言ってその封筒を杉下のポケットに押し込んで渡してきた。
『わいろだ。』一瞬でその雰囲気を感じ、渡されそうになった封筒を彼につき返した。彼は拒絶している杉下に対してこれ以上しつこくすると機嫌を損ねてしまうと考えたのか
「わかりました。今日の所は引き下がります。でも開発に成功しましたら是非我社の力を利用してください。」と言ってその場を立ち去り、他の号車に行ってしまった。危ないところだった。これからも気をつけないといけないと心に誓い、買い込んできたお弁当を食べた。