国営放送
その日は朝から何となく不思議な心境だった。別段なにかが違うというわけではないけれど起床した時にハンナが機嫌よさそうに喉をゴロゴロと鳴らしていたり、前日から続いている曇りがちの空から昼『天使の梯子』と呼ばれる光が地上に降り注いでいる光景を見たりはあった。週末に焦がれる木曜日だけれどあともう一息で一段落に至る作業があったので、コーヒーを何杯かお代わりしながら集中して片付けてしまったことで気分も大分楽になった。「ふぅ」と息を着いた時に『筋トレオタク』の同僚が「お疲れさん」と声を掛けてくれたことが妙に嬉しく、何気ないことでも重なってゆくと『良い巡り』になってゆくものだなと実感する。すっかり上機嫌になってしまって、帰宅時に自分へのご褒美にとショートケーキを買って帰る。
夕食後ハンナにこの間怜からカンパしてもらった『正規品』を与えてから自分用のケーキを取り出し、一口目を頬張ってから何となくテレビを付けてみる。その画面に登場した女性は見慣れない人だった。民報ではないチャンネルをその時間に見ることは少ないけれどたまたま『教育』のチャンネルに合わせていたので、バラエティーに登場すタイプの人ではない雰囲気の人が出ていたのだ。
『茜音さん』
テロップにはそう表示されている。他には右隅に『魔法研究が趣味』という肩書のようなものが表示されていて、その年齢不詳な感じと明らかに研究者タイプではないミステリアスな美貌のせいでその日のネットでもそこそこ話題になったのだけれど、番組を最初から視聴していなかったわたしは一体どういう要旨なのかが分からないまま『茜音さん』の話を聞き続けていた。
『茜音さんの話だと、【魔法は存在する】という事なんですか?』
と司会の女性のアナウンサーが彼女に問い掛ける。対して『茜音さん』は、
『そうですね。わたしは【存在する】と思っています。ただし…』
と自説を展開してゆく。
『それを観測できる人とできない人、あるいは観測できる巡りにある人とどうあってもそういう巡りにならない人が存在するのだと考えています』
そもそも『魔法』と呼ばれるものについて無知と言っていいわたしは一口目のケーキ以降、フォークを持つ手が止まってしまうほどに驚いてしまっていた。
<え?なにこれ?>
そんな動揺はアナウンサーも同じく感じていたらしく『冗談でしょ?』と言わんばかりの笑顔で、
『本当なんですかぁ?』
と疑いを差しはさむ。大真面目に語っていた『茜音さん』もそこで相好を崩し、
『わたしが説明するとみんなそう言います。確かに信じられない人が多いでしょうね』
と発言。その辺りでスタジオにスタッフの笑い声が響き、わたしも安心する。番組の構成の関係で、その後に『茜音さん』のごくごく普通の自宅の映像が公開され、書物と向き合う事が基本の『研究方法』などが紹介されてゆく。印象的だったのは彼女も黒猫を飼っていて、魔女と黒猫の由緒正しき関係などをVTR上で語り始めたことだ。
<ハンナも黒猫…だけど長毛なんだよねぇ>
『茜音さん』が外国の古い書物の一文を指さして、
『ここに書いてあるのは【万物に宿りし力を解放する】という思想ですね。たとえば原子力の考えにも通じるんじゃないでしょうか』
と少し怪しげに聞こえる解説をしてゆく。そんな茜音さんが今研究しているのは、
『魔法による精神感応、いわゆるテレパシー』
だそうだ。テレパシー自体は超能力の文脈で語られることが多いけれど、魔法というクッションを一つ挟むことによってテレパシーも実現可能にする方法が存在すると考えられる、とナレーションは説明する。ただし番組ではところどころに「?」マークの表示させていて、本気で信じているという事ではなさそう。多様性とか、様々な意見などを広く扱うということがその番組の趣旨らしいので、各々が自由に解釈してよいというスタンスなのだろう。
買ってきたケーキの味を今一度確かめるように味わう。なんとなくハンナが隠れているカーテンの方を見遣ると下半身しか見えないのに何となく上機嫌そう。考えてみるとハンナとの夢の中でのやり取りはテレパシーの一種なのかも知れない。茜音さんという人の意見を信じれるかというと、ハンナの事があってもそれとこれとは別の話に感じてしまう自分がちょっと可笑しかった。魔法が使える使えないの前の段階で、わたしはあまりにも凡人というか『普通』過ぎるのだと思う。
<魔法は存在しないということさえ自信を持って主張できない>
またしてもそんな部分が出てきてしまう。少しネガティブに考えてしまいそうになったタイミングでアナウンサーが、
『魔法を観測できる人というのは具体的にどういう人なんでしょうか?』
という質問をした。すると茜音さんは自信ありげに、
『ニュートラルに考えられる人です』
と言った。その後に茜音さんは『不思議な事を目撃したとしてもすぐに肯定も否定もせず普通に日常を続けられる人』と条件を具体的に語った。
<え…?それって>
まるで自分の事を指しているかのように感じてしまった。ハンナの能力を知っても確かにわたしは特に変わりなく日常を送っている。
『わたし達にはもともと不思議な事を感じ取れる力が存在します。日常の中からでもそんな何かを感じ取ってゆけば豊かな人生を送れるというのがわたしの魔法研究の始まりなんです。例えば『そこ』になにかがあるように感じる事、それも魔法の始まりなのだと思います』
素敵な言葉だ。アナウンサーも感動したらしく『わたしも魔法が始ったような気がします』と言葉を添えた。番組終了後、気になってしまったわたしは茜音さんの情報をネットで探し始めた。運よくわたしの続けているSNS上に「akane_stella」というアカウントを発見し、一番最近の投稿内容と黒猫の写真から同人物であるという事が確認できた。少し迷ったけれど思い切ってフォローしてみた。
ただ、ミステリアスな雰囲気そのままにネットに出てくる情報はそれほど多くはなく、同時に怪しい商売をしているような人ではないという事も分かった。




