電話の相手
普段、ニュースは朝と夕にチェックするくらいのわたし。なんとなく週明けは気持ちを切り替える為にも朝の情報番組をしっかり視聴する時間を取っていて、その日はジャムを塗ったトーストを齧りながらキャスターが読み上げたニュースを自分なりに解釈していた。良い事と悪い事が半分半分といったバランスが続いて、いつもどおりと思って居たところで海外の大きなニュースが報じられた。
『こちらがアカデミー賞の授与式の様子です』
レッドカーペットを歩く俳優さん達の華やかな場面が映し出された後に、受賞した俳優が『信じられない』といった様子でスピーチをしている映像が流れる。洋画にはそれほど詳しいわけではないけれど、受賞作品がその年に日本でもヒットした話題作でもあったので感心しながら見ていた。どうやら日本からの作品の中にノミネートされ惜しくも受賞を逃した作品があるらしく、どうやらアニメ作品だそう。
<今映画館で上映しているのってどんなのだろう?>
という素朴な疑問が浮かんできたので短時間ではあったけれど一通りチェックしてみた。俳優の豪華なサスペンス作品や、個性派が登場するハートフルな作品が話題作として紹介されている中、わたしの目を惹いたのが魔法少女アニメの劇場版。その触れ込みがなかなか凄くて、要約すると『世界を乗っ取ろうとしている魔王』が魔法使いの少女達の通う学園に突如校長として赴任してきた、というストーリー。大人になってから魔法少女ものは流石に見なくなっているけれど自然とアニメの場面が想像される。
『みんなで力を合わせて学園を取り戻そう!』
そんなPVの動画で少女達の掛け合いの中にとある『気配』を感じ取ったわたし。もしやと思って調べてみると魔法少女…ではなくて魔王と共に赴任してきた幹部が変装した女性の体育の先生の役が『河口エリスさん』だった。普段よりも圧倒的な低音ボイスでいかにも厳しそうな体育の先生役を演じている。『推し』として無視するわけにはゆかないけれど、一人で映画館に行く勇気はとても微妙。
<流石にきつい…>
小学生くらいの女の子だらけの空間で、同伴というわけではない成人女性が熱心にスクリーンを見つめている自分の姿はあまり想像したくはなかった。そういうことに抵抗が無い人もきっといるような時代に、ただただ『勇気』が無くて躊躇ってしまっている。「はぁ…」と溜息をつきそうになっているわたしの脳裏に突然奇妙な光景が射しこまれた。
そこは上映の始まった真っ暗な館内。スクリーンを熱心に見つめるのはわたし、そして隣に座っている眼鏡を掛けている男の人。
男の人の顔は…何を隠そう如月陸さん。あまりに都合のいい妄想のような想像に一人苦笑いしてしまう。ぼちぼち家を出る時間が近付いているので、いつものルーティーンでハンナの給水装置を一度分解して洗浄する。スポンジで洗ってるうちに、
<あれ…もしかして実はそんなに無理がない?>
と心の中の声が感じられた。先ほど浮かんだ光景は、今のわたしと陸さんの関係やお互いの趣味を考慮するとそんなに無理のないものに感じられている。「いやいや…」と言いつつも、もし陸さんにその提案をしてみたら彼はどう返事するだろうかを想像している。よりにもよって『魔法』と『河口エリス』さんという大義名分を得てしまっているからか、ハンナに「行ってきます」と声を掛けに行った頃にはかなり『その気』になってしまっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
午後2時を回った辺り先輩がカップのコーヒーを手渡してくれた際にこんな話をされた。
「さっき聞いた話なんだけど、○○君、実はネットで動画投稿しているんだって」
『筋トレ』をしている同僚のことだ。自分はしたことはないけれど動画投稿と言っても気軽に出来るからそれほど凄い事に感じなくなってきている。ただ、問題なのはその『内容』とのこと。
「顔出しはしてないらしいんだけど、『筋トレ』を継続する為に公園で懸垂している姿を撮ったり、なんか変な事しているみたい」
「え…?本当ですか?」
「なんか本人が『最近バズったんですよ!』って嬉しそうに報告してきて」
先輩の表情が何か苦いものを食した時のような微妙なものだったので気にはなるけれど、あまりその話に触れない事に決めた。女性の感覚としては理解しづらい趣味ではあるものの、ランニングを続けていると同じようにモチベーションの維持は工夫が必要と感じられるというか、一つの方法として誰かに見てもらうという事は悪い方法ではないと思う。月曜日にも少し残っている筋肉痛がしっかり走った証のように感じられていて、最近の傾向からもスタイルを維持する為にランニングが効果的なのは間違いない。微妙な乙女心が生じてしまう事情もあって、怜とのランニングは順調に継続していきそうだ。
そんな同僚の話とは別に、そろそろ先輩に陸さんの事を話してみたい気持ちになっていた。ただ仕事中にあまり長々と話をしているわけにもゆかないのでその時は控えた。陸さんのことは怜にもまだ伝えてはいない。ただ土曜日のランニング後リビングで話をしていた時になんとなく怜に、
「付き合っている人とかいたりするの?」
と訊いてしまってごくごく普通に「ううん」首を横に振った彼女から、
「そっちこそ、なんかあったりするの?」
と逆に訊かれたから正直返答に困った。「全くないわけではないけど」と伝えたら、「へーそうなんだ」という言葉が返ってきただけだった。あの女の交際関係はあっさりしているし、そもそも特に重大事項でもないという認識らしい。わたしの知らないところで色々あったりするのかも知れないけれど中学時代の延長の関係が続いていると怜は相変わらず前のイメージのままの怜で居てくれている。それも心地よさの理由なのだと思う。
そして帰宅時のこと。会社を出て、家に向かおうとしていたタイミングでスマホに着信の振動があったので一旦立ち止まって確認。その相手が『母』だったことが少し胸をドキリとさせた。慌てて画面をスライドすると、
「もしもし香純?今大丈夫?」
と少し大きめに母の声が響いた。
「うん。今会社でたところ。なに?」
「特に用事があるっていうわけじゃないんだけど、ちょっと香純に調べてもらいたい事があって」
「え…?」
「なんか最近、魔法研究をしているっていう『茜音さん』という人がいるらしいの」
その言葉にビックリして声が出ない間に母は続ける。
「でね、その人の事の出身が○○県だっていう噂なの。というか、今地元の○○高に息子が通っているっていう人のお母さんと知り合いなんだけど、その人から『茜音さん』がその高校の卒業生だっていう話も聞いたの」
「お母さん、あの」
わたしが必死に説明しようとしているのに母はまだ続けて、
「その茜音さんの苗字が『星』さんなんだって。もしかして怜ちゃんにお姉さんとかいたっけ?」
とあらかた述べてしまったのでわたしはちょっとゲンナリしながら、
「お母さん。わたし今その人とやり取りしてるよ」
と告げた。電話口で「えーーー!!」という悲鳴に近いような声が聞こえたけれどこういうところも含めて、
<さすが親子だなぁ…>
とわたしは感じるのであった。




