動画撮影
当初の予定通りに実現しなかった怜とのランニングは、その埋め合わせをするようにゴールデンウィーク後の土曜日から二週連続で行われることになった。走りながらではあるけれど競馬好きの怜がその週の大きなレースの予想をわたしに披露したり、わたしはわたしで陸さんの個展でいかにしたら集客を増やすことが出来るのかの案を聞いてもらったりしていた。
「予定通りには行かない事も多いだろうけど、そういうのは『情熱』だからね」
休憩に立ち寄った公園で現役さながらに足を伸ばすストレッチをしながら何気なく彼女が言ってくれた言葉は色々怖気づいてしまいがちなわたしを鼓舞してくれる。場所柄なのかその公園に初めてやって来たのだけれど、その日のその時間には既に何人かの人が散歩という様子で訪れていた。
「『情熱』か。確かに仕事も情熱を持ってやった方がいい結果が出たりするものね」
「現代人は利口に生きたがるけれど、暑苦しい位の人に何だかんだ盛り立ててもらってたりする。現役時代もそんな動画見てたりしてたなぁ」
しみじみと思い出している表情の怜を見て少し笑ってから、わたしもわたしで上半身を捻るようなストレッチを始める。するとその時、その公園にまるでジムのトレーナーのような出で立ちをしたそこそこ長身の男性が現れた。直感的に何故かすごくいやーな予感があったのだけれど、その理由は男性のシルエットに妙に見覚えがあったから。
「あ…やば…あれってもしかして…」
まだその男性はこちらの方には気付いていないようだけれど来て早々大きいサイズの鉄棒の前に移動して、背負ってきたリュックの中から何かを取り出して何やら準備を始め出した。
「あの人何しようとしてるんだろう?」
怜も気付いた様子で大分不思議がっていたけれど、わたしはこの時点でその場から静かに退散した方がいいと脳が命令しているのを感じた。
「あ、あの人ね、実は」
小声で怜に伝えようとした時『運悪く』なのか、その男性がこちらの方を振り向いて「あ!」と少し大きめの声を上げた。そして怜が隣で困惑したまま男性はのっしのっしと私達の方に駆け出してくる。
「桑原さんじゃないですか!」
声を掛けられた時点でもうアウトなのだが、その見覚えのある男性は職場で『筋トレ』を報告してきていた同僚の『成田さん』だった。わたしの脳裏に先輩が話してくれた事が駆け巡る。キーワードは『動画投稿』。
「もしかしてここで…」
成田さんに言いかけて、わたしは慌てて口を噤む。彼は先輩には動画がバズった事を報告しているけれど何となくわたしはまだ知らないという事にしておいた方がいいかも知れないと感じたから。幸い成田さんはそんなわたしの様子よりもわたしの隣にいる親友の方に興味があった模様。
「もしかしてそちら桑原さんの知り合いの方ですか?」
「は、はい。わたしと同郷で、中学まで一緒だったんです」
トレーニングウェアだと見るからにガタイが良く、職場よりも何かこう暑苦しさのようなものが格段に増していると感じられる成田さんは怜を前に自己紹介を始める。わたしの同僚という事で少し警戒が解かれた様子の怜ではあるけれど、未だその視線には困惑が見て取れる。
「もしかして、成田さんは『筋トレ』とかそういう感じなんですか?」
怜が辛うじて成田さんに問い掛けた感じ。それに対して彼は我が意を得たりという表情で、
「そうなんです!まだ桑原さんには言ってなかったんですが、動画を撮影して編集したものがちょっと前に『バズった』んですよ!」
としっかりわたしにも報告してくれた。こうなると同僚として訊ねる事は訊ねる必要が出てきてしまう。
「顔出しとかはどうしてるんですか?」
「ああ、それはしてません。良い方法がありまして、ちょ、待っててくださいね!」
すると成田さんは再び鉄棒の前に戻り、そこに置いていたリュックから何かを取り出す。そしておもむろにそれを顔に『装着』した。
「マスクじゃん…あれ『プロレス』とかで使うやつじゃない?」
勘の鋭い怜は遠目からでも分かったらしい。つまり成田さんはあのマスクを装着して『筋トレ動画』を撮影しているという事になる。こちらにカムバックした成田さんの姿は確かに怜が指摘したように『プロレス』味を感じさせる。ここで成田さんの名誉の為に述べておくと彼のビジュアルは異性として全体的に綺麗な方だと思う。ただ、女性として生理的に苦手と感じてしまう人が一定数いるだろうなというタイプの人で、それはストイックに自分を追い込む姿をどう評価するかに依存しているような気がする。
「こういうわけなんです!」
とても嬉しそうな様子の成田さん。職場でもお世話になっているという面もあるけれど、時々感じる『合わせるのが難しい』という感覚はこの大胆な性格がわたしと違い過ぎるからだろうとは思う。わたしの親友はどう感じているのか、段々心配になってきた。
「あの『後学の為』ということで、もしよければ動画の撮影をちょっと見させてもらっていいですか?」
意外にも怜は興味を示していた。成田さんはその言葉を聞いて見る見るテンションが上がっていった。その後わたし達は彼が鉄棒で『自分の限界まで懸垂をするだけの動画』を撮影する様を見届けさせてもらった。マスクをしているからか息を整えるのが難しいらしく、「くそう!」「うわ!」「ああぁ」とか明らかに苦しんでいるような奇声を発しながら延々と懸垂をし続ける姿はコミカルというか、この辺りの光景としては少しシュールだった。『後学の為』と宣言した怜は、カメラを設置した位置や角度などを彼女なりに検証したり、
「これって拍手とかしたり『頑張れ!』とか声が入ってたら面白くなるかな?」
とわたしに訊ねたりしながら、概ねその様子を楽しんで見ていた。ただわたし達もランニングという目的があるので適当な時間で切り上げて、懸垂が終了してカメラを弄りながらヘトヘトになっている成田さんに二人で一礼してその場を後にした。そこから計画していたコースを走り終えて、わたしの自宅に戻ってきたから二人でいつものようにクールダウンをする時間になる。5月になって結構汗もかいたので怜もわたしも順番にシャワーを浴びた後、地図アプリを使用しながら次回のコースなどについて相談したりしていると怜が、
「わたし達が『ランニングの動画』を投稿したら需要はあるんだろうか?」
と変な事を口走った。成田さんの姿を見て何か感じる事があったのだろうか。わたしは勢いよくかぶりを振って、
「いやだよ。需要があるからって何でもしてたんじゃ羞恥心なくなっちゃうよ」
「わたしだってするつもりはないよ。ただ単純にこの時代何がバズるか分からないからさ、需要があるかどうかって事を知りたいというか」
「ところで成田さん、どうだった?」
わたしはちょっと訊いてみたくなっていた。怜は微妙そうな表情をして、
「うーん…前にジム行ってた時にはああいう人一杯いたから、やっぱり『筋トレブーム』なんだなと」
成田さん個人については言及を避けたカタチ。そして怜は何かを訴えかけるような視線をこちらに向けているハンナに気付いて、
「ハンナちゃんもお風呂入るんですかねぇ~それともごはんかなぁ?」
と赤ちゃん言葉じみた言葉で話しかけ始めた。
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月曜日、出社してきて早々成田さんに呼び止められる。
「桑原さん、土曜はどうも。動画編集、最後のチェックが終わったら帰ったら今日アップロードしようと思ってるんです」
「相当頑張ってましたね。筋肉痛とか大丈夫ですか?」
「慣れっこですよ。それより、ちょっと桑原さんにお尋ねしたい事が…」
神妙な顔つきになった成田さん。身構えていたわたしに彼はこんな事を訊いた。
「一緒にいらした友人のお名前は何と言うのですか?」
「え…?」
予想してなかったわたしは一瞬混乱した。
「いえ…その…何かがあるというわけではないんですけど、あの時お名前は訊いてなかったなと思いまして」
「あ…」
個人情報ではあるので伝えるかどうかは迷ったけれど大きな差しさわりがあるというわけではなかったのと動画撮影を見学したいと言ったのは怜の方だったので教える事に。
「『星怜』さんというんですか!いやぁ…アスリートという感じに見えましたね。キリっとしてて格好よかったです」
ここで『女の勘』というものが働いてしまった。たぶんだけれど、彼は怜に興味があるんだな…と。怜は怜であんな感じだから一体それを伝えるべきかどうかは悩ましいところ。




