ラジヲと豆腐ハンバーグ
さわやかな風が吹き抜ける。それまで心の中にすこしだけ感じていた心残りのようなものが行き場を見つけ出したかのように、何かが道の前に示され始めている。今ではすっかり馴染んだ不格好にも見える道端のオブジェに愛らしさを感じているそんな時がやってきたことが、どこか不思議な出来事なのだろうか。カラッと晴れた空は自分がまだ知らない場所に連れて行ってくれそうで、職場の近くで資料を探しに行くだけの用なのになんだか素敵な事が待っているような気がしてしまう。
『今、自分が描きたいと思っているのは人が景色に溶け込んだような場面なんです』
古民家カフェで陸さんが目を輝かせながら話してくれた言葉が蘇る。彼がいつか出版できたらと考えている画集は風景だけではなくそこに存在する人の心まで伝わってくるような作品を集めたもの。文章とは違って、一瞬の表情や仕草だけで感じている何かを伝えるのはとても難しいと思う。それでも陸さんが説明してくれるような『場面』はたしかに日常の中でもふとした瞬間に訪れている。現実には日々のあれこれに思い悩んで、迷って、この世界やそこにある何かを感じ難くなる。自宅のネットで完結してしまえるような時代だから、素敵だと思う風景が誰かが写真で鮮やかに加工したものという話も珍しくはないのかも知れない。
感じ続けようとする事は一層求められているような気がする。そして自分が求めていることは本当のところは大掛かりな事ではないと思う。きっとそれは自分の近くにあって、ふとした瞬間に気付かされるもの。
<どんな絵になるんだろう>
ぼんやりとした想像ではあるけれど、陸さんが描いてゆく情景ならわたしも思い浮かべることができると気付く。彼はいつもどんな風に、どんな表情でそれを描いているのだろう。考えているうちに『自分も頑張らなきゃ』という気分になってゆく。金曜日ではあるけれど、有休の分の余力はあって翌日のランニングにも気合が入る。
<わたし次第なんだ>
それを強く感じていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
仕事を終え、退勤後普段よりも少しだけ早足でアパートに戻る。急いではいたものの、ちょっとした都合を考えて途中お弁当屋さん立ち寄っていたりはした。18時丁度に始まるラジオ番組にはしっかり間に合って、ハンナに飲み物(水)と食べ物をしっかり用意しながら、電子レンジで買ってきた『豆腐ハンバーグ弁当』を温め、万全の態勢で番組が始まるのを待ち受けた。
『ラジオ○○』
電源を入れたコンポから流れる番組名のコール。夕方の雰囲気に合わせてトーンやBGMは控えめに始まり、猫好きで有名だというパーソナリティーの女性が冒頭のトークの後早々に『本日お待ちかねのゲストですが、、、』と茜音さんのものと思われるプロフィールを紹介する。
『先日テレビに出演にもなさって各所で話題になっております『茜音さん』をお招きしています』
パーソナリティーのその言葉も微かに上ずっているような部分があって、彼女自身もワクワクしていたのだと伝わる。満を持して茜音さんが『こんばんわ』とどこか艶のある美声を響かせた。
<茜音さん声優さんみたいに発音が綺麗なんだ…>
それに気付いてから、わたしはみるみる不思議な雰囲気に引き込まれ始めた。
『茜音さんは日々『魔法』を研究しているということですが、所作もそうなんですけどほんとうに美しくて、茜音さんなら魔法が使えてもおかしくないと思えてしまいます』
パーソナリティーの表現は確かにその通りで、上品な感じとミステリアスな雰囲気はそれだけで現実離れしているようにも感じられる。茜音さんは謙遜するように、
『いえ、わたしも魔法が使えたらどんなに素晴らしいだろうと思っているのですが、本当にそんな憧れから研究をしているだけなんです』
と述べる。意外だったのが、茜音さんは『魔法が使える』とは明言していない事。確かに後でSNSの過去の投稿をチェックし直しても、その立場については一貫していた。
『魔法とは一体どんなものなのか、わたしも興味があります』
おそらくは番組の台本があるのだろう、パーソナリティーの女性の言葉を受けるようにして茜音さんが研究した『魔法』についての解説が始まる。テレビでは編集でそこまで強調されてこなかった内容で、西洋で古代からある神話などで語られる魔法についてのあらましと、時代が経るにつれて魔女との関りで語られるようになった『魔術』、何らかの形で現代にも存続していると解釈できる『伝統』、というストーリーで比較的リスナーにも分かり易い言葉で伝えてくれている。特に茜音さんは『魔女』という存在を強調する。
『ギリシャ神話のキルケ-も『魔女』ですが、日本の女児用のアニメでも『魔女』は広く受け入れられる存在性を有しています。男の子が『メカ』に惹かれるような心理がそこにはあるんでしょうね』
『わたしも魔法少女には憧れました。でも考えてみると今でも憧れはありますね』
『歴史的には『魔女狩り』の対象にもなった魔女という存在ですが、科学とテクノロジーが支配する現代でむしろその存在を見直してみた時に何か違う『道』が見えてくるのではないかとわたしは感じています』
『道ですか?』
『個人的に魔法を自分の欲望のままに利用する『黒魔術』ではなく、何かに役立てる『白魔術』という括りで考えたいのですが、わたしは人間の中には本当はもっと不思議な部分が一杯隠れているものだと感じています。不思議な事が起こった時、たぶん多くの人は何かの間違いだろうと忘れてしまうことが多いでしょうし、それはそれで正しい事なのだと思います』
『確かにそうですね。何か理由があると思いますものね』
『でも最初から『不思議なものがある』と思って生きてみるという事が現代ではあまりにも少なくなりすぎているように感じます。この世の中には最初から不思議なものがある、含まれている、と考えて日々を過ごしているとある時、そういうものたちが繋がってゆく、それはほとんど魔法があると思えるような見え方なんです』
茜音さんがこの言葉を喋るのを聞いたとき、わたしはすぐ『ハンナ』の方を振り向いた。ハンナはもう食事を終えて青いカーテンの中に隠れて『何でもない』ような様子。不思議な能力があるハンナは、あんな風に何でもない様子で過ごしている。言い方を変えると、何でもない事のように不思議がある日常。茜音さんはハンナの秘密については何も知らない、少なくとも怜からは何も聞かされていない筈で、それでも既に『不思議なものがある』と思って生きている。そして、本当に不思議な事に彼女はわたしが知っている本当の不思議に接近しつつある。それから茜音さんは彼女独特の表現で、日常の些細な場面で感じた事を『魔法』の力だとして物語ってゆく。わたしが一番感動したのは彼女が今日スタジオまで歩いていた時に偶然見かけたという少年の話だった。
『その子は偶然何かを見つけたんでしょうね、必死でその何かを隣にいるお母さんに説明しようとしているんです。『本当なんだよ』って言って少し残念そうにしている姿を見て、わたしが彼が見ていた何かを純粋に見たいなと感じました。もしかしたら、本当に魔法のような事だったのかも知れませんよね』
素直にとても素敵な表現だと思った。そんな風に感じながら世界を見て行けたらきっと沢山色んな事がある、わたしはそう直感する。
『その人にしか分からない、その『何か』』
言葉にはならない。ならないけれど存在している。分からないけれど、多分そうなんだって思う。そういう全ては考えてみれば本当に不思議な事で、仮に『魔法』がその何かに近付く科学とは別の方法なのだとしたら、わたしは魔法を好ましく思うのも自然な事だったのかも知れない。ところで番組はその後、パーソナリティーが猫好きという事も関係していたのか、茜音さんが飼っている黒猫『ジーニー』の話に移行していった。茜音さんの家で、茜音さんが付けっぱなしにしてきたラジオを聴いていると思われる『ジーニー』の姿がありありと目に浮かんだ。その話が始まった頃には買ってきたお弁当は『魔法のように』すっかり消え去ってしまっていて、わたしは満腹感と同時に二人の言葉の魔力で目がトロンとし始めていた。




