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だいのうしんひしつ

「実は時間を見つけてちょくちょく図書館とか書店の本で『脳』について調べていたんだ」


怜はそんな風な説明から始めた。怜はわたしの中ではもともと『情報通』で、自分が興味を持ったことをとことん研究するタイプでもある。あんなに多忙な中でも密かに調べ物をしていたという事の方が流石としか言いようがない。



「それで、『脳』の働きの中で最近の脳科学では『脳波』に注目する研究が多いという事に気付いて、もしかしたらハンナちゃんの事も『脳波』が関係しているのかも、と「アタリ」をつけて調べてみた」



『脳波』といわれると頭部に何か配線を繋げて調べるイメージが勝手に出てきた。アルファー波とか、べーター波とか、話題になった事もあったような気がするけれど詳しくは知らない。怜はやや興奮するような視線を向けて先を続ける。



「最近の論文でコミュニケーションをしている人間通しの脳波を調べると脳波が『同期』する現象がみられるそうなんだ」



「『同期』?スマホとかのと同じような?」



「それは『同調』という風に捉えても良いかもね。とにかく波の位相…波が上がったり下がったりのタイミングが二人の人間で重なってくるんだって」



「へぇ…」



「最近はやりの『eスポーツ』とかでも協力プレイをしているプレイヤー同士の脳の状態が『同期』していると『ゾーン状態』とか『フロー状態』とかになって、凄いパフォーマンスを発揮するらしい」



「協力が上手く行っているときには、脳も同期してるってこと?」



「そう考えると良いと思う。肝心なのは『コミュニケーション』という事なんだね」



話しているうちに怜の興奮が伝わってきたのかわたしの脳も段々と活性化してきたような気も。それはそれとして身体はだるいので「ちょっと一旦そこで止めてもらえる?」とお願いする。「分かった」と告げた怜はハンナが隠れたカーテンの方に向かい、手前にしゃがみ込んでカーテン越しにハンナの頭を撫でている。わたしは深呼吸をして、頭に酸素を送り込む。大学で難しい講義を受けている時にも感じた事だけれど、こんな話がスラスラと理解できたら人生が全く違うんだろうなと思わなくもない。頃合いを見計らった怜が再び嬉しそうに話し出す。



「それでね、もう一つ香純に説明しなきゃならない事があって、それは『大脳新皮質』という単語なんだよ」



「『だいのうしんひしつ』?」



「そう。いわゆる人間の『理性』を司るような部分なんだけど、実はその脳の部分が猫にも小さいけれど存在するらしいんだ」



「存在するとどうなるの?」



「どうやら猫も人間みたいにはっきりではないにせよ『うっすら』と考えたりしているそうなんだ。人間で言うと小さな子供くらいは」



「それが無いと考えられないの?」



「というか、『本能』に忠実に動くみたいだよ。まあ完全にそうなのか、って言われると自信はないけど」



「待って、じゃあハンナはやっぱり考えてるんだね」



「多分、夢の中に出てくるハンナちゃんが考えている事は、あそこにいる本物のハンナちゃんと考えている事は同じ内容だと思うよ」



「そうなんだ」



それを聞いたわたしはなんとなくだけれど嬉しい気持ち。別にカワイイ猫が本能で生きてくれてもいいのだけれど、やっぱり何か考えたり感じてくれているなら猫と触れ合う事で感じることも本物なのだと思えてくる。



「ただ」



怜は意外にもそこで『気難しい』顔をした。「なにかあるの?」と訊ねると、



「それだけでハンナちゃんと夢の中でやり取りしているという現象は説明できないんだ」



「どうして?」



「実は睡眠や夢についての研究も調べたんだけど、人間は眠っている時でも『外界』の事を完全にシャットアウトしているわけではなくて脳波を調べると物音とか人間の話す声などに反応しているらしいんだ。勿論本人は気付いていないかもだけど。つまり無意識に」



「ふんふん」



「仮に『猫』と『人間』でも脳波の同調があるかも知れないとして、香純とハンナちゃんが同衾している時に無意識に同調が行われているとするなら、夢の中にもその同調が反映されているかも知れない。けど…」



「けど?」



「…意識について調べてみているうちに、意識というのはそう簡単なものではなさそうな予感もあるんだよ」



「?」



「例えば『臨死体験』という話があるでしょ?わたしはちょっと信じられないんだけど、天国に居る人を見たとかそういう系の話」



「あるね。わたしは経験した事ないから分からないけど」



「他にもちょっと怪しげな『量子脳』という話を調べてたら、意識は分かっているようで分かっていないという気分になってきた」



「そうなの?」



「そこでわたしは思ったんだ。もしかしたらもともと『ハンナちゃんのような猫が存在してもおかしくは無い』のかも知れないとね」



「え…?どうしてその結論になったの?」



「だって猫にしても人間にしても、『これまでの人類』と『これまでの猫』についての研究があるだけだからね。意識がそもそも完全に分かっていないんだったら、人類や猫がそんな能力をある日獲得したとしたらそれまでの『常識』が変わるだけさ」



「じゃあ、怜はハンナの能力をどう考えるの?」



「もしかしたら『進化』なのかも知れないね。人や猫が夢を見る仕組みとか、そのあたりを変えてしまうような。ただ、ハンナちゃんの大脳新皮質は一般的な猫のものだろうし、夢の中でハンナが話したりする事はカーテンの中で何を考えているのか分からない、あのハンナちゃんと同じものだとは思うんだ」



「夢の中でもハンナはハンナってことね。なんか分かったような気もするし、分からないような気も」



「わたしも『おかしくは無い』という結論に達したけど、『不思議』である事には変わりないよ。でも夢だけに『夢がある』話だよ」



自分で上手い事を言ったつもりなのかは分からないけれどニヤっと笑ってみせた怜。食べ終えていたお弁当の容器やジュースのパックを捨てにゆこうとよろよろ立ち上がったら、「わたしが捨ててくるよ」と言う。その後少しして「長居するのも悪いから」とあっさり怜は帰ってしまったけれど、彼女の話を聞いていて不思議と元気が出てきている自分に気付いた。




一度ベッドに腰掛けハンナの方を見つめる。テレビも付けていないので静かな部屋で、改めて思うのは「わたしはハンナの能力についてどう考えているか」について。怜が言った事をそのまま受け入れて、そういうものだと思うのがいいのだろうか。そこまで深く考えていないままハンナと一緒に暮らしてきて、夢の中でハンナがわたしに伝えてくれた『言葉』はとっても心強くて、目覚めている時に触れ合っていれば自然と伝わってくるものがあるのも本当なのだけれど、人間だからなのかやっぱり『言葉』にして伝えられると嬉しい。




その事に思い至ったわたしは今更ながら『言葉』にして伝えることの大事さを実感した。もともと口達者な方ではないし、文章も巧くはない。それでも、伝えなきゃいけないことはきっとあるんだと思える。




想いは確かに、胸の中で熱を帯びている。

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