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福井県立年縞博物館

 2021(令和3)年11月17日、第2回日本博物館協会賞を受賞したのが福井県立年縞博物館である。45mの年縞ステンドグラス展示などデザイン性に優れた展示や学術的・国際的に価値ある年縞の長年にわたる研究などが高く評価され、全国にある5700あまりの美術館や博物館の中から選ばれたものだ。年縞と聞いてすぐわかる人は福井県以外では意外と少ないだろう。実に地味でなじみが薄い言葉だが、一部の研究者には大切なものなのだ。

福井県若狭町から美浜町にかけて広がる三方五湖は五つの湖が連なる珍しい湖で、その中でも水月湖は、『奇跡の湖』と言われる。水月湖は、隣の三方湖や菅湖とはつながっているが、直接流れ込む河川がなく洪水などの影響を受けなかった。しかも湖底に生息する生物がほとんどいなかったので、湖底がかき乱されることがほとんどなかった。断層活動が長い間ほとんどなかったので、時間が経過しても途中で埋まることもなかったため、7万年もの間、堆積した層が特徴的な縞模様を継続して形成したのだ。縞模様は季節によって違うものが堆積し、明るい層と暗い層が交互に堆積することでできるものである。これほど長い間連続している年縞は、世界でも他に例がない。

しかしここまでなら、ほとんど開発が進んでいなかった田舎の湖だっただけという事になりかねないが、この年縞が学術的に大変貴重なものであるのは、年代測定の標準としてのものさしになることがはっきりしたからである。

 発掘現場から出土した遺物が、いつの時代のものかを知る手段として開発されたのが「放射性炭素年代測定法」である。生物の体に含まれ、時間の経過とともに一定のペースで量が減少する「放射性炭素」の残量を測定し、年代を逆算する手法である。しかし、この放射性炭素年代測定法では、時代によって数百年から数千年のズレがあるのが研究者の悩みであった。このズレを修正するために、「年代ごとの正確な放射性炭素の量」がきっちりと整った「ものさし」になったのが水月湖の年縞だったのだ。

 1993年に第1次調査が行われ、その後、年縞の存在が次第に広がり、世間の注目を集めるようになると、福井県は2018年にこの年縞博物館を開館させた。日本博物館協会賞を受賞したのは、開館からわずか3年目の事だったのである。


 斬新なデザインの建物の中で、協会賞受賞を記念したイベントが開かれ、仲のよさそうな2人の男女が肩を寄せ合って展示された年縞のプレートを見ている。

「年縞はどうして縞模様になるかと言うと、春から秋はプランクトンの死骸などで茶色の堆積物を作り、晩秋から冬は黄砂や鉄分などが堆積した白っぽい堆積物を作るのよ。直接流れ込む川がないから、洪水による土砂の堆積がないので白と茶色の美しい縞模様が7万年分堆積していて、湖底をボーリング調査すると世界でここだけの年縞がとれるのよ。」と説明しているのはこの博物館の研究員の佐久間美佳である。水玉のワンピースの上に仕事用のジャンパーを羽織っている。久しぶりに会う彼のためにかわいいワンピースを選んだようだ。

「ボーリング技術がもっと上がると7万年よりももっと深いところの年縞も採取できるのかな。」と熱心に聞き入っているのは佐久間美佳の高校、大学と同級生で現在も京都大学で理学部の准教授をしている杉下栄吉だ。2人の出会いは福井県の藤島高校という進学校に入学して同じ1年8組になった時からである。高校時代からお互いに意識し合い、大学が同じ京都大学でしかも同じ理学部だったことから、自然と付き合い始めた間柄だった。しかし大学院まで研究に明け暮れ、結婚にまでは至っていなかった。しかも佐久間が3年前に、この福井県立年縞博物館の研究員として就職してからは、遠距離恋愛になってしまった。すでに2人とも35歳になっている。

 広い展示室で45mもある年縞のステンドグラス展示は横長に延々と長く展示されているが、それぞれの年代に解説が加えられている。説明をする立場だった佐久間が今度は杉下に質問している。

「ねえ、あなたの研究の方はどうなの。世界の平和に近づいてるの?」

直球の質問で杉下は面食らっている。

「おいおい、世界の平和は大げさだな。確かに今やってるゲノム編集で、光合成に特化した植物の生成に成功すれば、二酸化炭素削減につながって、地球温暖化抑制になれば地球の平和かもしれないけど、ゲノム編集は負の部分も大きいから、そう簡単にはいかないのさ。」とさらりと自分の研究の大変さを愚痴った。小さい声で話しているが近くで展示を見ていた親子連れの小学生らしい女の子は、杉下の方を見て目をぱちぱちさせている。ゲノム編集をする研究者だとわかって、びっくりしたのだろう。杉下はその子に目で小さく合図して、将来は研究者になるんだぞとおまじないを掛けて佐久間の方を見た。

「君の方こそどうなんだい。年縞博物館に就職して3年だけど、専門の古植物学研究の方は進んでいるのかい。」

杉下は佐久間の近況に触れた。3年前、年縞博物館に就職するかどうかを迷っていた佐久間美佳に『離れるくらいなら結婚しよう』と言えばよかったのに、かっこつけて『世界的に注目される博物館からの誘いを断るのは研究者として残念だよ。』と言って、就職することと、遠距離恋愛になることを認めてしまった自分を少し後悔している。

「博物館の来場者がすごく多いから、その対応だけでも大変だけど、私に期待されているのは年縞の中から出てくる古植物の分析なの。いろいろ面白いものがたくさんあるわよ。ジュラシックパークっていう映画で、恐竜の血液を吸った蚊が木の琥珀に閉じ込められて、そのままになったものを掘り出して、その蚊のお腹の中から恐竜の血液を取り出し、恐竜のDNAを利用して、恐竜を再生していたでしょ。あそこまではいかなくても年縞の中には7万年前までのいろいろな足跡が残っているの。しかもその痕跡の年代が1年単位で正確に分かるのよ。面白そうでしょ。」

佐久間は屈託なく笑いながら自分の研究について話したが、杉下には研究よりも、『いつになったら一緒に住めるようになるのか』という心配の方が強かった。

「それにしても水月湖というのはどうして奇跡の湖と呼ばれているんだい。そこがよくわからないんだ。」と杉下が質問すると、佐久間美佳はそんなことも知らないのかと少し小ばかにした笑みを浮かべながら

「三方五湖というのは断層の動きで出来た湖と言われているんだけど、7万年ほど前に最後の活動があって今の形になって、それ以降ほとんど活動がなかった珍しい場所なわけ。そして内陸側の方からいくつか川が流れ込んでいて、三方湖と菅湖には流れ込んでいるけど、そこにつながっている水月湖の北側は日本海をはさんだわずかな山地しかないのよ。だから南側に広がる山岳地帯や平野部から流れてくる大きな川はすべて三方湖と菅湖に流れ込んで、水月湖は大きな台風や大水害の時の土砂による堆積物がほとんどなかったの。これこそ神が作りし奇跡の湖の正体です。」と流暢に説明した。

「放射性炭素年代測定法は1940年代のアメリカで発明されたんだよね。たしかシカゴ大学だったっけ。」

「ウィラード・リビー教授よ。」

「そうそう、そのリビー教授が測定法を発表してから考古学分野でも応用されて研究が飛躍的に向上したと思うけど、とにかくこの三方五湖が高度経済成長期の開発の波にさらされず、静かな湖であり続けられたことも珍しいね。」と尋ねると佐久間は

「この福井県嶺南地域は交通の便が悪くて、取り残された地域だったの。日本でも有数のリアス式海岸で、美しい海岸線と入り組んだ入り江が続くから、半島の先端はつい最近まで船でしか行けなかった。でも逆に人の手が入り込んでいない海岸線は、原子力発電所を建設するには絶好の場所で、日本の原子力発電所の最大の集積地になっているわ。原発が出来たから、地元への貢献と発電所建設のために、未開の半島の先端まで美しい道路が出来たというのも皮肉な話だけどね。でもそれくらい嶺南地域が開発されてこなかったから、三方五湖は太古の昔の姿をとどめていてくれたのよ。」と近くの小浜市内に住み始めてまだ3年だが、嶺南地域の住民として身に着けた知識を佐久間が披露した。


 そんな話をしながら展示物を見て回っていたが、佐久間が

「地球規模の温暖化を止めるために、あなたも参加している日本環境会議ではほかにどんな研究がなされているの。」と温暖化対策について聞いてみた。彼女の研究は基礎研究の分野なので直接的に温暖化対策にはならないが、全体の方向性を知ることで自分の研究のヒントを得ようとしたのだった。日本環境会議は内閣総理大臣の呼びかけで各方面の専門家が集められ、日本としての地球温暖化対策の方向性を探り、政府として有望な研究に補助金を増額させる目的があった。また各方面の研究を縦割りから分離して横の連携を持たせ、異分野の連携を強化する狙いもあった。杉下は佐久間の質問に

「そうだね、増加傾向にある二酸化炭素の排出を減らそうという研究と、増えてしまった二酸化炭素を積極的に何かに利用して減らそうという研究の大きく分けて2通りあるんだ。前者は分かるよね。二酸化炭素を発生させていた自動車がガソリン車からハイブリットになりさらに電気自動車になっているし、また発電所も石炭や重油を使う火力発電所は原子力発電や風力発電、太陽熱発電などに置き換わっている。世界的に二酸化炭素の排出量を抑える削減目標を期限付きで設定して、各国が守ろうとしている。でも僕たち科学者が挑んでいるのは、後者の二酸化炭素を積極的に消費することを研究しているんだ。僕たちはゲノム編集で、二酸化炭素を多く消費してくれる光合成に特化した植物の開発をしているんだ。他にもカーボンリサイクルといって、石炭火力発電所で発生した二酸化炭素を直接回収して、水素を使って分解して、メタノールやポリエチレンなどを作る技術、つまり人工的に光合成に似た化学反応を起こすもので、政府の肝いりで大きな工場が出来ているよ。他にもいろいろあって、大気中の二酸化炭素を、地中に固定化しようとする研究や、森林の二酸化炭素消化機能を高めるために、葉が大きく成長が早い杉の苗を生産している製紙会社も出てきた。みんなそれぞれの分野で地球温暖化に挑むことは、現在大きなビジネスチャンスになっている。いろんな有名企業やベンチャー企業が名乗りを上げているのが現状さ。」と日本環境会議に学者として参加している杉下の現状報告が終わった。佐久間美佳は同じ科学者として懐疑的な見方でその話を聞いていた。

「でもね、本当に20世紀の人間たちが化石燃料を利用しつくしたことが温室効果の主な原因なのかな。トランプ大統領が盛んに言っていたフェークニュースというのもどうかと思うけど、説明がつかないから化石燃料が犯人に仕立て上げられた感はあるわ。だって地球の歴史を過去2000年くらいで見ると人類の開発の歴史だったかもしれないけど、過去を60万年くらいで見ると地球は氷河期と間氷期を繰り返し、18500年前に最後の氷河期が終わってからでも12000年前のアレレード期には現在よりも平均気温が7度近く上がった時期もあったのよ。その時代には化石燃料は燃やしてないわ。でも自然の力で地球は危機を乗り切って平均気温を下げていった歴史があるのも事実だわ。」

見学者は多いが、静かな展示室で2人の話がヒートアップしてきて、周りの人たちは2人の話に聞き耳を立てるようになっていた。話の内容が専門的だったので2人が科学者同志であることは推測されたが、恋人同士である事まではバレていないように思った。しかし周りの見学者の目が自分たちに注がれていることに気づくと、佐久間は杉下の手を引いて事務室に入っていった。

 年縞博物館は2019年に日本空間デザイン賞も受賞している。展示スペースと建物の新しいデザインが認められた。広い展示スペースが確保され、事務室がどこにあるのか、なかなか見つけられないような設計になっている。見学者の目線を第1に考えられたつくりになっているのが斬新だ。展示場の壁と一体化された隠しドアを開けて事務室内に入り佐久間は

「杉下君、見学者が多いんだから大きな声を出さないで。博物館のエチケットよ。」と声を押さえて杉下に注意すると

「僕だけじゃないだろ。君だってだんだん大きな声になって自論を展開していたぞ。」

こちらも負けてはいない。2人がここまで遠距離恋愛しながらも結婚に至っていないのはこのお互いに譲らない性格が原因かもしれない。

 少し落ち着いて杉下は

「世界中の科学者が温室効果ガスが地球温暖化の原因だと言っているのに、違うかもしれないというのは何か根拠はあるのかい。」と落ち着いて問いかけた。佐久間も少し落ち着いて話し始めた。

「温暖化の原因が温室効果ガスだと言っているのは、科学者よりも政治家の方が多いんじゃないかな。そしてそれに踊らされた無知なマスコミだと思うよ。科学者たちは本当に温室効果ガス、すなわち二酸化炭素やメタンガスだけが原因だとは思ってないよ。だって、わかっている限りでも、60万年前から氷河期と間氷期を繰り返してきているし、最後の氷河期が終わってからでも短い寒冷期と温暖期が交互に来ているのよ。なかでも12000年前くらいのアレレード期は7度くらい気温が上昇しているし、その後の11000年くらい前のヤンガードライアス期は寒冷期で6度くらい低かったと研究結果が出ているの。このような気候変動を地球は自らの自然の力で乗り切って来た歴史があるのよ。ただ何が原因で気候が元に戻ったのかはいまだに定かではないわ。さらに時代の尺度を2000年くらいに短くしても紀元前750年ごろと紀元前330年ごろは寒冷期だったと言われ、その間は温暖期だったので人類は稲作を始めているわ。あとよく知られているのは江戸時代にあたる1600年ごろから1850年ごろまでは寒冷だったらしいの。だから江戸時代の赤穂浪士の討ち入りの時には江戸の町に雪が降っていたでしょ。幕末には毎年のように東北地方で太平洋からの冷たいやませが吹いて、農作物が凶作に見舞われている。これも寒冷期であった証拠と言えるのよ。でもそんな気候変動に負けずに乗り越えてきた歴史をどう説明するの。」佐久間はかなり調べて来ているようだった。自信満々に地球の気候変動の歴史について語りつくした。さらに佐久間はマウントを取るように続けて

「あなたの研究が無駄だとは言わないけど、ゲノム編集した植物は確かに二酸化炭素を多く消費してくれるかもしれないけど、倫理的にどうなのかな。他の物もたくさんやっつけてしまうかもしれないわよ。外来種の動物や植物が日本古来の生物をたくさん駆逐して在来種の危機が迫っているでしょ。外来種でもそんなことが起きるのに遺伝子操作した植物が逆に地球を滅ぼしたりしないかしら。そこが心配よ。」と単純に二酸化炭素を消費しようとする新しい研究に警鐘を鳴らした。

「難しい話はこれくらいにしてせっかく三方五湖に来たんだから少し観光しない。」と佐久間が杉下を外に誘った。佐久間は事務室で所長に友人が来ているので、少し外に出てきますと許しを得て、外に停めてある佐久間の車に杉下を乗せた。杉下は学生時代からずっと京都なので車を必要としなかったので免許はあっても車はもってなかった。しかし佐久間は京都から福井に来て、必要に迫られて車を買っていた。公共交通機関が少ない福井では自家用車は一人に一台が普通になっている。佐久間は三年前に福井に来て、年縞博物館に小浜の町のアパートから通うために、中古の軽自動車を買った。タイヤは小さいが軽快に走るし車高が高く乗りやすいし、運転するときの目線も高いので彼女のお気に入りだ。


 二人は車に乗り込んで三方五湖周辺を観光しようという事になった。

「遊覧船に乗ろうか。私もここに来てからまだ一回も乗ったことがないのよ。」と佐久間美佳が言って車を博物館のある三方湖沿岸から、となりの久々子湖の北岸の方へ走らせた。途中の湖沿いの道は細く、岸辺の傾斜地には梅林が続く。久々子湖の沿岸には美しい景色の中にホテルや民宿も並んでいる。その地域を抜けると早瀬という地区に美浜町遊覧船乗り場がある。駐車場には車が少なく、閑散としている。駐車場に車を停めると遊覧船乗り場の建物に入った。中は土産物や喫茶店、食堂などがあったが、従業員も少なく閑散としている。

「お客さんいるのかな。週末なら賑わうのかもしれないけど、平日は寂しいね。」と杉下が田舎を馬鹿にした感じで言うと

「あなただって福井県民でしょ。福井を悪く言わないで。週末になるとたくさん人が来るのよ。」と言って佐久間は福井を擁護した。

 中に入ると時刻表があり1時間30分に1本の運行がある。約1時間のクルーズらしい。次は1時30分出航でまだ5分ほどあった。

「あと5分だからちょうどよかったわね。すぐ乗りましょう。」と言って乗車券を買うために売り場の係員に「2人分」と言うと杉下が料金を払った。

 遊覧船は現在では電池推進遊覧船として環境にやさしい再生可能エネルギーを使った船になっている。ラムサール条約に指定された三方五湖ならではである。石油エンジンを使わない電池式のモーターが動力になっているので二酸化炭素は排出しない。

 乗客は2人以外にわずかに3人。合計で5人の乗客を乗せて音も立てずに出航した船は久々子湖を南下してまず浦見川運河へ進み、水月湖へつながる細い運河を進んだ。江戸時代行方久兵衛なめかたきゅうべいという役人が苦労して開通させたらしい。江戸時代の大雨で三方五湖の水を日本海に排水していた水路ががけ崩れで埋まってしまい、徐々に水位が上がり周辺の農地が水没の危機に瀕した時、新しい運河を掘って三方湖や水月湖の水を久々子湖に流すことに成功したらしい。

狭い運河を超えて水月湖に入った遊覧船は、年縞を掘っている地点近くまで進んでいった。

「これが年縞を掘るためにボーリング調査しているところか。意外と質素だね。工事現場の足場みたいなのが浮いているだけなんだね。」と杉下が感想を述べると

「そうね。静かな湖だから浮いているこの足場は動かないんでしょうね。でもこの施設で7万年分の年縞を掘ったなんて信じられないわ。」と不思議がっている。水月湖の水面は鏡のように静かで、湖面はわずかに風の影響を受けるだけだ。まして湖底は7万年のあいだ何の変化もなく、毎年毎年夏と冬を繰り返してきたのだ。そんな静かな湖にドラム缶を何十個か浮かべて、そこに足場となる木材を鉄管とロープで固めて水面から1メートルほどの所に床を作っているだけの施設だ。

「それにしても静かな湖だから年縞が出来たのに、こんな遊覧船を運航して波風を立てると年縞に影響は出ないのかな。」と杉下が心配そうに語った。すると近くで聞いていた乗組員のおじさんが

「よくそのことは聞かれます。しかしこの舟のスクリューが影響を与えるのは、水深1メートル程度までです。年縞はもっと深いところでゆっくりと出来ているので大丈夫だという事は大学の先生方が教えてくれました。」と語ってくれた。

 約50分のクルーズを終えて2人はレイクセンターに戻って来た。船を降りて湖の方を眺めると滋賀県都の県境にそびえる山が美しい緑を称えていた。逆に後ろを振り返ると山の尾根の頂上付近に展望台らしきものがある。

「あれは何だい。」と杉下が聞くと佐久間は

「レインボーラインという有料道路の頂上にある展望台らしいわ。あそこも行ってみる?」と聞くと

「湖を俯瞰できるんだろ。行ってみたいよ。」と杉下が言うので車を進めた。有料道路の料金所を超え曲がりくねった坂道を20分ほど登ると大きな駐車場に着いた。ここに来るまでにも車窓から両側に絶景が広がっていたが、そこが何なのかよくわからなかった。しかし駐車場からロープウェーを上り、展望台に出ると案内板が多数あったのでよくわかった。南を向くと三方五湖が一望できるし、北側の展望台からは日本海が見える。しかも若狭湾の常神半島や敦賀半島、田烏半島まではっきりとわかる。

「この景色はすごいよ。高校まで福井にいたのに来たことなかったな。ここから見るとリアス式海岸というのがどういうことなのかよくわかるね。半島の先っちょが陸の孤島と呼ばれていたことも理解できる。半島というのは山地が海に溺れたようになっているから海岸線はすべて急傾斜で道なんか作れないんだね。こうやって高いところから見ると半島だってわかるけど、海面と同じ高さで船の中から見ると、半島なのか島なのか分からないでしょうね。」と美しい景色を感嘆した。

「北側の三方五湖は7万年の間、何の変化もなく沈黙を保ち続け、北側の半島も文明から忘れ去られた陸の孤島になっていたのよね。敦賀半島に美浜原子力発電所が見えるでしょ。原発が出来たから大きな道路が出来て地元の人は陸の孤島から解放されていったんだけど、貴重な自然が失われたと同時に目の前に原発がある脅威と同居することになったのよ。40年経った原発は廃炉にするはずだったんだけど、温暖化対策で原子力が見直されるようになると、今度は40年を超えても安全性が確認されれば、60年まで使えるように法律を改正したでしょ。60年経ったら今度は100年まで使えるようにするのかしら。原子力安全委員会って言うのも政府の言うとおりで、結論ありきの議論をしているように見えてきちゃうんだけど。」と佐久間は歯に衣着せぬ物言いで遠くに見える原子力発電所を見つめて杉下に持論をぶつけた。

「こんなきれいな景色なのにいろいろあるんだね。よそに住んでいる人から見れば自然を守ってほしいと思うけど、この地域に住んでいる人から言わせれば、開発から取り残されるという事は不公平感があるだろうからね。でも今回この三方五湖を訪ねて君に会いに来たことは大きな収穫があったよ。年縞、すごいね。頑張って研究続けろよ。」

レインボーラインの下り坂で佐久間の運転する車の助手席にいる杉下が、別れを惜しむように佐久間に声をかけた。

 三方五湖周辺から舞若道に戻り、敦賀方面に向かった。杉下は敦賀にホテルを取っていた。翌朝早くに敦賀からJRで京都に戻る予定をしていた。車でのデートを終えた2人は別れを惜しみ、そのまま2人で敦賀のホテルで夜を過ごした。また来月今度は杉下の住む京都で会うことを約束して、翌朝杉下は敦賀駅からサンダーバードで京都へ帰っていった。


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