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旅と

仕事もプライベートも順調に進めて行けているからなのか、5月はあっという間に過ぎてゆく印象。読み終わった『マギカへの誘い』を怜に返して、著者である茜音さんにその感想を伝えようと思いながらも所々難解な部分があるだけになかなか文章が浮かばない。もともと感想文を書くのも上手ではないし、自分の理解で合っているのかどうか自信が無くなると何を伝えたものか分からなくなる。ただ、わたしが読んで感じた事の中ではっきりとしているのは、



『魔法が存在したとしたらわたしは何をしようと思うのか』



という事を考えさせられたことだ。そしてわたしの間違いでなければ、本を書いた茜音さんも『魔法で実現したい事がある』という感情を持っているように感じられたという事。この問いに対して、例えば陸さんの作品の展示会場に何らかの力で多くの人を集めることが出来るのならと思っている自分の気持が組み合わさる。外が暗くなってハンナがわたしに近付いてきたその場でウトウトし始めている様子をニヤつきながら撮影してすぐさまSNSのアプリ上で編集していた時、そのスマホに通知が入る。



「あ、陸さんからだ」



メッセージは『新作アップしました』という内容で、一度写真の編集を辞めもう一つのSNSを開いて「Asita」さんのアカウントの投稿を確認しに行くと最新のところに『旅』というタイトルで陸さんの新しいイラストが表示されていた。




<あれ?なんだろう、このイラスト今までにない感じ…>




『異国情緒のある世界』と表現すればいいのだろうか、日本とは違う国のものに見える建物が並んで奥の方には青々とした海が広がる光景。少し高い丘から見下ろすような構図になっていて、人物は映っていないけれど手前の方を『猫』が歩いている様子が見える。そしてその猫の体躯は少し小さくて、毛色もそうだけれどどことなく『ハンナ』に似ている。<もしかして>、と思ったので急いで陸さんにメッセージを送る。



『このイラストの猫ってもしかして…』



この短い言葉に陸さんは『そうです。ハンナちゃんをモデルに描かせてもらいました』と答えてくれた。続けて、



『勝手にモデルにしてしまいました。先に香純さんに許可取ってからにすればよかったんですが、このイメージがふっと降りてきたのでどうしてもそれを見てもらいたかったんです。気分を害していたらごめんなさい』



と説明する陸さん。『気分を害すなんてとんでもない…素敵な絵です』と慌てて返信したのだけれど、確かにプロのイラストレータさんなのでモデルにするにあたっては色んな制約があるのだろうと思う。とは言っても、前に会食した際に「ハンナちゃんの写真、作品の参考にさせてもらうかも知れません」と口頭では伝えられていたし、わたしもその際「ぜひ」と言った記憶がある。どちらかというと陸さんはこのイメージをわたしに見せたかったという気持ちが強かったのだと思う。




改めて『旅』と題されたイラストを鑑賞してみる。異国ではあるけれど、どこか懐かしさを感じてしまう光景で例えばそれは子供の頃に読んだ童話の世界観とかそういうものの雰囲気を感じる。わたしは何故か『この絵の世界には魔法が存在してそう』と感じてしまう。穏やかな日常が続いて、そしてちょっと面白い事が起こるような世界。ハンナと思わしき小さな猫はその世界でのびのびと過ごしている。『旅』と題されている理由が、その世界を旅している気分になれるからなのか、それとも旅人がその場所に立ち寄ったからなのか、幾通りかの解釈ができるけれど、その時のわたしはそのまま思い付いた内容を素直に陸さんに伝えられた。




『まさに僕が伝えたいと思っていた事です。作品を観ることはそれ自体『旅』のようなものだし、人生というのも『旅』に見えることもあります。もしかしたら『夢のその先』というイメージもあるかも知れません」




『この町は実際にある町なんですか?』




『半分そうとも言えます。結構前ですが、海外を旅した時にこれに似た光景は見ました。でも半分は違う世界ですね』




こういった制作秘話を実際に聞いてみて、確かにわたしは陸さんに新しい場所に連れて行ってもらえているのだと感じる。あまり旅をしたことのないわたしも、こういう場所だったら是非ハンナを連れて旅してみたい、そんな風に感じる。さすがにハンナを連れてゆくのは無理なのだけれど、いつか夢の中でハンナをどこかに連れてゆきたいと思ったその感情は何か普遍的なもののように感じる。




<そうか…わたしが魔法が使えたら、ハンナと旅をしてみたい>




それが浮かんだ時、再び陸さんからメッセージ。




『今、SNSの方にも投稿したのですが、この作品が生まれる切っ掛けになった『曲』があります』




説明されるままSNSの方を確認しに行くと「Asita」さんのこんな投稿。




『とある曲を聴いていたときに、そのコード進行がまるで自分をどこかに連れて行ってくれるようだと感じて『旅』というテーマが浮かびました』




『コード進行』という少し聞きなれない言葉にわたしには聞き覚えがあった。前に付き合っていた『その人』は昔友人とバンドをしていた事があったらしく、わたしの好きなある曲のコード進行を「王道のコード進行だ」と説明していたのだ。その時の言葉がどういうニュアンスだったのか、今ではよく分からなくなっているけれど、改めて陸さんにコード進行の話を聞いてみる。



『簡単に説明すると、ギターやピアノとかで和音を奏でる時にその和音をある名前で区別するんです。その一つ一つが『コード』なんですが、曲が演奏される時に順々に和音を奏でてゆく場合には、メロディーに合うようにコードが展開…『進行』してゆくんです。僕が今回聴いた曲、すごく懐かしい心地にさせてくれるんですが同時に新しさも感じて、たぶんその理由が不思議なコード進行にあると感じています』




その日あんまりにもメッセージに熱中していたからなのか、ハンナが突然「にゃー」と鳴いて驚いてしまった。ウトウトしていたと思っていたらいつの間にか目をギラギラさせているのでおやつをねだっているのだと思う。やりとりを続けたい気持ちで気もそぞろにハンナに左手で正規品(怜からの差し入れ)を与えながら、右手でスマホを操作する。




『その曲のタイトルは』



片手での操作の途中に誤ってタップしてしまった結果、中途半端なメッセージが送られてしまう。意味は通じるので問題なくリプが返ってくる。




『 【Sound】 というタイトルです。MVのリンクがこれです』





紹介されたリンクをタップして表示されたMVはアニメーション仕立てになっていた。そしてそれは少し懐かしい時代のスタイルのアニメといった感じで全体的にレトロでありながらポップで音楽ともマッチしている。キーボードの音が曲を際立たせていて、これまでに聴いた事の無いような不思議なリズム感で曲は展開してゆき、なんとなく洋楽の雰囲気もある。ハンナもその音楽にところどころ反応して、心地よさそうな表情で耳を立てている。




『コード進行』について語るなら全体的にふわっとしている感じがあって、ボーカルも中性的な歌声なのでまるで夢の中にいるような気分になる。陸さんの言った『懐かしさ』は子供の頃に感じた何かを取り戻すような感覚なのかもしれない。





「とっても優しい気持ちになれる」





自然とそんな言葉が出てきた。陸さんがこの曲を聴いてあの絵のインスピレーションが浮かんだという理由もよく分かる。と、そこでわたしはハンナがうとうとしている様子を映した写真の編集を再開する。その時選んだ色合いは懐かしさを感じるようなもので、そこに「Sound」という先程の曲のリンクを張ってこんな文章を載せる。




『ある人から教えてもらったこの曲を聴いているととっても優しい気持ちになってきます』




陸さんに教えてもらってすぐにこんな投稿をしてしまうのも我ながら苦笑いなのだけれど、陸さんがハンナをモデルに描いてくれたように良いものをなるべく早く広めたくなる気持ちはわたしも同じなのかも知れない。そのままアプリのホーム画面に戻ってフォローしている人の投稿をチェックしていると「akane_stella」さんが少し前に投稿した内容に多数の反応がある事が分かった。そしてその投稿はすこしばかり謎めいていた。




『「i」という虚数の実在性が確認されたのだとしたら、それを扱う操作ができるなら』




意味深な言葉と、コーヒーにミルクが混ざり合う模様の写真。意味を訊ねてみたかったけれど、何故かメッセージを打とうとするその手は止まる。

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