お呼ばれ
『たまにはウチくる?』
午前、やや唐突に怜からメッセージが届いた。ゴールデンウィークらしいことを殆ど出来ずにいたわたしを見かねてそんな提案をしてくれたのだと思うけれど、地元にいた頃にも専ら怜の方から家に来ることはあっても怜の実家に遊びに行った記憶は少ないからかそのお誘いの響きが新鮮だ。二つ返事でいそいそ準備を始め、ハンナに「お留守番ね」と声を掛けて家を出る。怜の住む『メゾン ド ホワイエ』は近いけれどあまり向かわない方角で、向かっている途中忘れかけていた「303」という数字がメッセージで届いて、
<二人で物件見に行った時以来だなぁ>
と思い出す。今思うと怜が引っ越してきた時から歯車が動き出したかのように予期せぬ出会いが続いている。失恋して、もうこんな思いはこりごりだと思って心が停滞していたところから、もう一歩踏み出してみて今があるという事は自分でも不思議な気持ち。というか幾つかの巡り合わせが無ければ立ち止まったままだったかも知れない。アパートに到着して、エレベーターの前で立ち止まる。怜がこの物件を選んだ理由の一つがこのエレベーターの存在。曰く、『階段だけだと物足りないから』。言わんとする事は何となく分かるような気がする。無事『303号室』の前でチャイムを鳴らす。
「ハロー!ようこそわが家へ」
何故か得意げな表情の怜が玄関から顔を出した。
「なにそれ?」
「ここに越してきて地味にお客さんを迎えるのが初めてだったりするからね」
出歩く時にはビシッと決めている事が多い怜も自宅では薄手のブルー系のニットで雰囲気も何だかリラックスしている。わたしも大したおしゃれはしてきていない。メイクも最小限という感じ。入室して、まだ部屋の飾りつけなどがほとんどされていない事に気付く。ただ何故か部屋の目立つ所にカレンダーが掛けてあって、隔週のランニングの日程を示すマル印がとても目立つ。
「性格上、あんまり可愛らしいお部屋ではないんだけどね」
謙遜する体で説明してはいるけれど、むしろ可愛らしいというよりも全体的に『スタイリッシュ』な家具と色合い。いわゆるIT系の人が好むようなデスクとか、ちらっと本棚の方を確認しただけでも趣味用の書籍がほとんどないような、なんというかある意味で期待を裏切らない『仕様』になっている。
「同い年でここまで違うものかな…」
ボソッと漏れたその言葉に怜は首を竦める仕草。とりあえず自分なりに落ち着ける場所をと思い、何故かそこにあった小ぶりのアームチェア腰掛ける。
「わたし今アームチェアが欲しかったりするの。これいくら位?」
「そんなに高くないやつだよ。その辺の家具屋で売ってる」
「そうなんだ。なんか、こう、『身を預ける』のが好きなのかも知れないなぁ」
「わたしの場合はそこに座って考え事をするんだ。ハンナちゃんの能力の事についても風呂上りにそこで考えてたよ」
それから怜は「コーヒーと紅茶どっちがいい?」と訊ねてきた。気分的にコーヒーの日だったけれど、その後出してくれたのがわたし達の地元の人なら誰でも知っている銘菓で思わずテンションが上がってしまっていた。
「これどうしたの?」
と訊ねて判明した事だけれど、実は怜は前日まで帰省したそう。そもそもゴールデンウィークの最初にランニングの予定があったのが急遽中止になったのもあって折角だからという事だったらしい。つまり銘菓はその時に買ってきたもの。
「ハンナが居るからなかなか帰省が難しくって…今年はちょっと帰りたい気持ちになってた」
「そうだよね。でもまあ、あんまり変わってなかったよ。ただやっぱり父親の方が『茜音さん』の事を頻りに話してた。そこは親戚だし、あれだけバズっていれば当然気になるよね」
「怜の実家は歴史もあるから色んな人がいそうなイメージ」
「まあそこは否定しない。ご先祖様に地元のお城で書道を教えていた人とかもいたりしたかな。後は意外と学者が多い」
「だから怜の達筆なんだね」
「いや…どうだろう」
しばらく地元トークで盛り上がったりもしたけれど、わたしの心の中にはたぶん『茜音さん』への関心が高まっていたのだろう、何気なく本棚の方を一瞥した際に一冊の背表紙のタイトルに目が吸いつけられた。
『マギカへの誘い』
あるアニメの知識で『マギカ』が英語で言う『Magic』、『Magical』つまり『魔法』とか『魔法の』を意味するという事は知っていた。その本棚に並んだタイトルとしては明らかに異質だったこともあってわたしの視線の先にある対象に怜も気付いたらしく、
「あ!茜音さんが書いた本、この前読んだんだよ。ちょっと待ってね」
と本棚から引き出してわたしに手渡してくれた。魔術を感じさせるような凝った装丁にまず目を奪われ、恐る恐る本を開いてみると…思いのほか読み易そうな文章に見えた。
「その本は入門書、というわけでもなさそう。なんとなく「魔法が何たるか」というよりも、エッセーに近い。ただ読み進めてゆくと魔法の歴史とか基本的な事は分かってくるよ」
「そうなんだ。この表紙の魔法陣?なのかな、こういうのも使われるのかな?」
「いや、どうも茜音さんの語っているのは『魔法の探求』のようなんだよ」
「探求?」
「うん。というか、香純それ持ってきなよ。わたしも読むには読んだんだけど何だか頭がくらくらするっていうか、茜音さんの『意図』については分からない事が多かったといえばそうなんだ。香純だったら違う事を感じるかも知れない」
「へぇ…じゃあ借りてこうかな」
後で調べた事だけれど、その書籍は茜音さんが一番最初に上梓したものらしい。怜はそれからわたしにこんな事を告げた。
「実は茜音さんとのやり取りをしていて、親戚のよしみでお互いに住んでいる場所を大まかに教え合ったんだよ」
「え、じゃあどこに住んでいるか分かってるの?」
「うん。ここからだと1時間もあれば」
「会ってみる?」
「どうだろう。わたしは最近はあまり乗り気ではないね。あまり魔法に魅力を感じていないと言えばそうかも」
「それは意外…」
「わたしの関心事は何を隠そう…」
怜はそこで謎の『溜め』を作ってからこう言った。
「ハンナちゃんだ」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その日は怜と食事に出掛け、昼過ぎには帰宅。帰ってきた時にはハンナは『おやすみモード』で、カーテンの下で気持ちよさそうに丸くなっていた。あの調子の怜に今後溺愛されるんじゃないかという事が想像されるくらい愛らしい寝顔ではあるけれど、こういう時には飼い主としてハンナの安眠を妨げてはならないと思う。わたしとしても借りてきた本が気になっていたので、静かに読書モードに入ろうとしかけた。けれど、案外そんな時に限って出来事は起こるもの。昼下がりの静かな部屋でスマホが短く振動する。何かの通知だと思って確認した時に、わたしは一瞬目を疑った。
『是非とも香純さんにお知らせしたくって。来月個展を開催する事になりました』
それは陸さん、「Asita」さんが個展を開くことになったという知らせ。突然の事で驚いてしまったけれど、何よりそれをわたしに知らせてくれた事の意味をその場で想像してしまう。
『それはよかったです!もしわたしに何か手伝えることがあれば』
とりあえずそう返信してみて、手伝うと言っても自分には分からない事だらけだという事に気付くのだった。




