少しだけ非日常
工事現場を横切る。不意にヘルメットを被ったおじさんが一生懸命何かを伝えられた。工事の音のせいか聞き取り難かったけれど、
「帰りなさい!」
と言っていたらしい。<え…?なんで?>と思いながらも周辺の道路を見てみたら人間がすっぽりはまってしまいそうな穴でボコボコになっているのが分かった。
「なにこれ?何が起こったの?」
パニックになりかけて慌てて近くにあった建物の中に退避したら、一転してそこは優雅な『猫カフェ』。部屋の中の大きなソファーやアームチェアの至る所に猫達がくつろいでいて、その中には異様に見覚えのある黒い長毛が…。何を隠そう『ハンナ』だった。
『え…?ハンナなんでこんなところに居るの?』
「お姉ちゃん、『この子たち』なんか『変』だね」
『河口エリス』ボイスで喋りかけてきた時点でわたしは事情を察し、アームチェアに収まっているハンナに寄り添うように身体を撫でる。ハンナの言う『この子たち』はどうやら他の猫達のことらしく、
『なんで変だと思うの?』
と訊ねてみると、
「みんなアタシに興味ないみたいなの。あと顔が変」
と答えた。わたしの夢の中に出てきた猫だけれど、なんとなく不安定な顔をしている。なのでひと際ハンナのリアリティーが際立つのだけれど、ハンナはその後こんな事を言った。
「お姉ちゃん。アタシいま迷ってるの」
『どうしたの?』
「身体をどういう風に置いたら一番気持ちいいのか分からないの」
するといかにも『収まりが悪い』といった心情が感じられるように身体をくねらせ、アームチェアから転げ落ちそうになっていた。
『こうするのがいいんじゃない?』
わたしはそう言いつつハンナを一度抱きかかえ、自分がアームチェアに腰掛けた膝の上にハンナを丸まらせるように置いた。
「きもちいい…」
最近になってハンナにこの姿勢を取らせることが増えたのだけれど、それをハンナも喜んでいた事が分かった。そして夢の中とは言え、ゆったりしたアームチェアの座り心地自体も悪くないという事が印象に残った。
こんな夢を見て目覚めたその日は『水曜日』だった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
快晴とはならずうっすらと曇り気味の空の下、待ち合わせのバス停に着いてから5分が経過しようとしている。前回の待ち合わせと同様、はやる気持ちのせいで早め早めに移動してしまうけれど、今しがた陸さんから、
『僕ももうすぐ着きます』
と連絡が入ってやっぱり陸さんも約束の時間よりも早く到着する模様。明らかにソワソワした様子だったけれどバスを待つ人がほかに居ないのが幸いだった。平日のその時間にバスに乗って出掛けることなんてほとんど無いのでちょっと不安になってきそうなのが自分でおかしかった。手鏡で髪の乱れを整え始めたタイミングで、離れた所から、
「香純さん」
と呼び掛ける声がして振り返ると、河津桜の前で初めて出会った時と同じ白の服装の陸さんが歩いてくるのが見えた。服の印象のせいもあって細身にも見える姿だけれど背は高い方なのでしっかりした雰囲気も感じる。
「凄く素敵な洋服ですね。香純さんに合う色だと思います」
もともと気に入ってもらうつもりで選んだ服だったけれど初手から褒められてしまった。
「ありがとうございます!陸さんも素敵ですね」
まずは一安心という感じで一度時間を確認する。バスの到着まではまだ時間があるので、この日の為に日曜日に服を選んできた事などを伝えると、そのままお互いの近況報告のような展開になった。
「先週はずっと作業でした。僕も将来、画集を出したいなと思っているのでその絵を描いたり、ネットで依頼された絵を描いたり」
「今は大丈夫なんですか?」
「この仕事だと『インプット』も『仕事』のうちですからね。今回の展示は特に注目してますし」
その『仕事』という言葉のニュアンスが少しだけ気になってしまってわたしはこんな事を訊ねてしまった。
「今回の、これは…『仕事』なんでしょうか?」
「あ…えっと、そういうつもりではないんですけど、じゃあ何なのかって言ったら『お出掛け』なんだと思います」
「『お出掛け』ですか」
「いまのところは…」
少し困った様子のその言葉を聞けたとき、それ以上は気まずい雰囲気になるかも知れないなと思って一旦話題を変えて、パッと浮かんだ今朝の夢の話を陸さんにしてみた。
「そういえば今朝、工事現場の周辺に穴が一杯空いている変な夢を見たんです。その後猫カフェに入って、そこで『ハンナ』に話しかけられて…」
咄嗟のことだった為、わたしはハンナが夢の中で喋れるという事を普通に陸さんにしてしまっている事に気付かなかった。「夢の中のハンナが河口エリスさんの声で…」と言いかけた時に、自分が何を喋ってしまったのかに気付き、焦り始めた。
「へぇ、ハンナちゃんが喋る夢を見たんですか!なんかそういうの羨ましいですね!」
と思ったけれど陸さんのこの反応を見て、考えてもみれば現実のハンナと夢の内容がリンクしているという事を伝えなければ全然普通にあり得る夢の話なのだという事に気付いた。
「そ、そうなんです。結構そういう夢見るんですよ」
「僕は最近夢らしい夢見てないかも知れないですね。絵を描いている夢を見たりはしましたけど」
その後も会話の流れは普通でわたしはほっと胸を撫でおろした。そうこうしているうちにバスが到着。二人で乗車して前目の方の席にそれぞれ着席した。つまり前方に陸さんの後頭部が見える格好。彼を後ろから見た事がほとんどないので、ちょっとだけ見惚れるような気持ち。バスでの移動はそれほど長くなく、7、8分もすると目的の停留所に到着。『○○美術館前』という表示なので迷う事もなく、ほとんど目の前が美術館。そのバス停で他に何人かの人も降車してそのまま美術館に向かって歩き出したのを見て、やっぱり平日でも見に来る人がいるのだと実感。
明らかに周辺の様子からすると大きな規模の建物で、敷地内に植えられた大きな木が『モミジ』だということに陸さんの言葉で気付いた。以前にも来たことがあるのにあまり建物自体には注目してなかったなと感じたり。ここには少しだけ『非日常』が広がっているような雰囲気を感じる。
「すごくいい雰囲気ですね。気に入りました」
「そう言ってもらえてうれしいです」
時間にはゆとりがあるからじっくり鑑賞できる。何より陸さんと一緒に過ごせる時間が長ければそれも嬉しい。




