ノベルゲームの夜
桜前線が北上し、怜とわたしの地元に開花宣言が出されたらしい。季節は待ってくれないもので既に散ってしまった場所を通り過ぎてもあの淡い雰囲気はあまり感じられなくなる。けれど今はどちらかというとさみしさよりも少しづつ変わってゆく感覚を楽しむような気持ちがあった。陸さんと出会ってからというもの彼に教えてもらった事が切っ掛けで新しいものにも目が留まるようになっているからなのかも知れない。
週央、とある理由で帰宅後ソワソワしながら外の音に聞き耳を立てていた。ハンナと一緒にソファーに並んで体育座りのような格好になっているので「いつでも動き出せるぞ」という体勢。そして事前に指定した夕方の6時を過ぎた頃、玄関の方に向かってくる人の足音が聞こえる。急いで出迎えて配達員の人に手渡された包装物を抱えてリビングに舞い戻る。
「よし、きた!」
ハンナは突然移動したわたしが即座に戻ってきたきた様子に多少面食らっているらしくて玄関のチャイムも彼女にとってはちょっとした驚きだったかもしれない。意気揚々と包みを解くとそこには何年か前に発売されたというノベルゲームのパッケージが現れる。
『WHITE LIE』
日本語だと『優しい嘘』という題名になるそのゲームを知ったのは、陸さんの活動名である「Asita」さんがゲーム内の背景画を担当したという情報をネットのデータベースで見つけたからだ。いわゆる美少女が登場するゲームなのでプレイヤーに想定されているのは男性なのだと思うけれど、このゲームを少し検索してみた限りでは恋愛だけではなく純粋に登場人物と紡がれるストーリーを楽しむというジャンルのものだという事は分かっている。実は陸さんに会ったその日の夜に気持ちが高まって注文ボタンをタップしてしまった。今度彼と会った時の『話題』として、そのゲームをプレイしてみるのがいいんじゃないかと思ったから。ゲームについて検索はしたものの、先入観なしでストーリーを楽しみたいので付属の説明書を一通り読み、主人公が高校生の『笠置奏太』という物静かな男子という事と、登場人物のその他の男女の名前などを頭に入れる。
比較的マイナーな作品だけれど最近は時々お決まりのゲームを起動するだけになっていたゲーム機でプレイできる。断っておくとわたしはそこまでゲーマーではないけれど、一応の嗜みはある。と言っても映像美を楽しめるアクションRPGが好きなので操作も複雑になるオープンワールド系の作品には手を出せない。前付き合っていた人がバリバリゲーマーだった名残りでそれなりに知識はあるけれど。ノベル系のゲームはその人もあまりプレイしていなかったし、わたしも実質初めてかも知れない。ネットでプレイ動画などは見た事があるから操作に不安は無かった。
オープニングでテーマソングが流れ、美麗なCGが次々と表示されてゆく。どこか懐かしいような、そして温かみのある風景は確かに「Asita」さんの作品だと分る。色使いもそうだけれど儚いような雰囲気が漂っていて、社会人になってどこか忘れかけている世界の姿を思い出させてくれるよう。
『僕がその人を見たのはそれが初めてではなかった』
画面に表示されたその印象的なフレーズが飛び込んでくる。わたしのフィルターを通してその作品を説明してしまえばたぶん魅力は一気に減じてしまうけれど、読書家で小説家志望というプレイヤーである『笠置奏太』くんは学校で同級生には寡黙なタイプだけれど彼の人柄がイメージし易いからだろうか、そこまで違和感なくストーリーを進める事ができる。ステレオタイプの恋愛シミュレーションのようにいきなり女の子の方から話しかけられるような展開にはならず、むしろ序盤はどうやってこの人が人の輪に入ってゆくのかさえ想像できないくらい静かにモノローグが続く。
<文学的ってこういう事なんだろうなぁ>
明らかことで少し悲しい事でもあるけれど、素朴なわたしの感覚では『笠置くん』のモノローグのような事は今だったら共感できたりもするけれど、高校時代だったらただただ<寂しくないのかな>と思わせるように伝わってくる。そんな高校生活が続いた6月のある日のこと学内の文芸部がとあるイベントに同人誌を出品しているという話を知って、興味を持った彼が部室の前を通りがかった時に廊下で『創作ノート』と書かれた一冊のノートを見つける。そこからそのノートの持ち主を探し始めたところからストーリーは展開してゆく。
『存在しない』
一言で表現すれば物語の肝はノートの持ち主が学内には『存在していない』という事実を知った事だ。そこまでプレイし次第に深まってゆく謎に、様々な想像や妄想をしている間にハンナが自己主張をし始めた。
なぁ~
キッチンから恐らくは冷蔵庫の前で明確に呼び掛ける鳴き声はゲームへの集中力を削いでくる。一方でハンナが移動した事にも気付かないくらいゲームに集中していた事にちょっとした驚きがあった。学生時代へのノスタルジーなのだろうか、CGも陸さんが手がけていると思うと場面にすんなり入ってゆけるし、何より『笠置くん』の語りが自然で表現力があるので読んでいて退屈しない。ほとんど追体験をしているような気分が続いたまま、ハンナに『正規品』を差し出すわたし。
<現実感が無いというわけではないんだけど、不思議な感覚だ>
相変わらずペロペロしているハンナの目がギラついているのでそれも現実と作品世界とのギャップがすごい。頭の中で『笠置くん』のモノローグが続いている。差し出したままキッチンの明かりをぼんやり見て、自分の高校時代の思い出も蘇る。実家に来たばかりの茶トラの世話をしながら帰宅部の特権を活かして漫画ばかり読んで、そのくせ未来の自分をぼんやり浮かべていた頃。やっぱり居間の電灯をぼんやり眺めて同じような表情だったかもしれない。
『明かりが何かを示してくれるというわけではないけれど、明かるいという事はそこにエネルギーがあるという事で、わたしはそれに当てられて光るのだ』
というよく分からない自分の当時の台詞。高校で一挙に難しくなった『化学』について母や父に嘆いていたわたしのその悩みを聞いてくれているようで結局は助けてはくれなかったのは、結局は自分で切り開いてゆくしかないという事を伝えようとしていたのだろうか。あの時必死で覚えた事は最低限社会生活を営む上で役に立っているはずだ。
わたしなりのモノローグの時間を通り過ぎ、満足してカーテンの中へと帰っていったハンナと一緒にリビングに。ゲームを再開し、初日だったからかじっくり雰囲気を味わいつつ2時間はプレイしたような気がする。とりあえずノーマルのエンディングまで辿り着いたけれど、クリアしても肝心の『謎』が分からないまま。すこしネットで調べてみるとクリア後に解放されるルートがあるらしくて、それを繰り返してゆくと『謎』に辿り着ける仕組みとのこと。ノーマルエンドはハッピーエンドともバットエンドとも違って、『とりあえず終わり』という感が強い。
不思議な雰囲気を断ち切られて感覚が現実寄りに戻ってくる。半分残っていた感覚のままぐっすり眠れたのは良かった。
良かったけれどこういう時に限ってハンナが夢の中に現れる。ゲームの影響のせいか通っていた高校にあったような造りの体育館でバスケのフリースローの練習をしているわたし。明らかに軌道はゴールに入るようにボールをシュートしたのに、物理法則を無視するような落ち方でゴール手前にバウンドするボールを呆然と眺めていると、そのボールに向かって突撃してゆくハンナの姿が見えた。
<なんで猫?>
と一瞬思ったあとに頭が『覚醒』する。
『ハンナ危ないよ!』
素で普通に注意していたけれど夢の中のハンナだから大丈夫かとすぐ気付いた。案の定、バスケットボールは風船のようにふわふわ浮かびだしてハンナは必死にそれを追い掛けている。珍しいパターンでこの夢の中ではハンナが熱中しているせいかなかなか喋らない。
『ハンナ、おーい!!』
喋らないと損した気分になってしまうので必死に呼び掛けると、
「これ面白ーい!!!」
と嬉しそうに叫んだ。<そうか、ハンナはああいうのが好きなのか!>と気付いたところで目が覚めた。胸元で気持ちよさそうな顔でスースーと眠っている小さな生き物はわりと母性を刺激してくる。




