情報の洪水
ランニングにイベントにと忙しかった(?)一日の反動で日曜日は二度寝をするくらい疲れ切っていて、夢の中ではなく現実のハンナに『起きて!』という圧を掛けられて渋々起き上がった。実家の茶トラもそうだけれど、ある程度知恵がついてくると起こし方がどんどん『嫌がらせ』のような行動になってゆくのかハンナはわたしの顔の近くで「キャ、キャ」という短めの鳴き声を繰り返したり、長い尻尾で鼻をくすぐってきたりして、そうなるともう心地よい夢の中には居られなくなる。
「夢の中で起こしてくれたらいいのに…」
昨日会ったばかりのエリスさんと同じ声で『起きて』とでも言われたらこんな時でもきっと気持ちよく起きれる。いかにも無邪気そうな瞳をのぞき込むと、
にゃぁ!
と待ちきれないと言った鳴き方をした。そのままキッチンの方へ駆け出した様子は元気そのもの。小さい身体だからなのかエネルギッシュに感じる。そんなバタバタはあったものの、その日は一週間の食材を買いに外出したくらいで一見すると『穏やかな休日』。ただ、情報が溢れている世界では水面下でも物事が着々と進行しているように、ネットでのやり取りは活況を呈していた。
先ずはSNSにエリスさんのイベントに出向いた旨をサイン本の写真と共に投稿した結果、そこそこの数のリプライを貰ってその中には同じ場所に立ち会っていた人が偶然にも居たらしく、
『こんな偶然ってあるんですね、わたしもあの場に居ました!生エリスさん可愛かったですね!』
と興奮が伝わるメッセージを頂いて、同じ『推し』をもつその人になんと返信したものか一生懸命考えた結果、
『本当ですか!?エリスさんに「応援しています!」って言えました。本も読み始めたんですが、』
で始まる相当の長文を送ってしまった。もともと同性のファンが多い声優さんで、少年役、クール役もこなす万能さも評価されているけれど、昨日聴いた地声はどちらかというとハンナの声、某アニメの少女の声に近いと感じた。SNSの繋がりがリアルの出来事と繋がった時の高揚感は独特で、急にやり取りしている人の存在感が増したかのように感じられる。わたしがそう感じるという事は、相手もきっとそんな風に感じてくれていると思うのだ。
そのやり取りを終えて、別のSNSの「Asita」さん、つまりは陸さんのアカウントの様子も確認しに行ってみたところ、数時間前に新作のイラストを投稿したばかりという事が判明した。今回の作品もわたしが語彙力を失う素敵さ&素晴らしさで、海が近い線路のホームを白猫と歩いている高校生くらいの少女の絵は幻想的でありながら日常的な世界観で、もしかしたら近くにこんな光景があるのかも知れないと思わせてくれる。投稿したばかりで反響はまだ多くはないけれど恐らく高評価が期待できる作品だ。アカウントを作っていないので「いいね」が押せないのが流石にもどかしくなって、
<別に呟かなくてもいいんだもんね…>
と自分に言い聞かせて思い切ってそのサービスのアカウントを急遽作成。名前も「hanna_kasumi」にしてしまって完全に見る専のアカウントにしてしまおうと考えた。そして「Asita」さんの過去作に一通り「いいね」していって一人満足。「いいね」をした場合に相手方に通知が行くシステムにはなっているけれど、通知を切っている場合もあるしたぶん気付かれないだろう。なので、今回もわたしは個人的に『陸さん』に直接メッセージを送ってみようと考えた。ここでも頭を悩ませたけれど、
『新作素敵でした!この場所は実際にある場所なんですか?』
と結局無難な質問に。作品を仕上げた後だからなのか返事はすぐに返って来て、
『ありがとうございます!これは実際にある場所の写真を参考にしてイメージを膨らませてみました』
と教えてもらった。
『そうだったんですね。なんだかあの場面から物語が始まりそうです。』
わたしにしては気の利いた事が言えたような気がしたけれど実際に、
『そう言ってもらえると嬉しいです。一枚絵から想像が膨らんで行くように描いている意識があります』
と絵との向き合い方を知れてジーンとする気持ち。絵は自分では全く描けないけれど、だからと言って絵の鑑賞ができないというわけではないのかも知れない。もしかしたら描けないからこそ『憧れる気持ち』、『評価する気持ち』は人一倍大きいのかも。
ふと壁時計の方の見た流れで、カレンダー位しか掛けていないリビングの壁の様子に目が行く。もしここに何かの絵を飾ったりしたら、なにか日常が彩られたりはしないだろうか?もし飾るとしたらどんな絵がいい?自然と想像が広がってゆく。
クシュン
その時ハンナはカーテンに包まったままくしゃみをした。たとえばあの絵の白猫のようにハンナと外を並んで歩いたとしたらどんな風に見えるのだろうか。家の中で飼っていると、犬のように散歩ができたらと思う事があるけれど絵はそんな場面を実現してくれる。
『先週陸さんに誘っていただきましたけれど、今度わたしからもお誘いしていいですか?』
心の中で燻っていた想いは段々と大胆になってゆく。
『もちろんです!どこか行きたいところありますか?』
陸さんとわたしの関係はいまのところどういうものなのかまだはっきりしない。そんな中でなるべく自然な場所を考えた時、一つ浮かぶところがあった。
『○○美術館に行きませんか?陸さんこっちに来たばかりなのでまだ行った事がないと思って』
近くで一番有名な美術館の名前を出してみた。絵画の展示がメインでここに来たばかりの時にとりあえず行ってみた事があった。
『あ、そこ僕も行きたいと思ってたんです。いいですね』
胸を撫でおろし日にちを決めようと思っていたところで再びメッセージ。
『今調べてみたら、今月の中旬から企画展示があるみたいですね!』
メッセージにWEBのリンクが添えてあったのでタップしてみると、その展示は世界的に有名な『犬』のキャラクターが登場する漫画の展示を知らせるページだった。
『え!?わたしもこのキャラクター好きなんです。でもこれだと週末は凄く混むかも知れませんね』
『確かにそうですね。平日とかなら空いてるかも』
そこで『有休』という発想が出てきてしまうくらいには是非とも行ってみたい展示だった。展示の期間は比較的長いのでスケジュールの調整をしてみることがお互いに一致する意見になった。個人的にはそのやり取りでも十分だったのに『情報の洪水』がわたしを襲う。午後、買い物から帰宅してから、長距離の移動で疲労の溜まったふくらはぎを丁寧にもみほぐしていた時、突然スマホに着信があった。誰からだろうと思ったら怜からで、最近はメッセージでやり取りしていたから何かあったのかと思って慌てて通話ボタンを押した。
『あ、今大丈夫?』
『なんかあったの?電話してくるから』
『いや、ちょっと手を使って作業してるから電話で教えようと思って』
『あ…そうなの』
理由を聞いて焦る必要はないらしいと分かったけれど、そこまでしてどうしても今伝えたかったことは何なのか。怜はさらっとこんな風に告げた。
『実は、昨日香純が話してた『茜音さん』、魔法研究しているって人、わたしの親戚でした』
『え?どういうこと?』
唐突に告げられてわたしはその言葉を疑ってしまった。怜は笑いながら、
『はは。そのままの意味だよ。『茜音さん』の本名は『星茜音』で、分家筋だけどわたしの親戚である事には変わりない』
『星…さん…』
まさか「akane_stella」の「stella」が『星』から来ている言葉だとは誰が想像できるだろう。




