魔法少女
スポーツ用品店の後、わたしが近場でよく行っていた場所を怜に紹介しながら帰宅。それでも午前中に自宅に戻って来れて、その後は怜の希望でハンナと触れ合う時間に。この日帰って来た時にはハンナはやっぱり青いカーテンの中に身を潜めて気配を消しているのが見えた。
「やっぱりあの子はあそこがいいんだね」
怜が感心したように言うのをわたしはやや苦笑いで聞いていた。そもそも雌猫は気難しい場合が多いという話があるようで、人間にべったりと言うよりは一人で静かに過ごしているのが好きだったりするのでハンナの場合に本能的にカーテンの中に入り浸るようになったのだと思う。ちなみにこの事についても夢の中でハンナに訊ねてみたことがあって、
『どうしてカーテンの中がいいの?』
という問いに対して夢の中のハンナは、
「そこがアタシのおうちだもん」
と答えた。そう、ハンナはこのアパートの中ではなくてカーテンの中が「おうち」だと思っているらしい。可愛らしい言葉ではあったけれど、飼い主としては姿を見せてくれないのは何となく勿体無く感じるのでわたしが、
『もうちょっと出てきてよ』
と懇願するとハンナは尻尾をふりふりしつつ、
にゃあ
とその時は何故か言葉を発しなかった。怜にその話をしてみた。
「面白い話なんだけど、そんなにハンナは夢の中に出てくるんだね」
「そう。基本的にハンナがベッドに入って来て一緒に寝ている時は夢の中に出てきてる」
わたしのその言葉に怜の目が一瞬鋭くなった。疑っている目というよりは、何かを考えているような時のそれ。
「とりあえず、わたしはハンナの様子を観察してみるよ。香純も普通にハンナと接していてよ。それとこれから一つ見てもらいたいものがあります」
そう言って怜は大きめのバッグの中からタブレットPCを取り出す。できる人が持ち歩いているイメージのパソコンだけれど怜は慣れた様子で立ち上げてから操作を行い、テーブルでPCをわたしの方に傾けてとあるものを見せてくれた。そこには『定期ランニング計画』という題のプレゼン用のアプリで作成された画面だった。
「え…?こんなもの作ったの?」
仕事でもないのに几帳面にこれからわたし達がするであろうランニングの計画を軽くプレゼンし始める怜にわたしはやや引き気味。
「だってさ、日程とか時間帯とか走る条件とか予め決めておいた方がスムースに活動できるでしょ?」
「そうかもだけど、口頭で十分じゃない?」
「まあ、わたしの趣味みたいなもんさ。ちょっと付き合ってください」
結局、「案」として都合の良い曜日、時間帯の候補がいくつか提示されたり、雨天時にはどうするのかという提起など説明を受けたけれど、わたしなりイメージしていることもあったのでその場で伝えたりする必要があった。途中からやや嫌がるハンナを抱えて、真面目にパソコンに情報を打ち込み始めた怜の顔元に近づけてみた。相好が崩れて子供をあやすような口調で「かわいいねぇ〜」というこの女のギャップはなかなか面白い。
「よし。こんなもんかな。この家ってプリンターある?」
「一応あるよ。あんまり使ってないけど」
「じゃあ今印刷させてもらうよ。それ渡すから」
ここでわたしが気付いたのは、怜がこの家にいることに対して全然違和感を覚えなくなってきつつあるということだ。そういえば実家に彼女が遊びに来た時も、今と同じように「勝手知ったる」的に過ごし始めるからこちらとしても全然気を遣わない。彼女の自宅はここから近いし、何となくこの人も「入り浸り」になりそうな気配を感じていた。すぐに印刷された紙にはその日決まったことが簡潔かつコンパクトにまとまっていて、そういえば中学時代も顧問の先生からこういうトレーニングメニューを手渡されていたなと思い出す。しばしそれに目を通していると、
「ハンナって夢の中でどんな声で喋るの?」
と訊ねられた。そういえば彼女には説明していなかったと思って、
「【河口エリス】って声優さん知ってる?」
とその声優さんの名前を伝えた。これに対して、
「声優さん?いや、名前は知らないけど声聞けば分かるかも」
という反応なのでエリスさんが演じているアニメのキャラクターを幾つか例示してみると、
「ああ!あのキャラクターの人か。うんイメージはあるね」
という返答。
「多分、ハンナの声とは関係ないし、わたしその人が推しの声優さんだから夢の中で選ばれたんだと思う」
その推理に怜はなるほどと頷く。推しとしてその機会にエリスさんの良さを伝えてみたけれど、怜は「そうなんだ」と反応が薄い。そこで女性としては低い方の声の怜は一緒にカラオケに行った時にそれがコンプレックスなんだと言っていた記憶を思い出した。容姿にはピッタリ合う声質だけれど、わたしの特徴のない声よりは個性があっていいと思うのだけれど。それからお昼になったので二人で買ってきていたお弁当を食べて、食後入れたお茶を飲んだりしながら過ごしているとなんだかんだあっという間に時間は過ぎていった。
「じゃあ、これから少しハンナと二人きりにする時間を作ってもらっていいかな?15分くらいでいいよ」
怜のその要望に応えて前と同じようにわたしはコンビニまで、今度はゆったり歩いて出掛けた。ハンナに何をするのかは分からないけれど、必要なものは持ってきたバッグの中に用意してきたらしい。実験の条件を揃える為に、そのバッグの中身はわたしは確認させてもらえない。ある程度想像はつくけれど、彼女の事だからハンナの口から聞かないと分からない事を実験に取り入れるとのこと。
<本当に天気がいい日が続くなぁ>
午後になって外はますますうららか。そういえば怜は4月1日から勤務場所が変わるらしいから場合によっては朝通勤で一緒になる事も考えられるのだけれど、わざわざ時間を合わせようとまではしたくないのは何故なんだろうか。コンビニの中には中高生の姿も目立つ。春休みはあっという間で、思い出したところわたしの中に春休みの思い出は特に存在していないようだ。男の子の3人グループは学生だった頃とは違う見え方で、何だかずいぶんはしゃいでいるように見える。
『ただただ楽しい』
彼等と同じようにそんな感覚を今のわたしも味わっているかも知れない。
☆☆☆☆☆☆☆☆
翌日の朝。突如として二人にとって完全な想定外のことが起こった。それはハンナの『実験』に関すること。ある意味それはわたしが15分間コンビニに行って時間を潰したことが全く無意味になるような出来事だった。怜は確かにその間にハンナとある方法で触れ合ったそう。そしてその触れ合った方法をあわよくばこの夜のわたしの夢の中でハンナに確かめる算段で物事を進めていた。けれど『猫は気まぐれ』とはよく言ったものだ。ハンナがこの日にわたしのベッドに入ってこないことは十分想定されていた。
朝起きて残念な事に夢の中にハンナが出てこなかったことを怜に知らせるつもりで起き上がった時、怜は既に目覚めていてしかも茫然自失といった表情でわたしを見つめていた。
「ど、どうしたの?」
「魔法少女の声だったよ…」
謎の言葉を呟いた怜。それから続けてこういった。
「昨夜ハンナがわたしの布団の中に入ってきたらしいんだ。そしてわたしは夢をみた。ハンナが魔法少女○○○○の声でわたしに話しかける夢をね」
「えーーー!!!」
そんなわたしの驚く声が家の中に響いた。




