漂っていたい
展示物をじっくり鑑賞した結果、思いのほか時間は経過していてもうすぐ昼になろうかという時刻。美術館の後の予定は特に立てていなかったのだけれど、自然な流れでその近くで昼食にしましょうということになり二人でスマホのアプリを使ってよさそうな場所を探す。口コミや評価から、少し歩いた所にはなるけれどテレビで紹介された事のあるというカフェ店が目に留まった。そこはこの辺りでは珍しい古民家を利用したカフェらしく、比較的ゆったり過ごせそうなのでこの日にはピッタリだった。美術館を出て方角を確認して歩き出したとき、
<こういう場所を走ってみるのもよさそう>
と感じるくらいには広々とした空間が続いていて、陸さんと並んで歩いてみると不思議な趣があった。
「車もそれほど通らないからなんですかね、静かでいい場所ですね」
「ほんとうにそうですね。街中からは少し外れにあるような場所って、実は結構好きなんです」
わたしがそういう場所が好きな理由はおそらく出身の地と雰囲気が似ている部分があるからなのだと思う。賑やかな場所は好きな方だけれど、ときどき静かな場所にも行きたくなる。それは陸さんも同じだったらしくて、
「僕も街歩きとか好きで、なるべくならみんなが知らないような場所に行きたくなるから自然と外れの方になったりしますね」
と教えてもらった。美術館では作品に集中していたのもあって忘れかけていたけれど、そこで陸さんに話したかった事を思い出した。
「そういえば、陸さん。わたし『WHITE LIE』っていうノベルゲーム、プレイしました。」
「え…!?」
わたしの言葉に驚いた様子の陸さんを見て、小さくガッツポーズをしたい気持ちだった。
「そうだったんですか。まあ確かに検索すればヒットしますしね、いやぁでも嬉しいです」
「とてもいい作品でした。CGももちろん綺麗だったんですけど、なんていうか音楽も雰囲気が素敵で。声優さんの演技も素晴らしかったです」
「ありがとうございます。前に同人のゲームでも手伝わせてもらったことがありましたけど、コンシューマーのゲームの依頼を受けた時はワクワクしましたね。大変でしたけど」
「陸さんから色んな話をお伺いしたい気持ちがあるんですけど、わたし的にプレイした感想を伝えたいなと思いまして」
「分かりました。じっくり話し合いましょう!」
二人の間で俄かにテンションが上がったように感じられる。カフェに到着するまではとりあえず主人公である『笠置君』の話をしてみたところ、わたしが思うのとは少し違う笠置君像を伝えてもらった。
「彼はまず『小説家志望』なのですが、やっぱり一歩引いて世界を見ているタイプなんですよね。あんまり詳しくは言わない方がいいと思うんですけどいわゆる製作陣だけが知っている『裏設定』で、語られなかった『一周目の世界』では小説家として十分に評価されないままの人生を歩んだことになっています」
「え…!!本当ですか!びっくり」
「僕もそういう設定を聞かされた時には『うわっ』って声が出てしまいました。僕が好きなシーンは彼が『一周目の世界』という話を知る直前に同人誌用の短編を書き上げた場面ですね。彼にとってよくわからない不思議な事が積み重なってゆく中で彼なりの表現を見つけ出した時にすごく良い作品を書くことができたんですよ。僕自身も後から思えば物事の変わり目で評価される作品を描くことができて、どこか不安というか自分でもなんと説明したらいいのか分からないような感情になるときに、何か素晴らしいものに出会えたりというのがよくありました」
彼のその言葉はこの世界のなにかをわたしに伝えてくれるようにも感じられた。
『もしかして、あの河津桜を見た時にもそうだったんですか?』
そう訊ねてみたい気持ちになった。ただ直接それを訊かない方がその時の雰囲気には合っているような気がしていた。代わりに、
「わたしはやっぱり箕輪さんに告白されるシーンが好きですね。本当に想いを告げるということは尊くて…」
と言葉を続けていた。そう言った後のわたしの表情をじっくりと見ているような陸さんの視線を感じる。見つめられるとちょっと恥ずかしい気持ちはあるけれど嫌ではなくて、こうして時間を過ごしている間に何かを分かり合えていると思うと胸は沸き立つ。そして写真通りの映える古民家が見え、目的地に到着したのだと気付いた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ただいま~」
陸さんと思う存分会話を楽しんでから、ちょっとだけ気になったお店を除いてみたりしているうちに夕方の少し前の帰宅になった。陸さんと分れた後、空がだんだんと晴れてきたのを確認できて、次の日の事はそこまで考えたくはないけれど少なくとも天気は良くなりそうだと感じる。リビングの方から寝起きなのかハンナがトコトコと歩いてきて、わたしの前で「にゃー」と一鳴きした。仕事のある日よりは早い帰宅なので、ハンナもいつもと少し違う状況に何かを感じているらしい。
「ハンナ、陸さんが『今度ハンナちゃんに会いたい』って言ってたよ」
カフェで陸さんがなんとなく言った言葉だったけれど、今のわたし達にとってはその言葉が意味するところは意外と大きい。ハンナを連れ出すわけにはゆかないという事情があるということは、自然とそれは陸さんがこの家に来るという事になる。異性を自宅に呼ぶことについては過去に付き合っていた事もあるし、そこまで抵抗があるというわけではないけれどその言葉が陸さんなりの『アプローチ』だとするなら行き着くところは決まっていそうな気がする。なによりわたしの中に断る理由が見つからないという事が心情を一番はっきり説明している。
「でも、もう少しこの感じを漂っていたい気もする…」
ハンナの頭を撫でながら、一人ちょっと変な事を呟いてしまった。確かにお互いに気を遣い過ぎることなく、ゆったりと近付いていける関係はとても心地よい。『街を案内するため』、『仕事の為のインプット』、『ハンナに会う為』、色々理由は付けているけれど、何の理由もなく会いたいから会うという事になればもうそれは単なる知り合いの関係ではない。少し時間は早いものの冷蔵庫の前に来たので上段を開いて、おやつの『正規品』を与える。ハンナの動きが一瞬で機敏になって一気に袋から出てきた液状のものを嘗めとる。
『WHITE LIE』の話をしたからなのかも知れないけれどプレイしていた時の印象が再び蘇っていたり、美術館の展示の内容も目に焼き付いているし、短い言葉では説明のできない充実感とわずかな疲労感のようなものが意識されている。冷蔵庫から取り出したスポドリをテーブルに置いて、少しだけSNSチェックをする。平日なのでフォロワーさんの投稿もそれほど多くはないけれど、たまたま上の方に「akane_stella」さん、つまり『茜音さん』が一時間前に投稿した写真が表示されていた。黒猫『ジーニー』がアンティークもののラジオの隣で香箱座りをしている写真にこんな文章が書かれてある。
『先日出演したテレビ出演の反響を皆さまからいただいております。そして今週の金曜日に『ラジオ○○』に18:00から出演させていただくことになりました』
テレビに続いてラジオの出演が決まったというその知らせに少なからず驚きを与えられた。今のメディアは情報が早く、何かが話題になれば瞬時に展開してゆく。ラジオでどんな話をするのかはまだ分からないけれど、仮に『魔法』についての話をしてくれるならわたしも聞いてみたい。せっかくできた繋がりでもあるので思い切ってDMをしてみた。
『金曜日の放送楽しみです。『魔法』の話をされるんですか?』
既にやり取りがある関係だからなのかここでも間が空かずに返事が返ってくる。
『ありがとうございます。そうですね、今回は収録ではなくて生の放送になるのでわたしもどういう話ができるかは分からないのですが、研究のことについて尋ねられると思います』
そしてここで少し気になっていた事も訊ねてみる。
『分かりました、当日しっかり聴いてみます。ところでわたしの友人、星怜から何か変な事聞かれてないですか?親戚関係とはいっても、友人としてもちょっと暴走気味の時があるのを知っていますので気になっていて…』
この微妙なメッセージには少しだけ間があってこんな返事。
『いえ、とても優秀な方だと思います。今日も彼女からメールが届いたのですが、どうやら気になっているのは『夢』と『意識』の関係についてらしくて、『魔術』ではその辺りの事をどのように扱っているのか質問されました』
『夢』と『意識』という話は前にも怜が説明してくれた仮説に出てきていたようなワードだ。続けて、
『魔術のテーマとしても、『夢』や『意識』は十分考察に値します。古の魔術は今でいう所の『精神分析』のようなアイディアが含まれていて、独自の方法で深層にアクセスして力を発揮させるという流儀もあるかと思われます。実際に不思議な現象が生じるかどうかについては、『意識』の力は特に大きいと感じますね』
という説明。少し話を聞いただけでも眩暈がしそうだと感じてとりあえずわたしからはその内容について訊ねるのは控えておこうと感じた。
『わたしは発想が貧困なので素朴な事しか浮かばないんですが、魔法が存在してくれたら嬉しいと感じています』
そこで茜音さんが送ってくれたのは笑顔の絵文字。個人的には彼女のそういう親しみのある部分に惹かれ始めている。




