類似品のアレ
「待ってぇ!!もう限界ぃー!!」
そう言いながらわたしは走っている。目の前を軽やかに突き進んでゆくのは親友。走ることが好きなくせにそれほど才能があるというわけではなく、スピード能力の差を見せつけられるように親友との差は開く一方で縮まりはしない。何より、足が重くてスピードが上がってゆかないのが不甲斐なくて悲しくなってくる。
「いやだぁーーー!!」
走っている最中なのにそう叫んでしまうほどだったわたしは次の瞬間、「ん?」と頭が固まったかのようになる。ロードを走っているわたしの右斜めを何か小さい動物が颯爽と走っていることに気付く。
『あれ、ハンナ?』
それが自宅で飼っている雌猫のハンナであると気付いた時に、わたしは突如として騙されたような気分になる。
「お姉ちゃん、あの人早いね!!」
わたしの方を少し振り向いてそう「喋った」ことは『わたしの夢の中』ではお馴染みになった光景。何度も繰り返されている事なので最早驚きはしないのだけれど、この、おそらくは中学生の当時のスタイルでロードを走っているシーン自体が全部夢の中の出来事で、わたしがこんな感情になっていることも全て夢でしかない、ということに一瞬にして思い至ってしまったら、もうそこからは大人のわたしがハンナと会話する展開になる。
『あの子はわたしの親友の【星怜】。これは地元の中学校の近くの道みたい』
という冷静なわたしの説明に、
「ふーん。お姉ちゃんも走るんだね」
とあっさり理解してしまうらしいことは経験的に分かっている事だった。中学時代のわたしと怜は共に陸上部で中長距離を走っていて、やっぱりこの夢と同じように怜の方が才能があって、学校での成績も優秀で、おまけに実家が古くからの名家という話。この場面からでは説明できないけれど、現実の世界では怜は高校大学とも名門校に進学してわたしなんか手の届かない場所に行ってしまっている。そのくせ、私達の関係は疎遠になるどころか今でもバッチリ続いてしまっている。具体的にはSNSを通じて頻繁にやり取りをしていたり、機会があれば一緒に出掛けたり。
『そういえば夢の中に怜が出てきたのは久しぶりかも。最近リアルではご無沙汰になってたなぁ』
そんな説明とも独り言ともつかないことを言いながらジョギングのスピードにダウンしていたわたしとハンナ。律儀にわたしのスピードに合わせてくれるのは何だかキュンとくる。
「お姉ちゃん、明日のご飯は【アレ】ちょうだい!」
ただハンナはあくまで彼女らしくマイペースに、ここぞとばかりにわたしにご飯の要求をしてくる。【アレ】という呼び方で分かってしまう自分も何だか困ってしまうのだけれど、確かまだ家には数本残っていたはず。ハンナと話していると夢の中でも一気にこうして生活臭が出てきてしまうのが最近の悩みと言えばそうなのかも。そんなこんなをしているうちに夜が明け、スマホのアラームが定刻通りに鳴り、わたしとハンナは目を覚ました。
「おはよう。ハンナ」
なぁー
多分、目覚めている時にも意思疎通のようなことは出来るんだろうなと判断して、最初にハンナの能力に気付いた日からなるべく彼女に話しかけるようにしている。ベッドから冷蔵庫へ移動して、小さな細長い袋に詰まったそのご飯、というか猫用のおやつを既に待ちきれない様子のハンナの前に差し出す。
ぴちゃぴちゃぴちゃ
ハンナはその袋から少しづつ出されてゆくその液状の黄色がかった食べ物を舐めとってゆく。犬用のも登場したという、猫飼いがこぞって洗脳させられているCMで有名な商品…の類似品をわたしはハンナにおやつとして与えている。ハンナがこの商品を【アレ】と呼んだのはわたしもこの商品をあげる時には、
「【アレ】あげよっか!」
と言うようにしていたからだと思う。今後夢の中で、この商品が猫にとってどんな味なのか、どうしてそれがいいのか質問してみようと決めるわたしだった。
そんな日曜日の朝、人間の方が食事を終えようとしたその時、突然スマホに電話が入る。表示された名前がなんの偶然か「星怜」となっていたからちょっと驚いた。慌てて応答する。
『香純!!ちょっと大変なことになっちゃった!』
優等生でいつも冷静な筈の怜が興奮した様子。とは言っても、親友のわたしの前では時々泣き言を言ったり、実は緊張しいなところを見せたりしていたので、わたしはどちらかというと冷静に対応する。
『どうしたん?』
それほど大変なことではないだろうとたかを括ってしたわたしだけれど、次の怜の一言で状況は一変する。
『わたしも○○(わたしの住んでいる場所)に転勤することになった!』
『え…?』
そしてこの日はそれだけではなかった。
『それで住むとこ探さなきゃならなくて、今から香純んとこに行くから!』
『え…ちょ、ま!!』
そこで有無を言わさず途切れた電話。突然のことに呆然としているわたし。その視線の先にいつものようにカーテンの中に身を隠すようにハンナの下半身だけが見えていた。




